| |
重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
|
武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
ほんがんじ | じつじょ |
朝廷 | 天下布武 | 摂津 | 一向宗 | (1458-1525)本願寺9世法主。蓮如の第五子。本願寺法主で初めて法印権大僧都に任ぜられ、また、一門一家の制を定めて門徒を統制するなど、本願寺派の発展に尽力した。
|
本願寺 |
実如 |
83 | 35 | 27 |
V |
57 | 72 |
長槍 | 登用 |
密偵 | - |
- |
こでら | まさたか |
幕府 | 保守鷹派 | 播磨 | 武将 | (1472-1530)赤松家臣。御着城を築き居城とした。主君・義村が浦上村宗に殺された際は義村の子・晴政や浦上村国らとともに淡路に逃れた。のちに村宗に殺されたという。
|
小寺 |
政隆 |
43 | 35 | 45 |
Q |
46 | 26 |
長槍 | 改修 |
混乱 | 迎撃 |
- |
こうの | のりみち |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 伊予 | 武将 | (1420-1500)伊予守護。応仁の乱では西軍に属し、京都の各地で活躍した。その一方で、庶流の予州家・河野通春が東軍に属したため激しく対立、河野家の弱体化を招いた。
|
河野 |
教通 |
25 | 35 | 30 |
X |
24 | 63 |
長槍 | 商業 |
鼓舞 | - |
- |
さいおんじ | きんいえ |
朝廷 | 保守鷹派 | 伊予 | 高家 | (1476-1535)伊予の豪族。西園寺家は藤原公季(藤原道長の叔父)の子孫・公経が、山城国葛野郡北山に別業西園寺を造営して、西園寺殿と呼ばれたのに始まるといわれる。
|
西園寺 |
公家 |
30 | 35 | 49 |
O |
34 | 46 |
長槍 | 茶湯 |
密偵 | 誘導 |
- |
しまづ | なりひさ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 薩摩 | 武将 | (1465-1514)島津家臣。薩州島津家当主。娘は島津忠良に嫁ぐ。薩州島津家は島津家の庶流で島津用久(島津家8代当主・久豊の子)を始祖とする。当主は薩摩守を称した。
|
島津 |
成久 |
32 | 35 | 47 |
G |
57 | 24 |
長槍 | 弁舌 |
混乱 | 誘導 |
- |
さいとう | さだのぶ |
無し | 保守鷹派 | 南越後 | 武将 | (1490-1539)長尾家臣。昌信の子。下野守と称す。1510年、苅羽郡原田竹町に関する文書を善照寺増珎に渡し、また苅羽郡竹町の名田について、証状を作成したという。
|
斎藤 |
定信 |
40 | 34 | 60 |
D |
52 | 57 |
足軽 | 商業 |
密偵 | 修復 |
- |
うつのみや | きよつな |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 伊予 | 国人 | (1478-1544)伊予の豪族。1532年頃、三男・房綱とともに萩森城を築き、居城とした。伊予宇都宮家は武茂景泰(下野宇都宮家8代当主・貞綱の甥)を祖とするという。
|
宇都宮 |
清綱 |
38 | 34 | 27 |
T |
12 | 42 |
足軽 | 改修 |
罵声 | - |
- |
よこだけ | すけさだ |
幕府・名声 | 好戦人情 | 肥前 | 高家 | (1448-1530)少弐家臣。主君・政資が自害したあと、政資の子・資元を養育した。しかし、田手畷合戦で大内家と少弐家が戦った際、大内家に寝返り旧主・資元を攻撃した。
|
横岳 |
資貞 |
62 | 34 | 59 |
P |
72 | 40 |
足軽 | 威圧 |
威圧 | 誘導 |
- |
きもつき | かねひさ |
朝廷 | 好戦直情 | 大隅 | 武将 | (1473-1523)肝付家14代当主。大隅守護・島津忠昌の加冠を受けるが、志布志城主・新納家とともに何度も謀叛を起こした。のちに忠昌は肝付家らの圧力により自害した。
|
肝付 |
兼久 |
54 | 34 | 56 |
F |
16 | 73 |
長槍 | 商業 |
治療 | 修復 |
- |
たねがしま | ただとき |
無し | 保守鳩派 | 薩摩 | 国人 | (1468-1536)種子島家12代当主。琉球王・尚真の許可を得て、琉球と交易を行う。1524年には屋久島に楠川城を築き、また島津家と結ぶなど、領内の安定化に努めた。
|
種子島 |
忠時 |
48 | 34 | 34 |
Y |
70 | 28 |
長槍 | 商業 |
罵声 | 誘導 |
- |
かさい | まさのぶ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 陸前 | 武将 | (1433-1506)葛西家13代当主。はじめ甥・尚信を補佐する。尚信の早世により葛西家を継ぐが、尚信を毒殺して家督を奪ったとの風聞があり、家中に争乱を招いた。
|
葛西 |
政信 |
58 | 33 | 82 |
R |
41 | 82 |
騎馬 | 威圧 |
密偵 | 誘導 |
迎撃 |
いいお | かたつら |
無し | 保守鳩派 | 三河 | 武将 | (1477-1538)今川家臣。今川義忠に従って京都から下向した長連の子。大河内貞綱の自害後、主君・氏親の命により引馬城主となる。以後、引馬城は飯尾家の居城となった。
|
飯尾 |
賢連 |
53 | 33 | 40 |
G |
64 | 34 |
騎馬 | 商業 |
治療 | 修復 |
- |
きょうごく | たかきよ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 近江 | 高家 | (1460-1538)北近江半国の守護。勝秀の庶長子。嫡出の弟・孫童子丸の死後、叔父・政経との家督争いに敗れ、流浪する。のちに勢力を回復し、政経を追って家督を継いだ。
|
京極 |
高清 |
34 | 33 | 19 |
Q |
62 | 55 |
足軽 | 威圧 |
鼓舞 | - |
- |
かきや | まさただ |
幕府 | 保守鷹派 | 但馬 | 武将 | (1454-1511)山名家臣。垣屋家は山名四天王の一に数えられ、主家の執事的地位にあり、但馬守護代を務めた家柄。代々、但馬気多郡楽々前(ささのくま)城を居城とした。
|
垣屋 |
政忠 |
39 | 33 | 47 |
O |
31 | 51 |
長槍 | 改修 |
密偵 | 誘導 |
- |
しまづ | ただおき |
幕府 | 好戦陰湿 | 薩摩 | 武将 | (1487-1533)島津家臣。薩州島津家4代当主。成久の子。娘は島津勝久に嫁いだ。薩州島津家に内乱が起こった際、内乱に介入した伊作島津久逸と戦い、久逸を討ち取った。
|
島津 |
忠興 |
43 | 33 | 69 |
L |
46 | 41 |
騎馬 | 哀願 |
威圧 | 迎撃 |
- |
あけち | みつつな |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 美濃 | 武将 | (1501-1552)美濃の豪族。明智城主。光継の嫡男。名は光隆とも光国ともいい、はっきりしない。1538年に死去したとも、斎藤道三の攻撃を受けて敗死したともいう。
|
明智 |
光綱 |
29 | 32 | 29 |
J |
40 | 18 |
足軽 | 登用 |
収拾 | - |
- |
いたみ | もとすけ |
無し | 好戦人情 | 摂津 | 国人 | (1479-1529)細川家臣。伊丹城主。主家の家督争いでは細川高国に属し、三好之長らと戦う。のち之長の孫・元長に属すが、元長と対立する柳本賢治に攻められ、戦死した。
|
伊丹 |
元扶 |
21 | 32 | 57 |
G |
54 | 35 |
長槍 | 農業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
やまのうち | なおみち |
名声 | 好戦人情 | 備後 | 国人 | (1478-1553)備後の豪族。大内家に属し、和智豊郷を大内家に仲介するなど活躍。のちに塩冶興久を匿ったため、興久の父・尼子経久に攻められて敗北し、隠居させられた。
|
山内 |
直通 |
24 | 32 | 42 |
X |
77 | 45 |
長槍 | 商業 |
治療 | 分断 |
- |
しまづ | ただまさ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 薩摩 | 武将 | (1463-1508)島津家11代当主。桂庵玄樹を招いて朱子学を講じさせ、薩南学派の基礎を築くなど領内の統治に努めたが、一族や国人衆の度重なる反乱を苦として自害した。
|
島津 |
忠昌 |
51 | 32 | 38 |
R |
64 | 55 |
足軽 | 哀願 |
焙烙 | 迎撃 |
- |
しまづ | かつひさ |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 薩摩 | 武将 | (1503-1573)島津家14代当主。忠昌の三男。島津実久が守護職を強要したため、島津忠良・・貴久親子に国政を委ねるが、のちに復帰を企てたため、領内に混乱を招いた。
|
島津 |
勝久 |
26 | 32 | 58 |
R |
36 | 22 |
足軽 | 農業 |
治療 | 誘導 |
- |
おだ | よしのぶ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 尾張 | 武将 | (1463-1504)斯波家臣。弾正忠と称す。1482年、尾張国内で身延山久遠寺と京都六条本圀寺の末寺が争ったため、清洲城において宗論が行われたが、その奉行を務めた。
|
織田 |
良信 |
52 | 31 | 44 |
C |
72 | 38 |
騎馬 | 弁舌 |
罵声 | 誘導 |
- |
とき | まさより |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 美濃 | 高家 | (1499-1547)美濃守護。父・政房の死後、家督を継ぐが、弟・頼芸を擁立する西村勘九郎(斎藤道三)の攻撃を受け敗北、越前に逃れた。のち美濃に戻るが、間もなく死去。
|
土岐 |
政頼 |
29 | 31 | 19 |
T |
29 | 37 |
騎馬 | 哀願 |
威圧 | - |
- |
うんの | むねつな |
無し | 保守鷹派 | 北信濃 | 国人 | (1463-1532)信濃の豪族。海野家は、信濃国小県郡海野を本拠とした古代からの豪族で、禰津家や望月家は海野家の庶流といわれる。娘は真田頼昌に嫁ぎ、幸隆を生んだ。
|
海野 |
棟綱 |
27 | 31 | 29 |
D |
63 | 40 |
長槍 | 農業 |
密偵 | - |
- |
ほんじょう | ふさなが |
朝廷 | 好戦直情 | 北越後 | 国人 | (1494-1544)越後の豪族。揚北衆。時長の子。大和守と称す。上条定憲の乱の際は長尾為景に属した。のちに弟・小川長資や鮎川盛長に攻められて居城を追われ、死去した。
|
本庄 |
房長 |
25 | 31 | 31 |
L |
22 | 41 |
騎馬 | 商業 |
治療 | - |
- |
しきち | ふじやす |
朝廷・名声 | 好戦人情 | 土佐 | 高家 | (1469-1540)土佐一条家臣。民部少輔と称す。主君・房冬の傅役を務めたが、娘が房冬の妻となったことから、ほかの家臣が嫉妬して讒言され、房冬から自害を命じられた。
|
敷地 |
藤安 |
74 | 31 | 18 |
D |
95 | 11 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | - |
- |
いわき | よしたか |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 磐城 | 武将 | (1477-1542)陸奥の豪族。常隆の子。古河公方の足利政氏・高基親子の争いでは、佐竹家とともに政氏方に属し、高基方に属した宇都宮家や下総結城家と戦いを繰り広げた。
|
岩城 |
由隆 |
62 | 30 | 28 |
Q |
66 | 45 |
長槍 | 弁舌 |
威圧 | - |
- |
うえだ | まさもり |
名声 | 好戦陰湿 | 武蔵 | 武将 | (1471-1530)扇谷上杉家臣。1510年、北条早雲に通じ、権現山城主となる。早雲とともに山内・扇谷上杉家連合軍と戦うが、連合軍の猛攻により敗北、居城を奪われた。
|
上田 |
政盛 |
18 | 30 | 70 |
B |
5 | 68 |
足軽 | 弁舌 |
混乱 | 誘導 |
- |
ながの | みちふじ |
幕府・名声 | 好戦人情 | 伊勢志摩 | 武将 | (1478-1530)長野工藤家13代当主。藤直の嫡男。尾張亮と称した。長野工藤家は、いわゆる「曾我兄弟の仇討ち」において殺された工藤祐経の次男・祐長を祖とする。
|
長野 |
通藤 |
31 | 30 | 38 |
O |
68 | 31 |
長槍 | 農業 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
きくち | たけつね |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 肥後 | 旧仏教 | (1480-1537)阿蘇大宮司。惟憲の長男。菊池家臣らに擁立されて菊池家を継ぐが、大友家と対立して追放される。阿蘇大宮司職を巡り弟・惟豊と戦うが敗れ、薩摩に逃れた。
|
菊池 |
武経 |
49 | 30 | 73 |
C |
11 | 88 |
騎馬 | 商業 |
焙烙 | 修復 |
- |
きくち | たけかね |
朝廷 | 保守鳩派 | 肥後 | 高家 | (1482-1532)肥後守護。庶流・詫磨家から当主として迎えられ、武経(阿蘇惟長)の跡を継いだ。大友家と対立して菊池家を追われたため、大友家と戦うが敗れ、戦死した。
|
菊池 |
武包 |
20 | 30 | 28 |
O |
66 | 35 |
足軽 | 改修 |
鼓舞 | - |
- |
だいほうじ | すみうじ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 羽前 | 旧仏教 | (1479-1527)出羽の豪族。政氏の子。大宝寺家の庶流の砂越家と何度も争う。1512年の東禅寺合戦では砂越家に敗れたが、翌年の戦いでは勝ち、砂越氏雄を討ち取った。
|
大宝寺 |
澄氏 |
36 | 29 | 61 |
Y |
20 | 47 |
長槍 | 商業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
おだ | のぶさだ |
朝廷 | 好戦人情 | 尾張 | 武将 | (1486-1538)斯波家臣。良信の子。織田達勝配下で、「清洲三奉行」の一人として活躍。勝幡城を築いて居城とし、近隣の津島湊を支配して、織田家の財政的基盤を築いた。
|
織田 |
信定 |
72 | 29 | 31 |
D |
61 | 23 |
騎馬 | 商業 |
鼓舞 | - |
- |
はたけやま | よしむね |
幕府 | 保守鷹派 | 能登 | 高家 | (1462-1525)能登守護。義統の次男。兄・義元が遊佐統秀らに追われたため、当主となる。しかし一向一揆の蜂起により領内が動揺したため、義元と和睦し家督を返還した。
|
畠山 |
慶致 |
65 | 29 | 27 |
M |
59 | 50 |
足軽 | 改修 |
罵声 | - |
- |
たかはし | ひろあつ |
朝廷 | 保守鳩派 | 石見 | 国人 | (1481-1529)石見の豪族。久光の次男。父の死後、高橋家を継いだ子・興光を後見した。のちに大内家に背いて尼子家に寝返ったため毛利元就に攻められて敗れ、戦死した。
|
高橋 |
弘厚 |
19 | 29 | 46 |
L |
50 | 44 |
長槍 | 威圧 |
威圧 | 破壊 |
- |
すぎ | ひろより |
幕府 | 保守鷹派 | 周防長門 | 武将 | (1470-1512)大内家臣。木工助と称す。政弘・義興の二代に仕え、奉行人を務めた。おもに豊前方面に在陣し、一所衆や被官の功を主君・義興に注進するなどの功を立てた。
|
杉 |
弘依 |
27 | 29 | 36 |
J |
39 | 41 |
足軽 | 改修 |
収拾 | 迎撃 |
- |
うつのみや | ただつな |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 下野 | 旧仏教 | (1496-1527)宇都宮家18代当主。成綱の嫡男。姉婿の結城政朝や叔父・芳賀興綱と対立、政朝との合戦中に興綱に居城を奪われた。奪還を目指すが、果たせぬまま死去。
|
宇都宮 |
忠綱 |
38 | 28 | 39 |
N |
44 | 13 |
足軽 | 哀願 |
密偵 | 迎撃 |
- |
なす | すけふさ |
無し | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1476-1552)下那須家当主。内紛で上那須家が断絶した後、家督を継ぎ上下那須家を統一。箒川の合戦で行った、白河結城家との縄引きが「大捻縄引」の起源とされる。
|
那須 |
資房 |
29 | 28 | 21 |
Q |
65 | 27 |
長槍 | 農業 |
収拾 | - |
- |
おおぜき | むねます |
名声 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1462-1544)那須家臣。福原資安とともに大田原資清を主君・資房に讒言、資清を追う。のちに復帰した資清に子・増次を討たれ、資清の子・高増に大関家を乗っ取られた。
|
大関 |
宗増 |
64 | 28 | 76 |
V |
16 | 73 |
騎馬 | 威圧 |
治療 | 迎撃 |
放火 |
きら | よしやす |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 三河 | 高家 | (1536-1569)三河吉良家13代当主。義堯の子。兄・義郷の早世により家督を継ぐ。のちに今川家に敗れ、駿府に連行された。松平元康の元服に際しては、理髪役を務めた。
|
吉良 |
義安 |
42 | 28 | 36 |
F |
79 | 15 |
足軽 | 威圧 |
混乱 | - |
- |
とき | まさふさ |
幕府 | 天下布武 | 美濃 | 高家 | (1467-1519)美濃守護。福光城を築いて居城とする。のちに長男・政頼を廃して次男・頼芸を擁立しようとするが、守護代・斎藤利良の協力を得られず、実現しなかった。
|
土岐 |
政房 |
22 | 28 | 54 |
R |
48 | 21 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | 修復 |
- |
うえすぎ | のりふさ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 上野 | 旧仏教 | (1467-1525)関東管領。上杉顕定の養子となる。養父の死後、上杉顕実(足利政氏の弟)が家督を継ぐが、古河公方家の内紛に乗じて憲実を追い出し、上杉家当主となった。
|
上杉 |
憲房 |
63 | 27 | 27 |
B |
60 | 63 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
いっしき | よしはる |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 丹後 | 高家 | (1462-1519)丹後の戦国大名。1501年に丹後守護となった武田元信と丹後の支配権を巡ってたびたび争う。1507年には丹後に侵攻した細川家臣・赤沢朝経を破った。
|
一色 |
義有 |
36 | 27 | 54 |
Y |
60 | 59 |
足軽 | 登用 |
威圧 | 挑発 |
- |
ほんがんじ | えんにょ |
朝廷 | 保守鳩派 | 摂津 | 一向宗 | (1491-1521)本願寺9世法主・実如の次男。各地に散在する祖父・蓮如の手紙を集め、80通を選んで五帖にまとめた(五帖の御文)が、編集を終えた日の正午に急死した。
|
本願寺 |
円如 |
66 | 27 | 40 |
U |
43 | 56 |
足軽 | 登用 |
焙烙 | 迎撃 |
- |
ほそかわ | まさもと |
幕府 | 天下布武 | 摂津 | 高家 | (1466-1507)管領。足利義澄を将軍に擁立して幕府の実権を握るが、修験道に凝って政務を家臣に任せ、畿内に混乱を招く。養子三人の家督争いに巻き込まれ、暗殺された。
|
細川 |
政元 |
89 | 27 | 86 |
H |
36 | 99 |
騎馬 | 威圧 |
離反 | 迎撃 |
放火 |
ほそかわ | すみゆき |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 山城 | 高家 | (1489-1507)管領・細川政元の養子。前関白・九条政基の子。主君・政元を暗殺した香西元長らに擁立されて当主となるが、同じく養子の澄元に攻められて敗北、自害した。
|
細川 |
澄之 |
18 | 27 | 23 |
S |
69 | 24 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
あかな | ひさきよ |
無し | 保守鳩派 | 出雲 | 武将 | (1471-1553)尼子家臣。出雲瀬戸山城主。子・光清とともに大内義隆の出雲侵攻軍と戦うが、光清が戦死したため、大内軍に降る。大内軍の撤退後、居城の奪還に成功した。
|
赤穴 |
久清 |
32 | 27 | 41 |
L |
53 | 17 |
長槍 | 改修 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
といだ | おきゆき |
無し | 保守鷹派 | 周防長門 | 高家 | (1479-1527)大内家臣。掃部頭と称す。船岡山合戦で父・弘胤が戦死したため、家督を継ぐ。主君・義興に仕えて奉行人を務めた。三条西実隆と交流を持った文人でもある。
|
問田 |
興之 |
46 | 27 | 50 |
P |
59 | 46 |
足軽 | 哀願 |
威圧 | 修復 |
- |
あかまつ | まさのり |
幕府 | 天下布武 | 播磨 | 高家 | (1455-1496)播磨守護。赤松家は嘉吉の乱により没落していたが、南朝方より神器を奪回した功により再興。浦上則宗の補佐を受けて山名家を駆逐し、旧領回復に成功した。
|
赤松 |
政則 |
72 | 27 | 23 |
M |
78 | 78 |
騎馬 | 農業 |
治療 | - |
- |
あかまつ | よしむら |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 播磨 | 高家 | (1472-1521)播磨守護。赤松政則の娘婿となり、家督を継ぐ。実権を家臣・浦上村宗に握られたため、村宗の追い落としをはかるが果たせず、逆に幽閉されて、暗殺された。
|
赤松 |
義村 |
18 | 27 | 36 |
L |
42 | 60 |
足軽 | 威圧 |
収拾 | - |
- |
こばやかわ | おきひら |
幕府 | 保守鳩派 | 備後 | 武将 | (1505-1526)備後の豪族。扶平の子。足利義稙が将軍職に復帰した際、庶流・竹原小早川弘平に所領が安堵されるが、弘平は領地を要求せず、興平の後見的役割を務めた。
|
小早川 |
興平 |
40 | 27 | 59 |
O |
39 | 22 |
足軽 | 商業 |
威圧 | 誘導 |
- |
さなだ | よりまさ |
無し | 好戦陰湿 | 北信濃 | 国人 | (1488-1546)信濃の豪族。真田家は海野家の庶流といわれる。真田家の名が文献に現れるのは1400年に行われた大塔合戦の模様を記録した『大塔物語』が初めてという。
|
真田 |
頼昌 |
44 | 26 | 39 |
N |
22 | 48 |
騎馬 | 農業 |
治療 | 迎撃 |
- |
はたけやま | よしもと |
幕府 | 保守鳩派 | 能登 | 高家 | (1459-1516)能登守護。義統の嫡男。父の死後家督を継ぐが、弟・慶致を擁立する守護代・遊佐統秀らによって、越後に追われた。のちに和睦して帰国、守護に復帰した。
|
畠山 |
義元 |
46 | 26 | 24 |
T |
32 | 35 |
長槍 | 弁舌 |
威圧 | - |
- |
あわや | ちかひで |
名声 | 保守鳩派 | 越前若狭 | 武将 | (1462-1507)若狭武田家臣。左衛門尉と称す。三条西実隆と親交を結ぶ。若狭遠敷郡松永荘の代官を務めるなど重臣として活躍した。主家の丹後侵攻に従軍し、戦死した。
|
粟屋 |
親栄 |
54 | 26 | 64 |
E |
43 | 64 |
長槍 | 茶湯 |
密偵 | 誘導 |
- |
やくしじ | ながただ |
無し | 好戦直情 | 摂津 | 武将 | (1478-1507)細川家臣。謀叛を起こした兄・元一の討伐に活躍。香西元長とともに主君・政元を暗殺し澄之(政元の養子)を擁立するが、三好之長らに攻められ、戦死した。
|
薬師寺 |
長忠 |
24 | 26 | 72 |
R |
71 | 65 |
長槍 | 登用 |
混乱 | 焙烙 |
- |
はたけやま | よしひで |
幕府 | 保守鷹派 | 河内和泉 | 高家 | (1479-1526)義豊(基家)の子。河内畠山家の家督を巡って、父を討った尚順、および尚順の子・稙長と激しく争った。のちに細川澄元と結んで細川高国と戦うが、敗れた。
|
畠山 |
義英 |
28 | 26 | 53 |
J |
47 | 62 |
足軽 | 登用 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
さんぽんじ | さだたね |
無し | 保守鷹派 | 南越後 | 武将 | (1438-1507)越後上杉家臣。山本寺家は越後上杉家の庶流で、父・朝定は越後守護・上杉房朝(房定の義父)の弟。越後守護代・長尾為景の謀叛の際、主君・房能に殉じた。
|
山本寺 |
定種 |
58 | 25 | 40 |
B |
92 | 12 |
長槍 | 登用 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
よしみ | よりおき |
朝廷・名声 | 好戦人情 | 石見 | 国人 | (1460-1532)石見の豪族。大内家に属す。兄・信頼が酒宴の席で刃傷事件を起こして殺されたため家督を継ぐ。ひたすら大内家に忠誠を尽くし、吉見家の信頼回復に努めた。
|
吉見 |
頼興 |
54 | 25 | 27 |
I |
87 | 4 |
騎馬 | 弁舌 |
鼓舞 | - |
- |
みうら | さだくに |
幕府 | 保守鷹派 | 美作 | 武将 | (1487-1532)美作の豪族。貞連の子。三浦家は源頼朝の奥州征伐で功を立て、会津四郡を賜った佐原義連の末裔・杉本貞宗を始祖とする。貞宗は高田城を築き、居城とした。
|
三浦 |
貞国 |
42 | 25 | 23 |
E |
74 | 18 |
足軽 | 哀願 |
罵声 | - |
- |
はらだ | おきたね |
朝廷 | 保守鳩派 | 筑前 | 国人 | (1479-1538)筑前の豪族。高祖城主。大内家に属し、大内義興の偏諱を受けた。1508年には父・弘種や一門の菩題を弔うため、高祖山麓に太祖山金龍寺を創建している。
|
原田 |
興種 |
22 | 25 | 48 |
O |
42 | 41 |
足軽 | 農業 |
鼓舞 | 修復 |
- |
さがら | ながまさ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 肥後 | 武将 | (1501-1525)肥後の戦国大名。長毎の三男。父の隠居後、家督を継ぐが、相良長定の謀叛により自害。以後、義滋(長毎の長男)の家督相続まで、相良家は内乱状態となる。
|
相良 |
長祇 |
21 | 25 | 58 |
V |
60 | 42 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 誘導 |
- |
にかいどう | ゆきあきら |
朝廷・名声 | 好戦直情 | 岩代 | 武将 | (1462-1500)二階堂家15代当主。山城守と称す。二階堂家は、鎌倉幕府の公文所寄人を務めた工藤行政が、鎌倉二階堂に邸宅を構えて地名を姓としたのに始まるという。
|
二階堂 |
行詮 |
41 | 24 | 18 |
D |
45 | 49 |
騎馬 | 農業 |
罵声 | - |
- |
とおやま | なおかげ |
無し | 保守鷹派 | 山城 | 武将 | (1449-1533)北条家臣。はじめ足利将軍家に仕えるがその際に北条早雲と知り合い、早雲の駿河下向に従ったといわれる。主君・氏綱の江戸城攻略後、江戸城代となった。
|
遠山 |
直景 |
63 | 24 | 45 |
S |
40 | 29 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 迎撃 |
- |
きよの | きよひで |
名声 | 保守鳩派 | 北信濃 | 国人 | (1493-1560)村上家臣。主家に背いた家臣を討ったり真田幸隆と戦うなど、主家の勢力維持に尽力。主君・義清の信濃退去に従い、のちに義清の子・国清の教育係を務めた。
|
清野 |
清秀 |
41 | 24 | 45 |
D |
82 | 51 |
騎馬 | 改修 |
混乱 | 誘導 |
- |
きょうごく | たかひろ |
幕府 | 好戦陰湿 | 近江 | 高家 | (1489-1557)北近江半国の守護。高清の長男。父が養子・高吉に家督を譲ろうとした際、浅井亮政らに擁立され高清・高吉を追う。家督を継ぐも、実権は亮政に奪われた。
|
京極 |
高広 |
18 | 24 | 35 |
L |
34 | 49 |
足軽 | 登用 |
収拾 | - |
- |
ほそかわ | すみもと |
幕府 | 天下布武 | 阿波淡路 | 高家 | (1489-1520)細川政元の養子。細川澄之・香西元長を討ち家督を継ぐが、細川高国と対立し、阿波に逃れる。一時政権を奪還するが、三好之長の死により再び阿波に逃れた。
|
細川 |
澄元 |
55 | 24 | 54 |
H |
46 | 69 |
長槍 | 改修 |
収拾 | 誘導 |
- |
とみた | もりざね |
朝廷 | 保守鷹派 | 岩代 | 武将 | (1475-1524)蘆名家臣。美作と称す。富田家は蘆名四天の宿老の一。主家の盛高・盛滋親子が対立した際は、盛高方に属し、盛滋方に属した松本家らと戦いを繰り広げた。
|
富田 |
盛実 |
20 | 23 | 52 |
C |
74 | 51 |
足軽 | 威圧 |
威圧 | 誘導 |
- |
ぬまた | やすてる |
無し | 保守鳩派 | 上野 | 国人 | (1480-1539)上野の豪族。1519年、幕岩城を築き居城とする。この際、伊勢の外宮を勧請し、原田神明宮を建てた。沼田家は源頼朝に仕えた三浦義澄の末裔といわれる。
|
沼田 |
泰輝 |
38 | 23 | 45 |
A |
69 | 25 |
長槍 | 改修 |
密偵 | 迎撃 |
- |
いいお | のりつら |
無し | 好戦陰湿 | 遠江 | 武将 | (1501-1560)今川家臣。賢連の子。豊前守と称す。羽柴秀吉の最初の主君として知られる松下加兵衛らを寄騎として抱えていたといわれる。桶狭間合戦に従軍し、戦死した。
|
飯尾 |
乗連 |
26 | 23 | 50 |
A |
59 | 23 |
足軽 | 農業 |
混乱 | 迎撃 |
- |
あねがこうじ | なるつぐ |
朝廷 | 天下布武 | 飛騨 | 高家 | (1470-1518)飛騨国司。古河姉小路家。基綱の嫡男。参議に叙任された。父と同じく和歌にすぐれた。1504年、家臣・三木重綱を木曾谷に侵攻させ、木曾義元を討った。
|
姉小路 |
済継 |
60 | 23 | 28 |
U |
38 | 58 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
すえ | ひろあき |
幕府 | 保守鳩派 | 周防長門 | 武将 | (1460-1523)大内家臣。筑前守護代を務め、主君・義興の在京中は領内の安定化に尽力した。文人として著名で、宗祇らと交流を持ちまた「吾妻鏡」を蒐集して書写させた。
|
陶 |
弘詮 |
80 | 23 | 32 |
P |
60 | 49 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
そが | すけしげ |
無し | 好戦陰湿 | 武蔵 | 武将 | (1459-1524)扇谷上杉家臣。河越城代を務めた。父・兵庫は山内上杉家へ和睦の使者として赴くなど、主家の執事として活躍した人物で、太田道灌を殺した張本人でもある。
|
曾我 |
祐重 |
34 | 22 | 48 |
A |
47 | 20 |
騎馬 | 弁舌 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
あねがこうじ | もとつな |
朝廷・名声 | 天下布武 | 飛騨 | 高家 | (1441-1504)飛騨国司。古河姉小路家。参議、権中納言を歴任した。和歌にすぐれ、和歌所寄人を務める。また、宮中での歌会に多数出席し、三条西実隆らと交流を持った。
|
姉小路 |
基綱 |
75 | 22 | 22 |
V |
53 | 34 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
やまな | のぶとよ |
幕府 | 保守鷹派 | 但馬 | 高家 | (1493-1528)政豊の三男。兄・致豊から家督を譲られた。1522年、播磨に侵攻するが、赤松晴政と浦上村宗が和睦して連合し、山名家に対抗したため、敗れて撤退した。
|
山名 |
誠豊 |
27 | 22 | 45 |
T |
58 | 48 |
騎馬 | 威圧 |
密偵 | 迎撃 |
- |
おおたがき | むねひさ |
無し | 保守鳩派 | 但馬 | 武将 | (1479-1538)山名家臣。宗朝の子。1521年、4代目の竹田城主となった。太田垣家は山名四天王の一に数えられる重臣の家柄で、但馬国造・日下部家の末裔といわれる。
|
太田垣 |
宗寿 |
29 | 22 | 20 |
Y |
64 | 46 |
騎馬 | 改修 |
鼓舞 | - |
- |
ほんじょう | すけのぶ |
無し | 保守鷹派 | 豊後 | 武将 | (1469-1539)大友家臣。義長・義鑑の二代に仕え、加判衆を務めた。筆頭宿老として幕府交渉を統括し、また筑後に出陣して大内家と戦うなど、外交・軍事全般で活躍した。
|
本荘 |
右述 |
73 | 22 | 25 |
C |
80 | 47 |
騎馬 | 弁舌 |
治療 | - |
- |
しらかわ | あきより |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 磐城 | 高家 | (1475-1536)白河結城家当主。政朝の子。1520年には岩城家と結んで那須家を攻めるが敗れた。1531年、白河結城家の祖・宗広が開基した長雲山智徳院を再興した。
|
白河 |
顕頼 |
45 | 21 | 20 |
S |
55 | 46 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
あしかが | まさうじ |
名声 | 保守鳩派 | 下総 | 高家 | (1466-1531)古河公方。成氏の子。父が幕府と和睦したあと、家督を継いだ。子・高基と対立し、一時は高基を関宿城に追うが、のちに周辺諸国から圧迫を受け、隠居した。
|
足利 |
政氏 |
56 | 21 | 29 |
W |
41 | 39 |
長槍 | 哀願 |
威圧 | - |
- |
ながお | かげなが |
幕府 | 保守鳩派 | 上野 | 高家 | (1469-1528)山内上杉家臣。足利長尾家の出身。惣社長尾家当主・顕方が上杉顕実とともに逐電したあと、主家の家宰となる。絵画に巧みで、自画像や山水画などを遺した。
|
長尾 |
景長 |
72 | 21 | 36 |
F |
83 | 60 |
騎馬 | 茶湯 |
治療 | - |
- |
せな | かずひで |
幕府 | 保守鷹派 | 遠江 | 旧仏教 | (1432-1511)今川家臣。はじめ喝食であったが、父・堀越貞延の死により還俗。主君・義忠の死後はその子・氏親を補佐し活躍。瀬名郷を与えられ、以後は瀬名姓を称した。
|
瀬名 |
一秀 |
31 | 21 | 34 |
Q |
27 | 13 |
足軽 | 弁舌 |
鼓舞 | - |
- |
たかなし | すみより |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 北信濃 | 国人 | (1487-1523)信濃の豪族。政盛の子。中野小館に拠った。父が関東管領・上杉顕定を討った日を記念して、天王祭りを行ったのが、信州中野の祇園祭の始まりと伝えられる。
|
高梨 |
澄頼 |
28 | 21 | 30 |
H |
30 | 24 |
足軽 | 農業 |
罵声 | - |
- |
あんとう | ひろすえ |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 羽後 | 武将 | (1481-1534)檜山安東家6代当主。忠季の子。1514年、蠣崎光広に対し松前守護職を追認する。同時に「東海将軍」などの称号を使い始め、蝦夷支配権を内外に示した。
|
安東 |
尋季 |
39 | 20 | 19 |
J |
65 | 42 |
長槍 | 改修 |
罵声 | - |
- |
しば | よしたつ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 尾張 | 高家 | (1485-1521)尾張・遠江守護。義良の子。吉良家臣・大河内貞綱と結んで引馬城に拠り、今川氏親の軍勢と戦うが、敗れて捕らえられる。助命と引き替えに、遠江を失った。
|
斯波 |
義達 |
36 | 20 | 24 |
P |
44 | 63 |
騎馬 | 哀願 |
収拾 | - |
- |
しばた | ながつな |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 北越後 | 国人 | (1471-1530)越後の豪族。新発田城主。備前守と称した。新発田家は、兄・定綱とともに源頼朝に仕えて各地で活躍したご家人・佐々木盛綱を祖とする加地家の庶流という。
|
新発田 |
長綱 |
30 | 20 | 20 |
R |
53 | 43 |
長槍 | 弁舌 |
鼓舞 | - |
- |
あしかが | よしずみ |
幕府・名声 | 天下布武 | 相模伊豆 | 高家 | (1479-1511)室町幕府11代将軍。管領・細川政元の後援で将軍となる。政元の死後、大内義興に擁された足利義稙が上洛し、将軍職を追われた。船岡山合戦の直前に死去。
|
足利 |
義澄 |
50 | 20 | 35 |
O |
44 | 38 |
足軽 | 茶湯 |
密偵 | - |
- |
あき | もとやす |
朝廷 | 保守鳩派 | 土佐 | 武将 | (1489-1545)土佐の豪族。山城守と称す。安芸城主。嫡子がないまま早世したため、甥の国虎が家督を継いだ。安芸家は壬申の乱で土佐へ配流された蘇我赤兄の後裔という。
|
安芸 |
元泰 |
28 | 20 | 57 |
F |
28 | 53 |
騎馬 | 商業 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
なみおか | あきとも |
朝廷・名声 | 天下布武 | 陸奥 | 高家 | (1441-1522)浪岡北畠家5代当主。顕義の子。「浪岡御所」と称された。浪岡北畠家は、南北朝時代に鎮守府将軍を務め、南朝方の柱石として活躍した北畠顕家を祖とする。
|
浪岡 |
顕具 |
62 | 19 | 43 |
S |
59 | 37 |
足軽 | 改修 |
威圧 | - |
- |
ひえぬき | たねしげ |
朝廷 | 好戦直情 | 陸中 | 武将 | (1475-1513)陸奥の豪族。大和守と称す。当初、稗貫家は稗貫郡に盤石の勢力を保持したが、1435年に和賀家の内乱に与したため斯波家に攻められて敗れ、勢力を失う。
|
稗貫 |
稙重 |
27 | 19 | 36 |
X |
45 | 44 |
騎馬 | 登用 |
収拾 | - |
- |
きら | よしたか |
幕府 | 保守鷹派 | 三河 | 高家 | (1501-1549)三河吉良家11代当主。義元の子。遠江浜松荘に勢力を拡げ、大河内貞綱を代官として派遣するが、今川家の侵攻により貞綱が戦死したため、浜松荘を失った。
|
吉良 |
義堯 |
26 | 19 | 20 |
K |
37 | 37 |
騎馬 | 茶湯 |
収拾 | - |
- |
いせ | さだむね |
幕府 | 好戦人情 | 山城 | 高家 | (1444-1509)幕府政所執事。父・貞親が斯波家の家督問題で専横の振る舞いがあった際、泣いて諫言したという。殿中の礼式・故実に通じ、伊勢流武家故実を大成させた。
|
伊勢 |
貞宗 |
85 | 19 | 21 |
M |
81 | 6 |
足軽 | 弁舌 |
威圧 | - |
- |
かめい | ひでつな |
名声 | 好戦陰湿 | 出雲 | 武将 | (1471-1537)尼子家臣。1511年の船岡山合戦には主君・経久とともに従軍した。毛利元就の異母弟・相合元綱を籠絡して毛利家の分裂を図ったが、失敗に終わった。
|
亀井 |
秀綱 |
69 | 19 | 76 |
P |
23 | 79 |
足軽 | 弁舌 |
混乱 | 誘導 |
- |
かさい | はるしげ |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 陸前 | 武将 | (1469-1533)葛西家14代当主。政信の子。陸奥守、壱岐守と称す。分裂状態にあった葛西家を一本化するが、その背景には伊達稙宗の強力な軍事介入があったといわれる。
|
葛西 |
晴重 |
35 | 18 | 57 |
R |
69 | 50 |
長槍 | 商業 |
混乱 | 迎撃 |
- |
しらかわ | まさとも |
朝廷 | 好戦直情 | 磐城 | 高家 | (1453-1521)白河結城家当主。子・資永は那須資親の養子となる。蘆名家らとともに佐竹家と戦うが敗れた。庶流の小峰家とも対立して敗れ、資永を頼って那須領に逃れた。
|
白河 |
政朝 |
53 | 18 | 27 |
T |
36 | 53 |
騎馬 | 茶湯 |
鼓舞 | - |
- |
あしかが | たかもと |
無し | 天下布武 | 下総 | 高家 | (1483-1535)古河公方。上杉家と友好関係を保つ父・政氏と対立し、宇都宮家を頼るが、のちに帰国。北条早雲の策謀で再び対立し、父を小山家のもとに追い家督を継いだ。
|
足利 |
高基 |
55 | 18 | 33 |
X |
14 | 17 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | - |
- |
いわまつ | ひさずみ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 上野 | 高家 | (1461-1511)上野金山城主。祖父・家純の死後、家督を継いだ。文芸の道に傾倒したため、家臣・横瀬成繁と対立、のちに古河公方・足利成氏の仲介により隠居させられた。
|
岩松 |
尚純 |
18 | 18 | 18 |
R |
36 | 3 |
足軽 | 茶湯 |
鼓舞 | - |
- |
おおた | すけいえ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 武蔵 | 武将 | (1462-1522)扇谷上杉家臣。道灌の甥で、その養子となる。道灌の陣屋跡に養竹院を創建し、一族の叔悦禅懌(道灌の伯父とも弟ともいわれる)を招いて開山としたという。
|
太田 |
資家 |
39 | 18 | 32 |
P |
55 | 34 |
足軽 | 登用 |
鼓舞 | - |
- |
とおやま | かげさき |
名声 | 保守鷹派 | 美濃 | 国人 | (1488-1556)美濃の豪族。景友の子。岩村城主。八幡神社の社殿を造営したり、菩提寺の大円寺に僧を招くなど、領内の統治に尽力。大円寺は武田軍の攻撃により焼亡した。
|
遠山 |
景前 |
55 | 18 | 45 |
C |
48 | 36 |
長槍 | 登用 |
治療 | - |
- |
あさみ | さだのり |
名声 | 好戦直情 | 近江 | 国人 | (1474-1525)京極家臣。主家の家督争いにおいて上坂信光と対立し、浅井亮政らとともに信光を追った。しかし次第に専横になったため、亮政に攻められて敗れ、没落した。
|
浅見 |
貞則 |
19 | 18 | 27 |
T |
23 | 62 |
足軽 | 農業 |
収拾 | - |
- |
いせ | さだみち |
幕府 | 保守鳩派 | 山城 | 高家 | (1463-1521)幕府政所執事。貞宗の子。父の隠居により家督を継ぐ。山城国守護も務めた。有職故実に詳しく「御成之次第」「よめむかへの事」など多くの著述を遺した。
|
伊勢 |
貞陸 |
77 | 18 | 26 |
L |
61 | 14 |
長槍 | 茶湯 |
収拾 | - |
- |
やすとみ | もといえ |
幕府・名声 | 好戦人情 | 讃岐 | 武将 | (1463-1511)細川家臣。家宰を務め、近江・河内など各地に転戦し、畠山政長を滅ぼすなど活躍。主君・政元が修験道に凝って政務をおろそかにした際は、政務を代行した。
|
安富 |
元家 |
74 | 18 | 18 |
S |
94 | 36 |
長槍 | 登用 |
威圧 | - |
- |
つつい | じゅんけん |
幕府 | 保守鷹派 | 大和 | 旧仏教 | (1480-1533)大和の国衆。順尊の長男。叔父・成身院順盛の後見で政務を執行。細川家臣・赤沢朝経の侵攻を何度も受け、逃散と帰国を繰り返すなど、苦闘の日々を送った。
|
筒井 |
順賢 |
37 | 18 | 53 |
A |
39 | 58 |
騎馬 | 農業 |
罵声 | 迎撃 |
- |