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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
ひえぬき | はるいえ |
幕府 | 保守鳩派 | 陸中 | 武将 | (1489-1564)陸奥の豪族。葛西宗清(伊達成宗の子)の子。稗貫家は伊達為家(伊達家始祖・朝宗の三男)の子・為重が稗貫郡に下向した際に、地名を姓としたという。
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稗貫 |
晴家 |
18 | 28 | 9 |
L |
46 | 10 |
足軽 | 登用 |
治療 | - |
- |
るす | かげむね |
幕府 | 保守鳩派 | 陸前 | 武将 | (1492-1554)留守家16代当主。伊達尚宗の子。15代当主・郡宗の娘を娶り、家督を継ぐ。戦国大名の組織などを知る上で貴重な史料とされる「留守分限帳」を作成した。
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留守 |
景宗 |
72 | 34 | 37 |
L |
55 | 26 |
長槍 | 登用 |
治療 | 誘導 |
- |
るす | あきむね |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 陸前 | 武将 | (1519-1586)留守家17代当主。景宗の嫡男。国分家らと戦いを繰り返した。のちに伊達晴宗の三男・政景を娘婿として隠居。この際嫡男・宗綱は高城家の養子となった。
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留守 |
顕宗 |
60 | 24 | 19 |
L |
72 | 13 |
足軽 | 商業 |
密偵 | - |
- |
るす | まさかげ |
幕府 | 保守鳩派 | 羽前 | 武将 | (1549-1607)留守家18代当主。伊達晴宗の三男。留守顕宗の娘を娶り家督を継ぐ。兄・輝宗や甥・政宗に従い、相馬家や最上家などと戦った。のちに伊達姓に復した。
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留守 |
政景 |
53 | 57 | 49 |
L |
57 | 31 |
騎馬 | 農業 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
さとう | よしのぶ |
無し | 保守鳩派 | 磐城 | 武将 | (1514-1563)相馬家臣。佐藤家はもと岩城家臣であったが、好信の代に相馬家に属す。軍奉行を務めたが、郡左馬助の讒言により領地を没収され、失意のうちに病死した。
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佐藤 |
好信 |
63 | 37 | 34 |
L |
53 | 26 |
長槍 | 商業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
さとう | ためのぶ |
名声 | 好戦陰湿 | 磐城 | 武将 | (1543-1591)相馬家臣。好信の子。小斎城主。伊達家との合戦の際、援軍に来た郡左馬助を討ち、父の敵をとる。直後に伊達家に属した。のちに佐沼の戦いで戦死した。
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佐藤 |
為信 |
40 | 49 | 56 |
L |
27 | 59 |
騎馬 | 改修 |
罵声 | 誘導 |
- |
だて | てるむね |
幕府 | 好戦人情 | 羽前 | 武将 | (1544-1585)伊達家16代当主。晴宗の次男。相馬家とたびたび争う。嫡男・政宗に家督を譲った翌年、二本松義継に拉致され、救援に来た伊達軍の銃撃に巻き込まれ死去。
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伊達 |
輝宗 |
70 | 54 | 45 |
L |
81 | 61 |
足軽 | 農業 |
離反 | 誘導 |
- |
だて | さねもと |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 陸前 | 武将 | (1527-1587)伊達家臣。稙宗の三男。越後上杉家に入嗣する予定だったが、兄・晴宗の阻止により天文の大乱が起こった。乱中は稙宗に属すが、乱の終息後は晴宗に仕えた。
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伊達 |
実元 |
55 | 50 | 48 |
L |
53 | 56 |
長槍 | 登用 |
収拾 | 誘導 |
- |
だて | しげざね |
幕府 | 天下布武 | 陸前 | 武将 | (1568-1646)伊達家臣。実元の子。「武」の面で主君の政宗を補佐した伊達家中随一の猛将。「英毅大略あり」と評された。晩年には徳川家光に奥州の軍談を語っている。
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伊達 |
成実 |
46 | 81 | 44 |
L |
67 | 60 |
騎鉄 | 威圧 |
焙烙 | 破壊 |
突入 |
えんどう | もとのぶ |
無し | 好戦人情 | 羽前 | 武将 | (1532-1585)伊達家臣。中野宗時の失脚後、輝宗の厚い信任を受けて宿老となる。政事を担当し、織田信長などとも書簡をやりとりした。輝宗の死後、その墓前で殉死した。
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遠藤 |
基信 |
76 | 21 | 68 |
L |
95 | 7 |
長槍 | 弁舌 |
密偵 | 誘導 |
- |
おににわ | よしなお |
幕府 | 好戦人情 | 陸前 | 武将 | (1513-1585)伊達家臣。稙宗の子・盛重が国分家に入嗣する際、国分家に赴き仕置を行った。のちに評定役となる。人取橋合戦の際に老齢の身ながら殿軍を務め、戦死した。
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鬼庭 |
良直 |
26 | 66 | 28 |
L |
75 | 30 |
騎馬 | 改修 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
おににわ | つなもと |
幕府・名声 | 天下布武 | 陸前 | 武将 | (1549-1640)伊達家臣。主君・政宗の腹心となる。朝鮮派兵の際に、豊臣秀吉の愛妾・香の前を賜り、政宗の怒りを買って出奔。のちに帰参し、国老として国政に携わった。
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鬼庭 |
綱元 |
63 | 48 | 63 |
L |
68 | 42 |
騎鉄 | 登用 |
離反 | 誘導 |
分断 |
かわむら | しげよし |
名声 | 保守鳩派 | 周防長門 | 武将 | (1575-1648)伊達家臣。算術、水利に精通し、北上川の改修工事をはじめとして数々の土木事業を担当する。実質200万石といわれた仙台藩の経済基盤の礎を作り上げた。
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川村 |
重吉 |
81 | 1 | 15 |
L |
57 | 3 |
足軽 | 農業 |
治療 | - |
- |
さかい | としふさ |
無し | 保守鷹派 | 上総安房 | 国人 | (1511-1577)里見家臣。東金城主。正木時茂や土岐為頼とともに里見家中で勇名を馳せる。第一次国府台合戦の際には殿軍を務めた。のちに主家を離反し、北条家に属した。
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酒井 |
敏房 |
54 | 62 | 67 |
L |
52 | 58 |
長槍 | 農業 |
修復 | 挑発 |
迎撃 |
さかい | まさとき |
無し | 保守鷹派 | 上総安房 | 国人 | (1544-1603)北条家臣。東金城主。敏房の子。豊臣秀吉の小田原征伐の際は居城に籠城した。主家滅亡後は居城を退去し、隠退した。子孫は徳川家に旗本として仕えた。
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酒井 |
政辰 |
32 | 36 | 53 |
L |
39 | 37 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
おばた | のりしげ |
幕府 | 好戦直情 | 上野 | 国人 | (1522-1575)山内上杉家臣。妻は長野業正の妹。一族の謀叛により流浪、武田信玄に属す。信玄の上野攻略に貢献、西上野先方衆筆頭となった。長篠合戦で戦死したという。
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小幡 |
憲重 |
14 | 67 | 65 |
L |
81 | 46 |
騎馬 | 農業 |
治療 | 収拾 |
破壊 |
おばた | のぶさだ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 上野 | 国人 | (1541-1592)武田家臣。憲重の子。西上野先方衆の主力として活躍した。主家の滅亡後は北条家に仕え、北条家滅亡後は上田城主・真田昌幸のもとに赴き、庇護を受けた。
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小幡 |
信貞 |
27 | 49 | 36 |
L |
47 | 42 |
騎馬 | 商業 |
罵声 | 迎撃 |
- |
おおた | うじふさ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 相模伊豆 | 武将 | (1565-1592)北条家臣。岩付城主。北条氏政の三男。太田氏資の娘を娶り、家督を継いだ。豊臣秀吉の小田原征伐では居城に籠城。戦後、兄・氏直とともに高野山に上った。
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太田 |
氏房 |
48 | 24 | 27 |
L |
53 | 22 |
足軽 | 弁舌 |
鼓舞 | - |
- |
みやぎ | まさなり |
無し | 保守鳩派 | 武蔵 | 武将 | (1495-1589)岩付太田家臣。北条氏政の三男・氏房の岩付太田家入嗣後は北条家に属す。孫・泰業は馬上奉行を務め、主家滅亡後は主君・氏房らとともに高野山に上った。
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宮城 |
政業 |
51 | 34 | 47 |
L |
33 | 70 |
騎馬 | 登用 |
密偵 | 迎撃 |
- |
あまの | かげつら |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 遠江 | 武将 | (1532-1595)今川家臣。犬居城主。田原本宿の合戦で功を立てた。主家滅亡後は武田家に仕え徳川家と戦う。武田家滅亡後は北条家に属し、佐竹家との戦いで功を立てた。
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天野 |
景貫 |
36 | 37 | 45 |
L |
22 | 65 |
長槍 | 弁舌 |
威圧 | 誘導 |
- |