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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
ひらた | きよのり |
名声 | 保守鳩派 | 岩代 | 武将 | (1519-1583)蘆名家臣。輔範の子。平田家は蘆名四天の宿老の一。是亦斎と称す。大槻城主の大槻政通が謀叛を起こした際、主君・盛氏に従って出陣し、鎮定した。
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平田 |
舜範 |
41 | 28 | 41 |
D |
36 | 33 |
足軽 | 弁舌 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
けいとく | のりしげ |
無し | 好戦直情 | 岩代 | 武将 | (1555-1594)蘆名家臣。平田舜範の子。松本行輔(氏輔の子)の謀叛鎮定などに活躍した。伊達軍が蘆名領に侵攻した際は、中目盛光とともに奮戦し、これを破った。
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慶徳 |
範重 |
16 | 59 | 29 |
D |
68 | 39 |
長槍 | 改修 |
威圧 | 迎撃 |
- |
すだ | もりひで |
無し | 保守鷹派 | 岩代 | 武将 | (1519-1589)二階堂家臣。家老を務めた。主君・盛隆が謀殺されたあとは、実質的な城代として領内を統治。摺上原合戦後、伊達家の大軍に攻められ、将兵全員戦死した。
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須田 |
盛秀 |
36 | 55 | 33 |
D |
84 | 23 |
長槍 | 弁舌 |
収拾 | 迎撃 |
- |
くろさわ | みちいえ |
無し | 好戦人情 | 羽後 | 武将 | (1567-1623)小野寺家臣。黒沢城主。有屋峠合戦などで活躍した。主家改易後は佐竹家に仕え一揆の鎮圧や新田開発に携わった。大坂の陣では旗頭として従軍し、活躍した。
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黒沢 |
道家 |
65 | 61 | 27 |
D |
65 | 41 |
長槍 | 農業 |
威圧 | 誘導 |
- |
さけのべ | さだつな |
名声 | 保守鷹派 | 羽後 | 国人 | (1516-1568)小野寺家臣。本姓佐々木。1535年に鮭延城を築く。1546年には鮭川のほとりに堂を建て、先祖より伝わる慈覚大師作の聖観音像を祀った(庭月観音)。
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鮭延 |
貞綱 |
36 | 34 | 52 |
D |
34 | 54 |
足軽 | 改修 |
治療 | 迎撃 |
- |
さけのべ | ひでつな |
無し | 好戦直情 | 羽後 | 国人 | (1562-1646)小野寺家臣。鮭延城主。貞綱の子。最上義光との合戦に敗れ、家臣となる。仙北地方で起こった一揆の鎮圧や、最上領に侵入した上杉軍との戦いで功を立てた。
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鮭延 |
秀綱 |
34 | 59 | 63 |
D |
41 | 43 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | 収拾 |
迎撃 |
にしの | みちとし |
無し | 保守鷹派 | 羽後 | 武将 | (1553-1596)出羽の豪族で、西野館主。修理亮と称した。小野寺家に仕え、1586年に最上家と戦った有屋峠合戦や、1587年の唐松山合戦などに従軍し、活躍した。
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西野 |
道俊 |
23 | 32 | 30 |
D |
47 | 31 |
足軽 | 農業 |
密偵 | - |
- |
にがほ | たかのぶ |
名声 | 保守鳩派 | 羽前 | 国人 | (1560-1625)由利十二党の筆頭。文禄の役では肥前名護屋城に在陣した。会津征伐で功を立て徳川家康から感状を授かった。関ヶ原合戦では東軍に属し、所領を安堵された。
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仁賀保 |
挙誠 |
61 | 39 | 55 |
D |
33 | 69 |
長槍 | 商業 |
威圧 | 誘導 |
- |
もがみ | よしもり |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 羽前 | 武将 | (1521-1590)最上家10代当主。2歳で家督を相続する。次男・義時を偏愛して家督を譲ろうとするが、伊達家の騒動に乗じた長男・義光が決起、強制的に隠居させられた。
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最上 |
義守 |
30 | 21 | 18 |
D |
15 | 53 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
しみず | よしちか |
幕府 | 好戦直情 | 羽前 | 武将 | (1582-1614)最上家臣。最上義光の三男。兄・家親と同年生まれという。清水城主・清水義氏の養子となった。のちに兄と対立し、日野将監らに攻められ敗北、自害した。
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清水 |
義親 |
38 | 43 | 45 |
D |
60 | 43 |
騎馬 | 威圧 |
治療 | 誘導 |
- |
もがみ | よしただ |
幕府 | 好戦陰湿 | 羽前 | 武将 | (1588-1664)最上家臣。最上義光の四男。甥・義俊に代わる当主候補に推される。しかしこれが御家騒動を招き、主家は改易された。のちに水戸徳川家に仕え家老を務めた。
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最上 |
義忠 |
50 | 39 | 52 |
D |
29 | 74 |
長槍 | 登用 |
離反 | 迎撃 |
- |
なかの | よしとき |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 羽前 | 武将 | (1550-1574)最上家臣。最上義守の次男。父の偏愛を受け、兄・義光と家督を巡り対立。義光の政策に反発する天童頼貞らに擁立されて戦うが、義光に攻められて自害した。
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中野 |
義時 |
27 | 12 | 17 |
D |
24 | 29 |
足軽 | 弁舌 |
罵声 | - |
- |
おだ | のぶひで |
朝廷 | 天下布武 | 尾張 | 武将 | (1510-1551)尾張の戦国大名。「尾張の虎」と呼ばれた猛将で、尾張統一を目指して近隣の今川家、斎藤家らと抗争を続けたが、志半ばにして流行病にかかり、急死した。
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織田 |
信秀 |
46 | 78 | 36 |
D |
44 | 94 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 破壊 |
突入 |
おだ | のぶなが |
朝廷 | 天下布武 | 尾張 | 武将 | (1534-1582)信秀の嫡男。今川義元を桶狭間で破る。以後、天下布武を標榜して敵対勢力を次々と滅ぼした。天下統一を目前にして、明智光秀の謀叛に遭い本能寺に散った。
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織田 |
信長 |
90 | 82 | 88 |
D |
40 | 100 |
鉄砲 | 登用 |
鼓舞 | 焙烙 |
突入 |
おだ | のぶただ |
朝廷 | 天下布武 | 尾張 | 武将 | (1557-1582)信長の嫡男。松永久秀の謀叛鎮圧や甲斐平定戦などで功を立てた。信長から家督を譲られ、美濃・尾張の2国を領する。本能寺の変の際、二条御所で自害した。
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織田 |
信忠 |
59 | 63 | 44 |
D |
84 | 70 |
鉄砲 | 農業 |
離反 | 収拾 |
誘導 |
おだ | ひでのぶ |
朝廷・名声 | 天下布武 | 美濃 | 武将 | (1580-1605)信忠の嫡男。本能寺の変後、羽柴秀吉に擁立されて3歳で織田家を継ぐが、実権は秀吉に奪われた。関ヶ原合戦で西軍に加担して敗北し、高野山で出家した。
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織田 |
秀信 |
44 | 35 | 10 |
D |
75 | 46 |
鉄砲 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
おだ | のぶみつ |
朝廷 | 好戦直情 | 尾張 | 武将 | (1516-1555)信定の子。武勇に優れ、今川家との小豆坂合戦では殿軍を務めた。甥・信長の清洲城攻略戦で活躍し、那古野城主となるが、その数ヶ月後に家臣に謀殺された。
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織田 |
信光 |
47 | 50 | 53 |
D |
50 | 51 |
長槍 | 農業 |
混乱 | 破壊 |
- |
ひらて | まさひで |
朝廷・名声 | 天下布武 | 尾張 | 武将 | (1492-1553)織田家臣。次席家老。信長の傅役を務めた。信長の妻に斎藤道三の娘・帰蝶を迎えるよう尽力するなど、外交面で活躍。信長の奇行を改めさせるため諫死した。
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平手 |
政秀 |
75 | 33 | 70 |
D |
80 | 26 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | 誘導 |
迎撃 |
さくま | のぶもり |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 尾張 | 武将 | (1527-1581)織田家臣。各地の合戦で活躍し「のき佐久間」の異名をとる。石山本願寺攻めの総大将を務めるが、本願寺の退去後、怠慢不手際の叱責を受け、追放された。
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佐久間 |
信盛 |
51 | 42 | 30 |
D |
49 | 63 |
鉄砲 | 改修 |
治療 | 誘導 |
- |
さくま | のぶひで |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 尾張 | 武将 | (1556-1631)織田家臣。信盛の子。父とともに追放されるが、父の死後、許されて織田信雄に仕えた。信雄の改易後は豊臣秀吉に仕えて御咄衆となった。茶人としても著名。
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佐久間 |
信栄 |
27 | 5 | 4 |
D |
9 | 12 |
足軽 | 茶湯 |
誘導 | - |
- |