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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
にかいどう | ゆきあきら |
朝廷・名声 | 好戦直情 | 岩代 | 武将 | (1462-1500)二階堂家15代当主。山城守と称す。二階堂家は、鎌倉幕府の公文所寄人を務めた工藤行政が、鎌倉二階堂に邸宅を構えて地名を姓としたのに始まるという。
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二階堂 |
行詮 |
41 | 24 | 18 |
D |
45 | 49 |
騎馬 | 農業 |
罵声 | - |
- |
もがみ | よしあつ |
幕府 | 保守鳩派 | 羽前 | 武将 | (1455-1504)最上家8代当主。満氏の子。左衛門佐と称す。最上家は斯波家兼(大崎家の祖)の次男・兼頼が羽州探題として出羽最上郡に入り、地名を姓としたのに始まる。
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最上 |
義淳 |
34 | 38 | 43 |
D |
65 | 30 |
足軽 | 商業 |
罵声 | 誘導 |
- |
おだ | のぶさだ |
朝廷 | 好戦人情 | 尾張 | 武将 | (1486-1538)斯波家臣。良信の子。織田達勝配下で、「清洲三奉行」の一人として活躍。勝幡城を築いて居城とし、近隣の津島湊を支配して、織田家の財政的基盤を築いた。
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織田 |
信定 |
72 | 29 | 31 |
D |
61 | 23 |
騎馬 | 商業 |
鼓舞 | - |
- |
きよの | きよひで |
名声 | 保守鳩派 | 北信濃 | 国人 | (1493-1560)村上家臣。主家に背いた家臣を討ったり真田幸隆と戦うなど、主家の勢力維持に尽力。主君・義清の信濃退去に従い、のちに義清の子・国清の教育係を務めた。
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清野 |
清秀 |
41 | 24 | 45 |
D |
82 | 51 |
騎馬 | 改修 |
混乱 | 誘導 |
- |
うんの | むねつな |
無し | 保守鷹派 | 北信濃 | 国人 | (1463-1532)信濃の豪族。海野家は、信濃国小県郡海野を本拠とした古代からの豪族で、禰津家や望月家は海野家の庶流といわれる。娘は真田頼昌に嫁ぎ、幸隆を生んだ。
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海野 |
棟綱 |
27 | 31 | 29 |
D |
63 | 40 |
長槍 | 農業 |
密偵 | - |
- |
さいとう | さだのぶ |
無し | 保守鷹派 | 南越後 | 武将 | (1490-1539)長尾家臣。昌信の子。下野守と称す。1510年、苅羽郡原田竹町に関する文書を善照寺増珎に渡し、また苅羽郡竹町の名田について、証状を作成したという。
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斎藤 |
定信 |
40 | 34 | 60 |
D |
52 | 57 |
足軽 | 商業 |
密偵 | 修復 |
- |
じんぼう | よしむね |
幕府 | 保守鳩派 | 越中 | 武将 | (1474-1520)畠山家臣。長誠の子。一向一揆撃退のため越中に侵攻した長尾能景に協力せず、能景は戦死。そのため能景の子・為景に恨まれ、猛攻を受けて敗れ、自害した。
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神保 |
慶宗 |
54 | 45 | 36 |
D |
45 | 56 |
騎馬 | 登用 |
鼓舞 | 破壊 |
- |
しいな | よしたね |
朝廷 | 保守鷹派 | 越中 | 武将 | (1475-1520)畠山家臣。新川郡守護代を務めた。1498年、主君・尚慶(尚順)の偏諱を受ける。長尾為景が越中に侵攻した際は神保慶宗に属して戦うが敗れ、自害した。
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椎名 |
慶胤 |
23 | 36 | 28 |
D |
49 | 50 |
長槍 | 弁舌 |
罵声 | - |
- |
みうら | さだつら |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 美作 | 武将 | (1463-1509)美作の豪族。将軍・足利義尚が近江守護の六角家を討伐した際、従軍。文亀年間(1501〜1504)には山名家の支城・篠向城を攻略し、家臣に守らせた。
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三浦 |
貞連 |
52 | 64 | 63 |
D |
66 | 62 |
長槍 | 哀願 |
混乱 | 誘導 |
分断 |
しきち | ふじやす |
朝廷・名声 | 好戦人情 | 土佐 | 高家 | (1469-1540)土佐一条家臣。民部少輔と称す。主君・房冬の傅役を務めたが、娘が房冬の妻となったことから、ほかの家臣が嫉妬して讒言され、房冬から自害を命じられた。
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敷地 |
藤安 |
74 | 31 | 18 |
D |
95 | 11 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | - |
- |
おおとも | よしなが |
幕府・名声 | 天下布武 | 豊後 | 武将 | (1481-1518)大友家19代当主。3カ国の守護を務める。父・親治の後見を受けて家督を継ぎ分国法「義長条々」を定めるなど領内の統治に努めたが、父に先立ち病死した。
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大友 |
義長 |
67 | 72 | 75 |
D |
30 | 69 |
長槍 | 登用 |
虚報 | 迎撃 |
分断 |
あそ | これのり |
朝廷 | 保守鷹派 | 肥後 | 旧仏教 | (1447-1508)阿蘇大宮司。惟忠の子。父の死後、菊池家臣・隈部忠直らの調停で阿蘇家を継ぎ南北朝時代から続いていた阿蘇家の内紛を終息させた。娘は大友義鑑に嫁いだ。
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阿蘇 |
惟憲 |
57 | 39 | 29 |
D |
27 | 58 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
みなもと | よりとも |
幕府・名声 | 天下布武 | 相模伊豆 | 高家 | (1554-1606)鎌倉幕府初代将軍。父・義朝が平治の乱で敗死したため、流人として幼少時代を過ごす。東国武士を糾合して平氏と奥州藤原家を滅ぼし、鎌倉に幕府を開いた。
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源 |
頼朝 |
100 | 77 | 97 |
D |
16 | 45 |
騎馬 | 農業 |
密偵 | 焙烙 |
迎撃 |
みなもと | よしいえ |
幕府 | 好戦人情 | 摂津 | 高家 | (1562-1629)平安末期の武将。八幡太郎と称す。後三年の役などで活躍したが、朝廷からの恩賞がなかったため、私財を投じて将士をねぎらい、東国に源氏の基礎を築いた。
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源 |
義家 |
46 | 92 | 64 |
D |
74 | 14 |
長槍 | 農業 |
威圧 | 修復 |
迎撃 |
くまの | たんぞう |
朝廷 | 好戦直情 | 紀伊 | 旧仏教 | (1559-1627)源平期の紀伊の豪族。はじめ平清盛に属して源氏と戦うも、清盛の死後、源氏に寝返る。屋島・壇ノ浦合戦などで活躍した。のちに熊野別当に就任した。
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熊野 |
湛増 |
50 | 88 | 73 |
D |
61 | 28 |
騎馬 | 改修 |
焙烙 | 挑発 |
分断 |