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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
おおうち | よしなが |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 豊後 | 高家 | (1532-1557)大内家32代当主。大友義鑑の子。大内義隆の死後、陶晴賢に擁されて大内家を継いだ。厳島合戦で晴賢が戦死したあとは毛利軍の侵攻を受け続け、自害した。
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大内 |
義長 |
35 | 18 | 11 |
C |
56 | 18 |
足軽 | 茶湯 |
誘導 | - |
- |
おおとも | よしあき |
幕府 | 天下布武 | 豊後 | 武将 | (1502-1550)大友家20代当主。大内家ら周辺諸国と争い、勢力を拡大する。嫡男・義鎮の廃嫡を画策したため二階崩れの変が勃発。家臣に斬られて重傷を負い、死去した。
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大友 |
義鑑 |
71 | 70 | 63 |
D |
49 | 89 |
長槍 | 商業 |
混乱 | 破壊 |
迎撃 |
おおとも | そうりん |
幕府 | 好戦陰湿 | 豊後 | 切支丹 | (1530-1587)大友家21代当主。義鑑の子。のち宗麟と号す。最盛期には九州6ヶ国を領したが、耳川合戦で島津軍に敗れて家臣を多数失い、以後は没落の一途をたどった。
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大友 |
宗麟 |
77 | 72 | 65 |
C |
2 | 95 |
鉄砲 | 威圧 |
罵声 | 威圧 |
迎撃 |
おおとも | よしむね |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 豊後 | 武将 | (1558-1610)大友家22代当主。義鎮の子。島津・龍造寺両家に圧迫され、豊臣秀吉を頼り豊後1国を安堵された。しかし朝鮮派兵の際に敵前逃亡を犯したため改易された。
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大友 |
義統 |
44 | 33 | 11 |
C |
36 | 42 |
足軽 | 哀願 |
誘導 | - |
- |
たわら | ちかいえ |
幕府 | 好戦直情 | 豊後 | 切支丹 | (1561-1641)大友家臣。宗麟の次男。父の命で僧侶となるが、武術に励み、のちに還俗。島津義久に通じたため、所領を没収される。主家改易後は肥後細川家などに仕えた。
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田原 |
親家 |
25 | 60 | 23 |
E |
59 | 72 |
長槍 | 農業 |
誘導 | 挑発 |
- |
たわら | ちかもり |
幕府 | 保守鷹派 | 豊後 | 切支丹 | (1567-1643)大友家臣。宗麟の三男。耳川合戦の際は豊後に残った。おもに豊前方面で活動する。戸次川合戦に従軍するが、島津軍に敗れた。主家改易後は細川家に仕えた。
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田原 |
親盛 |
30 | 47 | 35 |
E |
40 | 64 |
鉄砲 | 威圧 |
威圧 | 誘導 |
- |
きくち | よしたけ |
幕府 | 好戦直情 | 肥後 | 武将 | (1505-1554)大友義長の次男。肥後の名家・菊池家を継ぐ。大内家と結んで兄・義鑑と戦うが敗れた。二階崩れの変後、再起して肥後の制圧をはかるが甥・宗麟に討たれた。
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菊池 |
義武 |
18 | 28 | 16 |
E |
11 | 82 |
足軽 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
おおとも | ちかはる |
幕府 | 天下布武 | 豊後 | 武将 | (1461-1524)大友家18代当主。兄・政親と甥・義右の相次ぐ死去により家督を継ぐ。政親・義右親子の対立を策謀した勢力を鎮圧するなど、大友家の勢力回復に尽力した。
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大友 |
親治 |
81 | 79 | 67 |
C |
70 | 60 |
長槍 | 商業 |
威圧 | 焙烙 |
誘導 |
おおとも | よしなが |
幕府・名声 | 天下布武 | 豊後 | 武将 | (1481-1518)大友家19代当主。3カ国の守護を務める。父・親治の後見を受けて家督を継ぎ分国法「義長条々」を定めるなど領内の統治に努めたが、父に先立ち病死した。
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大友 |
義長 |
67 | 72 | 75 |
D |
30 | 69 |
長槍 | 登用 |
虚報 | 迎撃 |
分断 |