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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
うじいえ | さだなお |
無し | 好戦人情 | 羽前 | 武将 | (1512-1571)最上家臣。天文の大乱の際には主君・義守の名代として出陣した。主家の御家騒動の際は、重病の身ながら義守を説得して義光への家督譲り渡しを実現させた。
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氏家 |
定直 |
58 | 50 | 70 |
C |
84 | 52 |
長槍 | 弁舌 |
虚報 | 修復 |
迎撃 |
うじいえ | もりむね |
無し | 好戦陰湿 | 羽前 | 武将 | (1534-1596)最上家臣。定直の子。知略に長け、天童家や白鳥家の討伐に貢献した。また伊達家への使者を務めたり、真室城の攻略で戦功を立てるなど、各方面で活躍した。
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氏家 |
守棟 |
52 | 62 | 72 |
C |
72 | 51 |
騎馬 | 登用 |
混乱 | 誘導 |
迎撃 |
うじいえ | みつうじ |
無し | 好戦直情 | 羽前 | 武将 | (1568-1627)最上家臣。成沢家の出身で、守棟の跡を継いだ。関ヶ原合戦では、侵攻してきた上杉景勝軍を相手に奮戦する。家親が当主になると、領国の治政を担当した。
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氏家 |
光氏 |
17 | 63 | 44 |
C |
75 | 51 |
騎馬 | 改修 |
鼓舞 | 迎撃 |
突入 |
きただて | としなが |
名声 | 保守鳩派 | 羽前 | 武将 | (1548-1625)最上家臣。大学と称す。治水工事を行って庄内平野の水不足を解消させた。この堰は「大学堰」と呼ばれ、主君・義光が「庄内末世の重宝」と絶賛したという。
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北楯 |
利長 |
72 | 14 | 55 |
C |
63 | 28 |
鉄砲 | 農業 |
治療 | 誘導 |
- |
しむら | みつやす |
無し | 好戦人情 | 羽前 | 武将 | (1565-1609)最上家臣。主君・義光の腹心として活躍し「いかなる強敵も彼には降った」といわれた。関ヶ原合戦の際は長谷堂城を守り、直江兼続の大軍を見事に撃退した。
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志村 |
光安 |
25 | 55 | 62 |
C |
78 | 31 |
騎馬 | 威圧 |
密偵 | 迎撃 |
放火 |
たておか | みつしげ |
名声 | 好戦陰湿 | 羽前 | 武将 | (1556-1639)最上家臣。湯沢城主。関ヶ原合戦の際には小野寺家の攻撃を受けたが、孤軍奮闘して居城を守り抜いた。知行は最上家臣団の中で最高の4万8千石を領した。
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楯岡 |
満茂 |
36 | 55 | 56 |
C |
57 | 55 |
騎馬 | 商業 |
治療 | 迎撃 |
分断 |
にいぜき | ひさまさ |
名声 | 保守鳩派 | 羽前 | 武将 | (1582-1642)最上家臣。因幡守と称す。赤川の水を引く工事を行うが、主家改易により土井利勝預かりとなり、工事は中断。後年、用水堰は完成し「因幡堰」と呼ばれた。
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新関 |
久正 |
70 | 36 | 35 |
C |
60 | 25 |
鉄砲 | 農業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
とくがわ | ひでただ |
幕府 | 好戦陰湿 | 遠江 | 武将 | (1579-1632)家康の三男。関ヶ原合戦の際、中山道からの進軍を真田昌幸に阻まれ、父の不興を買う。しかし、凡庸篤実な人柄を父に見込まれ、江戸幕府2代将軍となった。
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徳川 |
秀忠 |
80 | 25 | 81 |
C |
29 | 94 |
鉄砲 | 商業 |
混乱 | 罵声 |
誘導 |
いしかわ | かずまさ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 三河 | 武将 | (1533-1592)徳川家臣。家老を務め、西三河衆を率いて活躍した。小牧長久手合戦の後、豊臣家へ出奔。そのため、徳川家は三河以来の軍制を武田流に改めることになった。
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石川 |
数正 |
76 | 51 | 72 |
C |
38 | 52 |
長槍 | 弁舌 |
離反 | 収拾 |
分断 |
いしかわ | やすなが |
幕府 | 保守鳩派 | 三河 | 武将 | (1558-1642)徳川家臣。数正の子。父に従い主家を出奔、豊臣家に属す。父の死後、信濃松本6万石を相続。関ヶ原合戦では東軍に属す。のちに領地隠匿の罪で改易された。
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石川 |
康長 |
44 | 14 | 34 |
C |
47 | 20 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
おおくぼ | ただちか |
幕府・名声 | 天下布武 | 三河 | 武将 | (1553-1628)徳川家臣。忠世の嫡男。徳川秀忠の付家老を務める。秀忠および直参旗本からの信頼は絶大であったが、のちに政敵・本多正信の失脚工作によって改易された。
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大久保 |
忠隣 |
69 | 43 | 18 |
C |
68 | 69 |
鉄砲 | 茶湯 |
収拾 | - |
- |
あおやま | ただなり |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 三河 | 武将 | (1551-1613)徳川家臣。徳川秀忠の傅役を務める。関ヶ原合戦後、内藤清成らとともに江戸奉行・関東総奉行を務めた。しかし、のちに主君・家康の勘気を受け、蟄居した。
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青山 |
忠成 |
61 | 36 | 51 |
C |
58 | 45 |
足軽 | 哀願 |
密偵 | 誘導 |
- |
あおやま | ただとし |
幕府 | 好戦人情 | 三河 | 武将 | (1578-1643)徳川家臣。土井利勝らとともに徳川家光の傅役となる。家光の勘気を受けて改易されると、出仕要請を断り隠居した。子の宗俊は家光の子・家綱の傅役となる。
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青山 |
忠俊 |
57 | 28 | 15 |
C |
67 | 21 |
鉄砲 | 登用 |
罵声 | - |
- |
いたくら | かつしげ |
幕府 | 天下布武 | 三河 | 旧仏教 | (1545-1624)徳川家臣。はじめ僧侶であったが、父と弟の死により還俗、家督を継ぐ。駿府や江戸の町奉行を務めたあと、京都所司代となり、西国諸大名らの監視を行った。
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板倉 |
勝重 |
81 | 13 | 81 |
C |
75 | 52 |
足軽 | 弁舌 |
離反 | 修復 |
誘導 |
いな | ただつぐ |
幕府 | 保守鳩派 | 三河 | 一向宗 | (1550-1610)徳川家臣。主君・家康の近習として民政に参画。関東全土で検地や治水を行い、江戸幕府の経済基盤確立に貢献した。その地方仕法は「伊奈流」と呼ばれた。
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伊奈 |
忠次 |
83 | 1 | 11 |
C |
45 | 3 |
足軽 | 農業 |
焙烙 | - |
- |
どい | としかつ |
幕府・名声 | 天下布武 | 三河 | 武将 | (1573-1644)徳川家臣。水野信元の子。徳川家康の落胤という説もある。秀忠・家光と将軍2代に仕えて老中・大老などを歴任。江戸幕府の基盤安定に多大な功績を残した。
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土井 |
利勝 |
79 | 10 | 65 |
C |
63 | 48 |
足軽 | 商業 |
治療 | 誘導 |
- |
ないとう | きよなり |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 三河 | 武将 | (1555-1608)徳川家臣。主君・家康の小姓を務める。家康の信頼を受け、秀忠の傅役や関東総奉行などを歴任した。しかし、のちに家康の勘気を受けて籠居の身となった。
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内藤 |
清成 |
66 | 33 | 54 |
C |
55 | 56 |
長槍 | 農業 |
密偵 | 誘導 |
- |
おだ | のぶかつ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 尾張 | 武将 | (1558-1630)信長の次男。伊勢国司・北畠家の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後は豊臣家に従属した。小田原征伐後、徳川家康の旧領への転封を拒否し、改易された。
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織田 |
信雄 |
18 | 18 | 8 |
C |
6 | 54 |
足軽 | 茶湯 |
混乱 | - |
- |
おだ | のぶかね |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 尾張 | 武将 | (1543-1614)信秀の四男。越前攻めや石山本願寺攻めに参戦した。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、秀吉の子・秀頼の傅役を務めた。娘は秀吉の側室となり、寵愛された。
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織田 |
信包 |
50 | 45 | 21 |
C |
53 | 33 |
鉄砲 | 改修 |
密偵 | - |
- |
おだ | うらくさい |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 尾張 | 旧仏教 | (1547-1621)信秀の十男。有楽斎と号す。茶の湯に傾倒し、利休七哲の1人となった。兄・信長の死後は豊臣家に属すが、大坂の陣直前に徳川方に通じ、大坂城を退去した。
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織田 |
有楽斎 |
41 | 7 | 1 |
C |
31 | 13 |
足軽 | 茶湯 |
誘導 | - |
- |