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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
あしな | もりきよ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 岩代 | 武将 | (1490-1553)蘆名家15代当主。猪苗代家の叛乱を鎮定し、伊達稙宗の葛西家攻めに協力、また岩城・白河結城家と戦うなど、事実上の会津守護職としての行動を取った。
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蘆名 |
盛舜 |
65 | 54 | 63 |
E |
47 | 68 |
騎馬 | 改修 |
離反 | 破壊 |
誘導 |
あしな | ししさい |
朝廷 | 天下布武 | 岩代 | 旧仏教 | (1521-1580)蘆名家16代当主。蘆名家を伊達家と並ぶ奥州屈指の大名に育て上げた、蘆名家中興の祖。同盟をうまく利用し、会津一円から北越後に及ぶ所領を獲得した。
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蘆名 |
止々斎 |
77 | 78 | 74 |
E |
43 | 88 |
騎馬 | 農業 |
虚報 | 破壊 |
迎撃 |
あしな | もりおき |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 岩代 | 武将 | (1547-1575)蘆名家17代当主。盛氏の嫡男。父の隠居により家督を継ぐが、佐竹家との抗争中に夭逝した。盛興の病を治すために、父が領内での造酒を禁じたこともある。
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蘆名 |
盛興 |
45 | 42 | 31 |
E |
41 | 51 |
騎馬 | 商業 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
あしな | もりたか |
朝廷 | 好戦直情 | 岩代 | 武将 | (1561-1584)蘆名家18代当主。二階堂盛義の子。蘆名盛興の未亡人を娶った。上杉・北条家らと結んで佐竹家と争った。寵の衰えを逆恨みした側近に黒川城内で殺された。
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蘆名 |
盛隆 |
52 | 57 | 44 |
E |
35 | 76 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 迎撃 |
- |
はりゅう | もりのぶ |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 岩代 | 武将 | (1553-1625)蘆名家臣。盛幸(蘆名盛滋の子)の孫。1576年、金上盛実と席次の上下を争ったという。関ヶ原合戦で西軍に属したため所領を失い、伊達家に仕えた。
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針生 |
盛信 |
43 | 23 | 34 |
E |
26 | 59 |
鉄砲 | 弁舌 |
鼓舞 | - |
- |
いなわしろ | もりたね |
朝廷 | 好戦人情 | 岩代 | 武将 | (1565-1641)蘆名家臣。盛国の子。摺上原合戦で主家が敗れたあと、主君・盛重に従い常陸に逃れる。のちに盛重のもとを去って故郷の猪苗代に戻り、同地で余生を送った。
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猪苗代 |
盛胤 |
26 | 54 | 33 |
E |
89 | 17 |
騎馬 | 登用 |
挑発 | 迎撃 |
- |
かながみ | もりはる |
朝廷 | 保守鷹派 | 岩代 | 武将 | (1527-1589)蘆名家臣。主君・盛隆の死後、伊達政宗の弟・小次郎を跡継ぎに推す一派を抑え佐竹義重の次男・義広を当主に迎えることに成功した。摺上原合戦で戦死した。
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金上 |
盛備 |
58 | 49 | 52 |
E |
84 | 38 |
騎馬 | 農業 |
収拾 | 迎撃 |
- |
とみた | たかざね |
無し | 好戦人情 | 岩代 | 武将 | (1569-1594)蘆名家臣。氏実の子。摺上原合戦では先鋒を務め、伊達軍の本陣に迫るなど奮戦した。敗北後は主君・盛重に従い常陸に逃れるが、間もなく盛重の元を去った。
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富田 |
隆実 |
10 | 56 | 18 |
E |
92 | 58 |
騎馬 | 登用 |
治療 | 突入 |
- |
にかいどう | てるゆき |
朝廷 | 保守鳩派 | 岩代 | 武将 | (1508-1557)二階堂家17代当主。伊達家や蘆名家という強敵に挟まれ、苦境に立たされる。三春城主・田村清顕の軍によって支城を奪われるなど、威勢は振るわなかった。
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二階堂 |
輝行 |
44 | 14 | 28 |
E |
44 | 15 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
にかいどう | もりよし |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 岩代 | 武将 | (1532-1581)二階堂家18代当主。はじめ蘆名盛氏と争うが、子・盛隆を人質に出して降伏。のちに盛隆が蘆名家を継いだため、援助を受けて二階堂家の勢力を回復した。
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二階堂 |
盛義 |
63 | 38 | 45 |
E |
75 | 40 |
足軽 | 農業 |
密偵 | 誘導 |
- |
おのでら | これみち |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 羽後 | 武将 | (1480-1546)小野寺家12代当主。泰道の嫡男。はじめ上洛して将軍家に仕えたが、父の死により帰国、家督を継いだ。のちに権力闘争に巻き込まれ、家臣らに殺害された。
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小野寺 |
惟道 |
63 | 51 | 46 |
E |
60 | 50 |
騎馬 | 茶湯 |
誘導 | 挑発 |
- |
おのでら | てるみち |
朝廷 | 好戦陰湿 | 羽後 | 武将 | (1534-1597)小野寺家13代当主。惟道の嫡男。父の死後、一時大宝寺家を頼るが、のちに仇敵・大和田光盛らを滅ぼし、横手城に復帰。小野寺家の全盛時代を築き上げた。
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小野寺 |
輝道 |
52 | 60 | 63 |
E |
55 | 85 |
騎馬 | 商業 |
威圧 | 虚報 |
破壊 |
おのでら | よしみち |
朝廷 | 好戦直情 | 羽後 | 武将 | (1566-1645)小野寺家14代当主。輝道の次男。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して、所領を安堵される。関ヶ原合戦では徳川家の出陣要請を無視したため、戦後改易された。
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小野寺 |
義道 |
18 | 54 | 3 |
E |
36 | 65 |
騎馬 | 威圧 |
混乱 | 誘導 |
- |
おのでら | やすみち |
朝廷 | 保守鷹派 | 羽後 | 武将 | (1572-1641)小野寺家臣。輝道の子。最上家との合戦で活躍した。関ヶ原合戦では最上家の大軍と戦い居城・大森城を死守。戦後、兄の義道とともに津和野に配流となった。
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小野寺 |
康道 |
27 | 49 | 28 |
E |
52 | 43 |
長槍 | 登用 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
みこがみ | よしあき |
無し | 好戦直情 | 上総安房 | 武将 | (1565-1628)剣術家。はじめ里見家に仕えたが、剣術修業のため諸国を遍歴する。のちに一刀流の開祖・伊藤一刀斎に師事し、名を小野忠明と改め、小野一刀流を創始した。
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御子神 |
吉明 |
1 | 77 | 2 |
E |
14 | 60 |
足軽 | 剣豪 |
罵声 | 誘導 |
- |
おだ | のぶたか |
朝廷 | 好戦直情 | 尾張 | 武将 | (1558-1583)信長の三男。伊勢の豪族・神戸具盛の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後、柴田勝家と結んで羽柴秀吉に対抗するが敗れ、秀吉の命により自害させられた。
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織田 |
信孝 |
31 | 55 | 17 |
E |
36 | 73 |
鉄砲 | 威圧 |
威圧 | 破壊 |
- |
おだ | のぶかつ |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 尾張 | 武将 | (1536-1557)信秀の次男。名は信行とも。うつけと呼ばれた兄・信長に対し、利発で家中の評判が良かった。林秀貞らに擁立されて家督を争うが、清洲城で信長に殺された。
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織田 |
信勝 |
45 | 33 | 25 |
E |
49 | 78 |
足軽 | 弁舌 |
挑発 | - |
- |
おだ | のぶずみ |
朝廷 | 好戦人情 | 尾張 | 武将 | (1555-1582)信勝の子。伯父・信長に仕える。明智光秀の娘を娶った。「一段の逸物」と評された器量の持ち主であったが、本能寺の変の際に、従兄弟・信孝に殺された。
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織田 |
信澄 |
38 | 45 | 31 |
E |
47 | 19 |
鉄砲 | 商業 |
離反 | 迎撃 |
- |
はやし | ひでさだ |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 尾張 | 武将 | (1514-1580)織田家臣。筆頭家老。主家の家督争いでは信勝を擁立して敗れるが、許される。その後は目立つ働きがなく、のちに信勝擁立の件を蒸し返され、追放された。
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林 |
秀貞 |
53 | 20 | 63 |
E |
41 | 75 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | 誘導 |
- |
かわじり | ひでたか |
朝廷 | 好戦直情 | 尾張 | 武将 | (1527-1582)織田家臣。黒母衣衆筆頭。信長の嫡男・信忠の補佐役となる。甲斐平定戦で活躍し、戦後、甲斐一国を与えられた。本能寺の変後、甲斐の国人一揆で殺された。
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河尻 |
秀隆 |
14 | 58 | 19 |
E |
48 | 65 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 破壊 |
- |