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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
おおさき | たかかね |
幕府 | 保守鷹派 | 陸前 | 高家 | (1479-1530)大崎家10代当主。父・義兼の死後、家督を継ぐが、わずか1年で病没したという。大崎家の家督は娘・梅香の婿となった大崎義宣(伊達稙宗の子)が継いだ。
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大崎 |
高兼 |
45 | 36 | 30 |
E |
40 | 54 |
足軽 | 茶湯 |
混乱 | 誘導 |
- |
あしな | もりたか |
朝廷 | 好戦陰湿 | 岩代 | 武将 | (1448-1517)蘆名家13代当主。伊達家とは婚姻関係にあり、伊達家内紛の際には、兵を出して介入している。のちに子・盛滋と不和になり、家中を二分する騒乱を招いた。
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蘆名 |
盛高 |
59 | 59 | 72 |
E |
25 | 55 |
騎馬 | 登用 |
虚報 | 破壊 |
迎撃 |
にかいどう | はるゆき |
朝廷 | 保守鷹派 | 岩代 | 武将 | (1482-1543)二階堂家16代当主。行詮の嫡男。遠江守と称す。1534年、蘆名家らとともに岩城家・白河結城家と戦ったほか、周辺の田村家などともたびたび戦った。
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二階堂 |
晴行 |
27 | 48 | 33 |
E |
33 | 45 |
長槍 | 弁舌 |
密偵 | 修復 |
- |
おのでら | はるみち |
朝廷 | 好戦人情 | 羽後 | 武将 | (1449-1514)小野寺家臣。稲庭小野寺家の祖。兄・稙道の死後、足利将軍家に仕えていた甥・惟道の名代として、小野寺家の政務を司った。惟道の帰国後、隠退し剃髪した。
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小野寺 |
晴道 |
64 | 57 | 31 |
E |
98 | 5 |
騎馬 | 商業 |
混乱 | 誘導 |
- |
ながお | かげはる |
幕府 | 好戦直情 | 上野 | 高家 | (1443-1514)山内上杉家臣。「武略・智略・力量、人に勝れた勇士」と評された。父の死後、叔父・忠景が家宰となったため乱を起こし、以後、死ぬまで旧主と戦い続けた。
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長尾 |
景春 |
72 | 75 | 74 |
E |
10 | 91 |
騎馬 | 威圧 |
離反 | 破壊 |
放火 |
じんぼう | ながのぶ |
幕府 | 天下布武 | 越中 | 武将 | (1438-1501)畠山家臣。越中守護代を務めた。応仁の乱では東軍に属し畠山軍を指揮。のちに管領・細川政元により幽閉された将軍・足利義稙を救出し越中放生津に匿った。
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神保 |
長誠 |
81 | 77 | 84 |
E |
99 | 80 |
長槍 | 登用 |
虚報 | 密偵 |
迎撃 |
あわや | ちかひで |
名声 | 保守鳩派 | 越前若狭 | 武将 | (1462-1507)若狭武田家臣。左衛門尉と称す。三条西実隆と親交を結ぶ。若狭遠敷郡松永荘の代官を務めるなど重臣として活躍した。主家の丹後侵攻に従軍し、戦死した。
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粟屋 |
親栄 |
54 | 26 | 64 |
E |
43 | 64 |
長槍 | 茶湯 |
密偵 | 誘導 |
- |
あかざわ | ともつね |
無し | 好戦直情 | 摂津 | 武将 | (1455-1507)細川家臣。畿内各地に軍事行動を行い、主君・政元に貢献した。丹後に出兵した際、政元暗殺の報を受けるが、退路を丹後国人に阻まれ、進退窮まり自害した。
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赤沢 |
朝経 |
20 | 77 | 37 |
E |
8 | 76 |
長槍 | 登用 |
罵声 | 破壊 |
誘導 |
みうら | さだくに |
幕府 | 保守鷹派 | 美作 | 武将 | (1487-1532)美作の豪族。貞連の子。三浦家は源頼朝の奥州征伐で功を立て、会津四郡を賜った佐原義連の末裔・杉本貞宗を始祖とする。貞宗は高田城を築き、居城とした。
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三浦 |
貞国 |
42 | 25 | 23 |
E |
74 | 18 |
足軽 | 哀願 |
罵声 | - |
- |
すぎ | しげきよ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 豊前 | 武将 | (1474-1527)大内家臣。伯耆守と称す。主君・義興に仕えて、豊前守護代を務めた。義興が将軍・足利義稙を補佐して在京していた際は、在国して領内の統治にあたった。
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杉 |
重清 |
44 | 48 | 21 |
E |
68 | 43 |
騎馬 | 商業 |
罵声 | 迎撃 |
- |
くたみ | ちかみつ |
名声 | 好戦陰湿 | 豊後 | 武将 | (1470-1524)大友家臣。親治・義長の二代に仕え、加判衆や肥後方分を務めた。のちに加判衆を罷免されたため、主家と対立し、謀叛を起こしたが敗れ、筑前に逃亡した。
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朽網 |
親満 |
34 | 49 | 70 |
E |
18 | 77 |
騎馬 | 農業 |
治療 | 誘導 |
挑発 |
かい | ちかのぶ |
朝廷 | 好戦人情 | 日向 | 武将 | (1479-1536)日向の豪族。阿蘇惟長に追われて、日向に逃れた阿蘇惟豊(惟長の弟)を保護。1517年、惟長を破って惟豊を阿蘇領に復帰させ、そのまま阿蘇家臣となる。
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甲斐 |
親宣 |
53 | 67 | 66 |
E |
88 | 15 |
長槍 | 登用 |
虚報 | 迎撃 |
分断 |
あそ | これとき |
朝廷 | 保守鳩派 | 肥後 | 旧仏教 | (1561-1630)南北朝期の豪族。南朝方に属し、六波羅探題の攻撃や足利尊氏との戦いなどで活躍。一時北朝方に転じるが、婿・阿蘇惟澄の説得により再び南朝方に帰順した。
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阿蘇 |
惟時 |
65 | 31 | 80 |
E |
52 | 25 |
騎馬 | 哀願 |
威圧 | 虚報 |
- |
ふじわら | ひでさと |
朝廷 | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1551-1613)平安中期の下野の豪族。世に俵藤太と呼ばれた豪傑。ムカデ退治の伝説を残す。承平の乱では、平貞盛に協力して平将門を討った。戦後、下野守に任ぜられた。
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藤原 |
秀郷 |
38 | 94 | 81 |
E |
79 | 15 |
騎馬 | 商業 |
離反 | 鼓舞 |
突入 |
まつもと | まさのぶ |
無し | 保守鷹派 | 常陸 | 武将 | (1564-1620)室町中期の剣豪。飯篠長威斎に剣術を学んで「鹿島神陰流」を創始した。鹿島家の四家老の1人に数えられたが、のちに主家の内紛に巻き込まれ、戦死した。
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松本 |
政信 |
45 | 96 | 48 |
E |
79 | 17 |
長槍 | 剣豪 |
離反 | 修復 |
迎撃 |
おうちょく | ごほう |
無し | 好戦陰湿 | 肥前 | 水軍 | (1562-1606)和冦の首領。はじめ中国・明の貿易業者であったが、明の禁海政策に抵抗して海賊行為に走り、中国沿岸などを荒らし回った。のち謀略により帰国、殺された。
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王直 |
五峰 |
36 | 78 | 30 |
E |
8 | 76 |
長槍 | 威圧 |
威圧 | 挑発 |
- |