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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
もがみ | よしもり |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 羽前 | 武将 | (1521-1590)最上家10代当主。2歳で家督を相続する。次男・義時を偏愛して家督を譲ろうとするが、伊達家の騒動に乗じた長男・義光が決起、強制的に隠居させられた。
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最上 |
義守 |
30 | 21 | 18 |
D |
15 | 53 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
もがみ | よしあき |
幕府 | 好戦陰湿 | 羽前 | 武将 | (1546-1614)最上家11代当主。義守の嫡男。父を隠居させ、弟を殺して当主となる。密約外交や敵重臣の暗殺など、権謀術数の限りを尽くし、最上家最大の版図を築いた。
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最上 |
義光 |
79 | 70 | 84 |
B |
2 | 93 |
騎馬 | 改修 |
混乱 | 焙烙 |
迎撃 |
もがみ | いえちか |
幕府 | 好戦陰湿 | 羽前 | 武将 | (1582-1617)最上家12代当主。義光の次男。父の死後、家督を継ぐ。対立していた弟・義親を討ち領内統一を進めるが、間もなく死去。叔父・楯岡光直が毒殺したという。
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最上 |
家親 |
41 | 36 | 22 |
B |
36 | 71 |
足軽 | 威圧 |
鼓舞 | - |
- |
もがみ | よしとし |
幕府 | 保守鷹派 | 羽前 | 武将 | (1606-1631)最上家13代当主。家親の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。しかし若年の上、不行跡などで御家騒動を招き、改易された。改易後は近江に1万石を与えられた。
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最上 |
義俊 |
21 | 15 | 5 |
B |
41 | 36 |
鉄砲 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
しみず | よしちか |
幕府 | 好戦直情 | 羽前 | 武将 | (1582-1614)最上家臣。最上義光の三男。兄・家親と同年生まれという。清水城主・清水義氏の養子となった。のちに兄と対立し、日野将監らに攻められ敗北、自害した。
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清水 |
義親 |
38 | 43 | 45 |
D |
60 | 43 |
騎馬 | 威圧 |
治療 | 誘導 |
- |
もがみ | よしただ |
幕府 | 好戦陰湿 | 羽前 | 武将 | (1588-1664)最上家臣。最上義光の四男。甥・義俊に代わる当主候補に推される。しかしこれが御家騒動を招き、主家は改易された。のちに水戸徳川家に仕え家老を務めた。
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最上 |
義忠 |
50 | 39 | 52 |
D |
29 | 74 |
長槍 | 登用 |
離反 | 迎撃 |
- |
なかの | よしとき |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 羽前 | 武将 | (1550-1574)最上家臣。最上義守の次男。父の偏愛を受け、兄・義光と家督を巡り対立。義光の政策に反発する天童頼貞らに擁立されて戦うが、義光に攻められて自害した。
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中野 |
義時 |
27 | 12 | 17 |
D |
24 | 29 |
足軽 | 弁舌 |
罵声 | - |
- |
もがみ | よしあつ |
幕府 | 保守鳩派 | 羽前 | 武将 | (1455-1504)最上家8代当主。満氏の子。左衛門佐と称す。最上家は斯波家兼(大崎家の祖)の次男・兼頼が羽州探題として出羽最上郡に入り、地名を姓としたのに始まる。
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最上 |
義淳 |
34 | 38 | 43 |
D |
65 | 30 |
足軽 | 商業 |
罵声 | 誘導 |
- |
もがみ | よしさだ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 羽前 | 武将 | (1476-1520)最上家9代当主。義淳の嫡男。1514年、伊達稙宗と戦って大敗し、稙宗の妹を娶る形で和睦。以後、最上家は伊達家の政治介入を受けることが多くなった。
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最上 |
義定 |
20 | 38 | 35 |
C |
44 | 11 |
足軽 | 哀願 |
威圧 | 誘導 |
- |