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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
かきざき | もとひろ |
朝廷 | 好戦直情 | 蝦夷 | 武将 | (1506-1548)蠣崎家臣。高広(光広の次男)の子。光広の子ともいう。父の死後家督を継ぎ、勝山館主となった。のちに謀叛を起こし従兄弟・季広と戦うが敗れ、討たれた。
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蠣崎 |
基広 |
31 | 53 | 41 |
F |
6 | 66 |
足軽 | 威圧 |
威圧 | 迎撃 |
- |
いしかわ | たかのぶ |
朝廷 | 好戦人情 | 陸奥 | 武将 | (1496-1571)南部家臣。南部政康の次男。津軽郡代として甥・晴政を補佐し、南部家の勢力拡大に大きく貢献した。のちに家臣・大浦(津軽)為信の謀叛により、自害した。
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石川 |
高信 |
47 | 72 | 44 |
F |
80 | 75 |
騎馬 | 登用 |
離反 | 治療 |
迎撃 |
なんぶ | のぶなお |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 陸奥 | 武将 | (1546-1599)南部家26代当主。石川高信の子。晴継(晴政の子)死後の御家騒動に勝ち、家督を継ぐ。九戸政実の乱などに苦しむが豊臣秀吉に接近して領内を統一した。
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南部 |
信直 |
72 | 37 | 70 |
F |
75 | 72 |
騎馬 | 改修 |
収拾 | 修復 |
誘導 |
なんぶ | としなお |
朝廷 | 保守鷹派 | 陸奥 | 武将 | (1576-1632)南部家27代当主。信直の子。父の死後に家督を継ぐ。関ヶ原合戦では東軍に属し、最上家を救援した。領内の一揆を平定するなど、南部藩の基礎を築いた。
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南部 |
利直 |
68 | 48 | 74 |
F |
40 | 77 |
騎馬 | 商業 |
威圧 | 迎撃 |
放火 |
いずみやま | ふるやす |
朝廷 | 保守鳩派 | 陸奥 | 武将 | (1536-1590)南部家臣。政昭(石亀信房の子)の子。叔父・泉山康朝の養子として三戸郷泉山村を領し、泉山姓を名乗る。娘・慈照院はのちに主君・信直の後室となった。
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泉山 |
古康 |
60 | 36 | 45 |
F |
67 | 58 |
長槍 | 農業 |
密偵 | 誘導 |
- |
いずみやま | まさよし |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 陸奥 | 武将 | (1560-1629)南部家臣。古康の嫡男。姉は主君・信直の後室・慈照院。のちに石亀家が絶えたため、石亀姓を名乗った。信直の義弟として南部藩重臣20名のうちに列した。
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泉山 |
政義 |
53 | 27 | 43 |
F |
57 | 41 |
鉄砲 | 茶湯 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
きた | のぶちか |
朝廷 | 天下布武 | 陸奥 | 武将 | (1523-1613)南部家臣。剣吉城主。晴政死後の御家騒動では信直を支持、信直の筆頭家老として活躍した。合戦に臨む際は、必ず小さな観音像を髻の中に収めていたという。
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北 |
信愛 |
73 | 66 | 60 |
F |
88 | 62 |
騎馬 | 弁舌 |
威圧 | 修復 |
放火 |
はちのへ | まさよし |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 陸奥 | 武将 | (1544-1610)南部家臣。八戸根城主。北信愛とともに主家を支えた重臣。信直が豊臣秀吉の小田原征伐に参陣した際には、留守居役を務めている。眼疾で盲目だったという。
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八戸 |
政栄 |
67 | 42 | 56 |
F |
84 | 46 |
長槍 | 登用 |
離反 | 誘導 |
- |
おがさわら | のぶきよ |
幕府 | 好戦人情 | 南信濃 | 武将 | (1532-1597)津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。信濃国の出身で津軽に移住し、大浦家に仕える。大光寺城、石川城攻めに従軍するなど、活躍した。
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小笠原 |
信浄 |
36 | 49 | 57 |
F |
72 | 23 |
騎馬 | 登用 |
混乱 | 修復 |
- |
ますざわ | ひろかつ |
無し | 好戦陰湿 | 陸中 | 国人 | (1552-1601)阿曾沼家臣。鱒沢館主。関ヶ原合戦の際主君・広長が不在にした隙をついて謀叛を起こす。のちに居城・鍋倉城奪回のため来攻した広長軍との戦いで戦死した。
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鱒沢 |
広勝 |
14 | 15 | 30 |
F |
18 | 68 |
足軽 | 弁舌 |
罵声 | - |
- |
おおさき | よしのぶ |
幕府 | 好戦直情 | 陸前 | 武将 | (1526-1550)大崎家11代当主。伊達稙宗の子。大崎高兼の娘・梅香を娶り家督を継ぐ。天文の大乱では稙宗方に属し大崎義直と戦った。戦後、葛西領へ逃走中に殺された。
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大崎 |
義宣 |
34 | 14 | 16 |
F |
44 | 65 |
騎馬 | 威圧 |
挑発 | - |
- |
そうま | あきたね |
幕府 | 保守鷹派 | 磐城 | 武将 | (1508-1549)相馬家14代当主。盛胤の嫡男。小高城主。天文の大乱の際は舅・伊達稙宗を助けて各地で奮戦し、伊達晴宗に圧迫された稙宗を居城に引き取るなど活躍した。
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相馬 |
顕胤 |
40 | 63 | 43 |
F |
68 | 53 |
騎馬 | 改修 |
威圧 | 破壊 |
誘導 |
そうま | もりたね |
幕府 | 天下布武 | 磐城 | 武将 | (1529-1601)相馬家15代当主。顕胤の嫡男。小高城主。天文の大乱後は伊達家と敵対し、各地で死闘を展開する。一方、近隣の田村清顕とは和睦し、所領の基盤を固めた。
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相馬 |
盛胤 |
50 | 75 | 54 |
F |
75 | 70 |
騎馬 | 登用 |
罵声 | 鼓舞 |
突入 |
そうま | よしたね |
幕府 | 天下布武 | 磐城 | 武将 | (1548-1635)相馬家16代当主。盛胤の嫡男。伊達家と各地で抗争を展開した。関ヶ原合戦で西軍に属していったん改易されるが、伊達政宗の取りなしで本領を安堵された。
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相馬 |
義胤 |
45 | 68 | 48 |
F |
78 | 39 |
騎馬 | 威圧 |
焙烙 | 修復 |
放火 |
いずみだ | たねきよ |
名声 | 保守鷹派 | 磐城 | 武将 | (1563-1602)相馬家臣。泉田城主。1588年、守備していた大越城に攻め寄せてきた伊達政宗の軍を撃退するなど、主君・義胤に従って伊達家と攻防を繰り返した。
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泉田 |
胤清 |
25 | 42 | 24 |
F |
60 | 42 |
長槍 | 哀願 |
罵声 | - |
- |
えねい | たねはる |
無し | 保守鳩派 | 磐城 | 武将 | (1504-1588)相馬家臣。顕胤・盛胤・義胤に仕え、内政や外交で活躍した。義胤に従って田村家を訪れた際、伊達家に通じた田村家臣の田村月斎に狙撃され、死去した。
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江井 |
胤治 |
54 | 20 | 14 |
F |
67 | 23 |
長槍 | 農業 |
収拾 | - |
- |
みずたに | たねしげ |
無し | 好戦人情 | 磐城 | 武将 | (1538-1606)相馬家臣。関ヶ原合戦後、領内の通過を願う伊達政宗の殺害を唱える声が多い中で唯一反対し、政宗は無事領内を通過。この一件により、主家は改易を免れた。
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水谷 |
胤重 |
62 | 59 | 36 |
F |
86 | 38 |
騎馬 | 弁舌 |
治療 | 誘導 |
- |
ほんどう | ただちか |
名声 | 保守鷹派 | 羽後 | 国人 | (1506-1599)出羽の豪族。本堂城主。朝親の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。秀吉の朝鮮派兵の際は、前田利長軍に属して肥前名護屋城に在城した。
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本堂 |
忠親 |
39 | 35 | 47 |
F |
33 | 36 |
長槍 | 弁舌 |
収拾 | 誘導 |
- |
ほんどう | しげちか |
無し | 保守鳩派 | 羽後 | 国人 | (1585-1645)出羽の豪族。本堂城主。本堂忠親の死により家督相続。関ヶ原合戦では、徳川家康の命で本堂城を守った。のちに常陸新治郡に転封され、志筑に陣屋を定めた。
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本堂 |
茂親 |
54 | 27 | 41 |
F |
47 | 29 |
足軽 | 哀願 |
威圧 | - |
- |
ろくごう | まさのり |
名声 | 保守鳩派 | 羽後 | 国人 | (1567-1634)出羽の豪族。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領安堵。朝鮮出兵の際は肥前名護屋城を守る。のち関ヶ原合戦、大坂の陣に参加し、出羽本庄2万石を領した。
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六郷 |
政乗 |
41 | 34 | 36 |
F |
19 | 45 |
長槍 | 弁舌 |
鼓舞 | 分断 |
- |