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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
かのう | みちとも |
名声 | 好戦人情 | 常陸 | 武将 | (1559-1588)江戸家臣。大部城(神生館)主。家老を務めた。同じく家老の江戸道澄と対立し叛乱を起こすが、敗死した。この事件以降、江戸家は衰退の一途をたどった。
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神生 |
通朝 |
44 | 35 | 48 |
F |
27 | 44 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | 迎撃 |
- |
たがや | しげつね |
無し | 好戦陰湿 | 下総 | 国人 | (1558-1618)結城家臣。下妻城主。政経の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。関ヶ原合戦で西軍に属したため改易され、放浪の末近江彦根で死去した。
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多賀谷 |
重経 |
35 | 51 | 54 |
F |
22 | 80 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 迎撃 |
- |
ちば | まさたね |
朝廷 | 保守鳩派 | 下総 | 武将 | (1495-1546)千葉家24代当主。第一次国府台合戦の際は、北条軍に属して戦った。千葉家は桓武平氏の一族で、平安時代末期に下総国千葉郷を領した平常重を始祖とする。
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千葉 |
昌胤 |
49 | 59 | 52 |
F |
60 | 42 |
長槍 | 農業 |
鼓舞 | 誘導 |
迎撃 |
ちば | としたね |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 下総 | 武将 | (1515-1547)千葉家25代当主。昌胤の子。父の死後家督を継ぐが翌年に死去した。妻は北条氏康の娘。当時は宿老・原家の力が強く「千葉は百騎、原は千騎」といわれた。
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千葉 |
利胤 |
40 | 44 | 55 |
F |
35 | 30 |
騎馬 | 弁舌 |
収拾 | 迎撃 |
- |
ちば | ちかたね |
朝廷 | 好戦人情 | 下総 | 武将 | (1541-1557)千葉家26代当主。利胤の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。母は北条氏康の娘だが北条家に対抗する考えを持っていたため氏康によって幽閉され、殺害された。
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千葉 |
親胤 |
32 | 54 | 33 |
F |
76 | 31 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 誘導 |
- |
ちば | たねとみ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 下総 | 武将 | (1527-1579)千葉家27代当主。昌胤の次男。周辺の佐竹、里見家が上杉家と結ぶ中で、北条家と結んだ。のちに上杉・結城連合軍の攻撃を受けるが、撃退に成功している。
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千葉 |
胤富 |
56 | 53 | 46 |
F |
52 | 67 |
長槍 | 哀願 |
離反 | 誘導 |
- |
ちば | くにたね |
朝廷 | 好戦直情 | 下総 | 武将 | (1557-1585)千葉家29代当主。胤富の三男。反北条であった兄・良胤が廃嫡されたため、家督を継ぐ。北条氏政の娘を娶った。のちに叱責を逆恨みした近臣に暗殺された。
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千葉 |
邦胤 |
28 | 47 | 37 |
F |
39 | 44 |
鉄砲 | 登用 |
混乱 | 迎撃 |
- |
ちば | しげたね |
朝廷 | 保守鳩派 | 下総 | 武将 | (1576-1633)千葉家31代当主。邦胤の嫡男。北条氏政の子・直重が千葉家30代当主となったため、人質として小田原城にあった。北条家の滅亡後は下総国に隠棲した。
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千葉 |
重胤 |
47 | 35 | 38 |
F |
41 | 46 |
足軽 | 商業 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
みながわ | ひろてる |
名声 | 保守鳩派 | 下野 | 国人 | (1548-1627)下野の豪族。皆川城主。俊宗の子。北条家滅亡時に徳川家康に降る。のちに家康の六男・松平忠輝の付家老となったが、忠輝の不行跡を訴えて逆に改易された。
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皆川 |
広照 |
59 | 32 | 54 |
F |
29 | 50 |
騎馬 | 哀願 |
密偵 | 迎撃 |
- |
ふじた | やすくに |
無し | 保守鷹派 | 武蔵 | 武将 | (1517-1555)山内上杉家臣。藤田家は武蔵七党の一・猪俣党の流れをくむ。のちに北条氏康に降り、氏康の三男・氏邦を娘婿として家督を譲った。隠退後は用土姓を称した。
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藤田 |
康邦 |
45 | 46 | 36 |
F |
45 | 45 |
騎馬 | 改修 |
治療 | 迎撃 |
- |
ふじた | のぶよし |
名声 | 好戦陰湿 | 武蔵 | 武将 | (1559-1616)武田家臣。主家滅亡後は上杉家に仕え、佐渡攻略などに活躍した。関ヶ原合戦の直前に上杉家を出奔、上杉・徳川家間の調停工作を行うが失敗し、剃髪した。
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藤田 |
信吉 |
43 | 52 | 58 |
F |
19 | 64 |
騎馬 | 弁舌 |
混乱 | 破壊 |
迎撃 |
だいどうじ | なおつぐ |
朝廷 | 保守鳩派 | 相模伊豆 | 武将 | (1571-1651)北条家臣。政繁の四男。主家滅亡後は遠山長右衛門と名乗り、福島家に仕えた。関ヶ原合戦にも参陣した。福島家の改易後は徳川家に仕え、旧姓に復した。
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大道寺 |
直次 |
45 | 34 | 31 |
F |
47 | 51 |
長槍 | 改修 |
密偵 | - |
- |
たいげん | せっさい |
無し | 天下布武 | 駿河 | 旧仏教 | (1496-1555)今川家臣。執権を務めた。小豆坂の合戦で織田軍を破り、甲相駿三国同盟を成立させるなど、主家の政治、文化、経済、軍事、外交すべてに大きく貢献した。
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太原 |
雪斎 |
83 | 75 | 84 |
F |
60 | 80 |
長槍 | 弁舌 |
威圧 | 虚報 |
突入 |
あべ | もとざね |
朝廷 | 好戦直情 | 駿河 | 武将 | (1513-1587)今川家臣。主家の居城・駿府城を岡部正綱とともに守るが、武田信玄の駿河侵攻軍に敗れ、本貫地・安倍に退く。以後は徳川家に属し、各地で武田軍と戦った。
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安倍 |
元真 |
31 | 48 | 50 |
F |
53 | 58 |
足軽 | 商業 |
罵声 | 迎撃 |
- |
いいお | つらたつ |
無し | 好戦陰湿 | 遠江 | 武将 | (1526-1565)今川家臣。引馬城主。桶狭間合戦後、徳川家に寝返ったため、主君・氏真の攻撃を受けて敗北、和睦した。のちに氏真に駿府城に呼ばれ、同地で謀殺された。
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飯尾 |
連竜 |
28 | 28 | 41 |
F |
31 | 47 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | 迎撃 |
- |
おくだいら | さだよし |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 三河 | 国人 | (1537-1598)今川家臣。桶狭間合戦後、徳川家に仕える。掛川城攻めや姉川合戦に従軍した。一時武田信玄に属すが、信玄の死後は徳川家に帰参し、長篠合戦で活躍した。
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奥平 |
貞能 |
43 | 37 | 44 |
F |
40 | 50 |
騎馬 | 哀願 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
おくだいら | のぶまさ |
幕府 | 好戦直情 | 三河 | 国人 | (1555-1615)徳川家臣。貞能の子。一時武田信玄に属すが、信玄の死後、帰参。長篠合戦では長篠城を死守し勝利に大きく貢献した。その功により、家康の娘・亀を娶った。
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奥平 |
信昌 |
19 | 57 | 68 |
F |
52 | 64 |
長槍 | 改修 |
収拾 | 修復 |
迎撃 |
くの | むねよし |
名声 | 保守鳩派 | 遠江 | 武将 | (1527-1609)今川家臣。久能城主。主家滅亡の直前に徳川家臣・高力清長の仲介により徳川家康に属す。家康の関東入国時に佐倉城主となるが、のちに久能城に復帰した。
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久能 |
宗能 |
51 | 42 | 55 |
F |
33 | 35 |
騎馬 | 弁舌 |
治療 | 迎撃 |
- |
すがぬま | さだみつ |
幕府 | 保守鷹派 | 三河 | 国人 | (1543-1604)今川家臣。野田城主。桶狭間合戦後、徳川家に仕える。武田信玄の三河侵攻では一族の多くが信玄に寝返る中、一貫して徳川家に属し、居城を攻め落とされた。
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菅沼 |
定盈 |
49 | 38 | 53 |
F |
46 | 41 |
鉄砲 | 農業 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
ほんだ | まさのぶ |
幕府 | 好戦陰湿 | 三河 | 一向宗 | (1538-1616)徳川家臣。三河一向一揆に身を投じて主家を離反、諸国を放浪したのちに帰参。行政と謀略に優れた手腕を発揮した。主君・家康には「友」と呼ばれたという。
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本多 |
正信 |
86 | 18 | 90 |
F |
53 | 72 |
鉄砲 | 弁舌 |
混乱 | 誘導 |
迎撃 |