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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
かきざき | よしひろ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 蝦夷 | 武将 | (1479-1545)蠣崎家3代当主。光広の子。祖父・信広がアイヌの首領・コシャマインを討ったため、怒りに燃えるアイヌの大軍が何度も来襲し、生涯その戦いに明け暮れた。
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蠣崎 |
義広 |
58 | 57 | 72 |
B |
12 | 73 |
足軽 | 農業 |
混乱 | 治療 |
誘導 |
かきざき | すえひろ |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 蝦夷 | 武将 | (1507-1595)蠣崎家4代当主。義広の子。先祖より対立の続いていたアイヌと和睦し、蝦夷商船往来の制を定める。この政策により、蝦夷地の領主としての地位を確立した。
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蠣崎 |
季広 |
71 | 44 | 63 |
B |
52 | 53 |
騎馬 | 商業 |
密偵 | 誘導 |
迎撃 |
かきざき | よしひろ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 蝦夷 | 武将 | (1549-1616)蠣崎家5代当主。季広の子。豊臣秀吉に接近して蝦夷地における交易権を獲得、独立領主となった。1599年に徳川家康に家系図を献上し、松前姓に改めた。
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蠣崎 |
慶広 |
78 | 49 | 66 |
B |
31 | 83 |
長槍 | 弁舌 |
収拾 | 焙烙 |
誘導 |
かきざき | もりひろ |
朝廷 | 保守鳩派 | 蝦夷 | 武将 | (1571-1608)蠣崎松前家6代当主。慶広の子。徳川家康が内大臣となった際、父とともに家康に拝謁した。1600年に松前藩2代藩主となるが、父に先立ち病死した。
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蠣崎 |
盛広 |
63 | 33 | 25 |
B |
72 | 13 |
足軽 | 登用 |
鼓舞 | - |
- |
かきざき | きんひろ |
朝廷 | 保守鷹派 | 蝦夷 | 武将 | (1598-1641)蠣崎松前家7代当主。盛広の子。祖父・慶広の後見により家督を継ぐ。のちに江戸幕府から正式に跡目として認められ、慶広の死後、松前藩3代藩主となった。
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蠣崎 |
公広 |
64 | 23 | 34 |
B |
57 | 44 |
鉄砲 | 威圧 |
混乱 | - |
- |
かきざき | もりひろ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 蝦夷 | 武将 | (1564-1635)松前藩家老。季広の十一男。一家を興して家臣となる。4代藩主・氏広を自宅で饗応した際、偶然火災が起こったため、その罪を負って火中に入り死去した。
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蠣崎 |
守広 |
36 | 32 | 45 |
B |
55 | 21 |
足軽 | 哀願 |
治療 | 迎撃 |
- |
かきざき | もとひろ |
朝廷 | 好戦直情 | 蝦夷 | 武将 | (1506-1548)蠣崎家臣。高広(光広の次男)の子。光広の子ともいう。父の死後家督を継ぎ、勝山館主となった。のちに謀叛を起こし従兄弟・季広と戦うが敗れ、討たれた。
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蠣崎 |
基広 |
31 | 53 | 41 |
F |
6 | 66 |
足軽 | 威圧 |
威圧 | 迎撃 |
- |
かきざき | みつひろ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 蝦夷 | 武将 | (1456-1518)蠣崎家2代当主。徳山館を築いた。アイヌの軍勢を撃退し、また安東家に働きかけて松前守護職の追認を得るなど、蠣崎家の蝦夷支配権を確実なものとした。
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蠣崎 |
光広 |
68 | 63 | 81 |
B |
12 | 87 |
長槍 | 哀願 |
虚報 | 焙烙 |
迎撃 |
かきざき | のぶひろ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 蝦夷 | 武将 | (1549-1612)室町後期の豪族。蝦夷の蠣崎季繁に客将として迎えられ、季繁の娘を娶る。のちにアイヌの族長・コシャマインが乱を起こした際、これを鎮定する功を立てた。
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蠣崎 |
信広 |
88 | 36 | 93 |
B |
9 | 85 |
長槍 | 商業 |
離反 | 密偵 |
誘導 |