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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
なんぶ | やすのぶ |
朝廷 | 保守鷹派 | 陸奥 | 武将 | (1477-1546)南部家23代当主。政康の嫡男。弟(次男)・石川高信を津軽石川城主、弟(四男)・石亀信房を不来方城主とするなど一門を中心とする家臣団を作り上げた。
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南部 |
安信 |
60 | 49 | 53 |
G |
40 | 70 |
騎馬 | 改修 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
なんぶ | はるまさ |
朝廷 | 好戦直情 | 陸奥 | 武将 | (1517-1582)南部家24代当主。安信の子。将軍・足利義晴の偏諱を賜り、晴政と名乗る。三戸城を本拠に「三日月の丸くなるまで南部領」といわれる広大な版図を築いた。
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南部 |
晴政 |
36 | 79 | 36 |
R |
29 | 92 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 破壊 |
突入 |
いしかわ | たかのぶ |
朝廷 | 好戦人情 | 陸奥 | 武将 | (1496-1571)南部家臣。南部政康の次男。津軽郡代として甥・晴政を補佐し、南部家の勢力拡大に大きく貢献した。のちに家臣・大浦(津軽)為信の謀叛により、自害した。
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石川 |
高信 |
47 | 72 | 44 |
F |
80 | 75 |
騎馬 | 登用 |
離反 | 治療 |
迎撃 |
なんぶ | のぶなお |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 陸奥 | 武将 | (1546-1599)南部家26代当主。石川高信の子。晴継(晴政の子)死後の御家騒動に勝ち、家督を継ぐ。九戸政実の乱などに苦しむが豊臣秀吉に接近して領内を統一した。
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南部 |
信直 |
72 | 37 | 70 |
F |
75 | 72 |
騎馬 | 改修 |
収拾 | 修復 |
誘導 |
なんぶ | としなお |
朝廷 | 保守鷹派 | 陸奥 | 武将 | (1576-1632)南部家27代当主。信直の子。父の死後に家督を継ぐ。関ヶ原合戦では東軍に属し、最上家を救援した。領内の一揆を平定するなど、南部藩の基礎を築いた。
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南部 |
利直 |
68 | 48 | 74 |
F |
40 | 77 |
騎馬 | 商業 |
威圧 | 迎撃 |
放火 |
いずみやま | ふるやす |
朝廷 | 保守鳩派 | 陸奥 | 武将 | (1536-1590)南部家臣。政昭(石亀信房の子)の子。叔父・泉山康朝の養子として三戸郷泉山村を領し、泉山姓を名乗る。娘・慈照院はのちに主君・信直の後室となった。
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泉山 |
古康 |
60 | 36 | 45 |
F |
67 | 58 |
長槍 | 農業 |
密偵 | 誘導 |
- |
いずみやま | まさよし |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 陸奥 | 武将 | (1560-1629)南部家臣。古康の嫡男。姉は主君・信直の後室・慈照院。のちに石亀家が絶えたため、石亀姓を名乗った。信直の義弟として南部藩重臣20名のうちに列した。
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泉山 |
政義 |
53 | 27 | 43 |
F |
57 | 41 |
鉄砲 | 茶湯 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
なんぶ | まさなお |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 陸奥 | 武将 | (1540-1594)安東家臣。宮内少輔と称した。安東家の外交官としてたびたび京都へ赴き、山科言継や織田信長と会見した。愛季が信長に馬と鷹を贈った際も使者を務めた。
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南部 |
政直 |
62 | 17 | 51 |
I |
68 | 51 |
足軽 | 弁舌 |
密偵 | 挑発 |
- |
なんぶ | まさやす |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 陸奥 | 武将 | (1461-1507)南部家22代当主。信時の次男。兄・信義の跡を継ぐ。南部家は武田家の庶流で源頼朝の奥州征伐に従軍し、糠部(ぬかのぶ)郡を賜った南部光行を祖とする。
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南部 |
政康 |
37 | 60 | 44 |
F |
47 | 56 |
騎馬 | 登用 |
混乱 | 破壊 |
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