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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
なんぶ | やすのぶ |
朝廷 | 保守鷹派 | 陸奥 | 武将 | (1477-1546)南部家23代当主。政康の嫡男。弟(次男)・石川高信を津軽石川城主、弟(四男)・石亀信房を不来方城主とするなど一門を中心とする家臣団を作り上げた。
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南部 |
安信 |
60 | 49 | 53 |
G |
40 | 70 |
騎馬 | 改修 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
もりおか | のぶもと |
無し | 好戦直情 | 陸奥 | 武将 | (1556-1606)津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。石川高信との戦いに参加して和徳城を攻略、城主となる。のちに為信から叛意を疑われ謀殺された。
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森岡 |
信元 |
15 | 54 | 18 |
G |
36 | 60 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | 放火 |
- |
おおつか | まさなり |
無し | 保守鳩派 | 磐城 | 国人 | (1504-1563)佐竹家臣。竜子山城主。大塚家はもと岩城家臣。政成の時に、佐竹一家の待遇を受けて佐竹家に属し、のちに佐竹・岩城両家の間に入って和睦を成立させた。
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大塚 |
政成 |
64 | 38 | 63 |
G |
31 | 68 |
長槍 | 農業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
おおつか | たかなり |
名声 | 保守鷹派 | 磐城 | 国人 | (1518-1567)岩城家臣。大塚家の庶流で、菅俣城主を務めた。のちに宗家の当主・政成の跡を継いで竜子山城に入る。これにより大塚家は再び岩城家に属することとなった。
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大塚 |
隆成 |
60 | 36 | 54 |
G |
57 | 43 |
騎馬 | 弁舌 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
おおつか | ちかなり |
無し | 保守鳩派 | 磐城 | 国人 | (1543-1598)岩城家臣。隆成の子。はじめ佐竹家と争うが、岩城・佐竹両家の同盟が成立した際に佐竹家に属す。のちに主君・義重の子で岩城家を継いだ常隆に仕えた。
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大塚 |
親成 |
57 | 18 | 17 |
G |
44 | 25 |
足軽 | 商業 |
罵声 | - |
- |
えんどう | もりたね |
無し | 好戦人情 | 岩代 | 武将 | (1555-1605)二階堂家臣。但馬と称す。主家滅亡の際に捕らえられ、伊達家に属す。武勇に秀で、関ヶ原合戦では松川菱の旗を背に奮戦し、敵味方双方から賞賛を浴びた。
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遠藤 |
盛胤 |
10 | 60 | 30 |
G |
80 | 37 |
長槍 | 威圧 |
鼓舞 | 破壊 |
- |
かわしま | むねやす |
無し | 好戦直情 | 岩代 | 武将 | (1567-1616)二階堂家臣。主家滅亡後は伊達家に仕える。葛西・大崎一揆の際は満身創痍となりながらも退かなかったという。のちに仙台城や江戸城外濠の普請を担当した。
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川島 |
宗泰 |
22 | 64 | 21 |
G |
72 | 31 |
騎馬 | 登用 |
治療 | 迎撃 |
- |
あんとう | みちすえ |
朝廷 | 好戦直情 | 羽後 | 武将 | (1564-1594)湊安東家10代当主。茂季の嫡男。父の死後、伯父・愛季に湊城を追われ、豊島城に移される。愛季の死後、戸沢家と結んで謀叛を起こすが、失敗に終わった。
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安東 |
通季 |
30 | 28 | 22 |
G |
14 | 62 |
騎馬 | 威圧 |
混乱 | - |
- |
おかもと | ぜんてつ |
無し | 保守鷹派 | 常陸 | 旧仏教 | (1524-1583)佐竹家臣。僧体で義篤・義昭・義重3代に仕えた側近。白河結城家や古河公方と文書を交わすなど、外交面で重要な役割を果たし、佐竹一門に次ぐ地位を得た。
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岡本 |
禅哲 |
71 | 2 | 72 |
G |
57 | 40 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | 誘導 |
- |
おかもと | けんいつ |
名声 | 保守鷹派 | 常陸 | 旧仏教 | (1559-1596)佐竹家臣。禅哲の子。僧体で佐竹義重・義宣2代に仕えた側近。外交面で活躍したほか、義重の三男・貞隆の岩城家入嗣に随行し、岩城家の執政に参画した。
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岡本 |
顕逸 |
62 | 6 | 63 |
G |
53 | 45 |
足軽 | 弁舌 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
おかもと | のぶつな |
名声 | 保守鷹派 | 常陸 | 旧仏教 | (1583-1649)佐竹家臣。顕逸の子。はじめ父祖にならって剃髪するが、のちに主君・義宣の命により還俗した。義宣の秋田移封に従い大坂の陣にも出陣して戦功を立てた。
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岡本 |
宣綱 |
60 | 12 | 58 |
G |
60 | 22 |
足軽 | 弁舌 |
治療 | 誘導 |
- |
さとみ | ただよし |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 上総安房 | 武将 | (1594-1622)安房館山藩主。義康の嫡男。大久保忠隣の孫娘を娶る。忠隣失脚に連座、伯耆倉吉に配流された。「南総里見八犬伝」は忠義に殉じた8名の臣がモデルという。
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里見 |
忠義 |
44 | 24 | 15 |
G |
36 | 49 |
足軽 | 登用 |
密偵 | - |
- |
ほりえ | よりただ |
名声 | 保守鳩派 | 上総安房 | 武将 | (1568-1617)里見家臣。1587年の鹿野山神野寺の棟札に名が見える。家老を務め、1千3百石を知行した。主家改易後は主君・忠義に従い伯耆倉吉に赴き、同地で病没。
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堀江 |
頼忠 |
47 | 27 | 43 |
G |
75 | 33 |
鉄砲 | 農業 |
収拾 | 誘導 |
- |
ながお | のりなが |
幕府 | 保守鷹派 | 上野 | 高家 | (1503-1550)足利長尾家当主。関東管領・山内上杉家に仕え、家宰を務めた。足利高基の子・亀王丸(晴氏)が元服する際は、将軍・足利義晴からの一字拝領を依頼した。
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長尾 |
憲長 |
55 | 30 | 49 |
G |
67 | 47 |
長槍 | 登用 |
治療 | 誘導 |
- |
ながお | まさなが |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 上野 | 高家 | (1527-1569)足利長尾家当主。山内上杉家に仕えた。主君・上杉憲当(憲政)の偏諱を受けて「当長」を名乗った。由良成繁とともに上杉・北条両家の仲介に活躍した。
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長尾 |
当長 |
60 | 38 | 46 |
G |
63 | 59 |
騎馬 | 弁舌 |
混乱 | 誘導 |
- |
わたらせ | しげあき |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 上野 | 武将 | (1555-1595)由良成繁の四男。豊臣秀吉に仕え、紀州征伐などに従軍。小田原征伐にも参陣し戦後、遠江横須賀3万石を領した。のちに豊臣秀次事件に連座して自害した。
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渡瀬 |
繁詮 |
47 | 36 | 41 |
G |
57 | 29 |
足軽 | 商業 |
収拾 | 誘導 |
- |
しぶかわ | よしかつ |
名声 | 保守鳩派 | 上野 | 国人 | (1531-1595)上野の豪族。小俣城主。山内上杉家に属す。北条家の勢力伸張にともない、由良成繁らとともに北条家に属した。豊臣秀吉の小田原征伐後、居城を没収された。
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渋川 |
義勝 |
31 | 26 | 47 |
G |
60 | 36 |
足軽 | 登用 |
混乱 | 迎撃 |
- |
ふじお | よしひさ |
無し | 保守鷹派 | 上野 | 武将 | (1536-1590)横瀬由良家臣。近隣の豪族・膳家や桐生家との戦いで活躍した。知略才学に優れた武将と評されていた。豊臣秀吉の小田原征伐が終わって間もなく死去した。
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藤生 |
善久 |
50 | 45 | 51 |
G |
47 | 55 |
長槍 | 弁舌 |
離反 | 誘導 |
- |
うえだ | ともなお |
無し | 保守鳩派 | 武蔵 | 武将 | (1494-1582)扇谷上杉家臣。北条家の武蔵侵攻軍に降り、以後は北条家に仕える。他国衆として松山城主となり、独自の朱印状を使用して北条家から独立した支配を行った。
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上田 |
朝直 |
60 | 35 | 50 |
G |
31 | 46 |
足軽 | 商業 |
混乱 | 誘導 |
- |
うえだ | のりさだ |
名声 | 保守鳩派 | 武蔵 | 武将 | (1536-1595)北条家臣。朝直の次男。父や兄・長則と同じく、松山城の城下町経営に努めた。豊臣秀吉の小田原征伐に際して小田原城に籠城し、落城後、行方不明となった。
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上田 |
憲定 |
58 | 22 | 30 |
G |
34 | 26 |
足軽 | 農業 |
鼓舞 | - |
- |