| |
重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
|
武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
さたけ | まさよし |
名声 | 好戦直情 | 常陸 | 武将 | (1484-1534)佐竹家臣。14代当主・義治の五男。太田城の東方に居住して東殿と呼ばれ、佐竹東家の祖となる。兄・義舜の死後は、兄・義信とともに甥・義篤を補佐した。
|
佐竹 |
政義 |
44 | 54 | 52 |
G |
52 | 14 |
騎馬 | 哀願 |
密偵 | 修復 |
迎撃 |
さとみ | よしみち |
名声 | 好戦直情 | 上総安房 | 武将 | (1481-1518)里見家3代当主。成義の長男。安房に蟠踞する国人たちを討って支配権を確立。1508年には鎌倉の鶴岡八幡宮に模して鶴谷八幡宮を造営し、権威を示した。
|
里見 |
義通 |
59 | 62 | 70 |
G |
26 | 69 |
騎馬 | 登用 |
治療 | 修復 |
誘導 |
よこぜ | なりしげ |
幕府 | 好戦陰湿 | 上野 | 武将 | (1429-1501)岩松家臣。文芸に傾倒する主君・尚純と対立し戦う。古河公方・足利成氏と結んで尚純を隠居させ、尚純の子・昌純を当主とし、家宰となって国政を執行した。
|
横瀬 |
成繁 |
76 | 71 | 78 |
G |
7 | 85 |
長槍 | 農業 |
虚報 | 修復 |
迎撃 |
いいお | かたつら |
無し | 保守鳩派 | 三河 | 武将 | (1477-1538)今川家臣。今川義忠に従って京都から下向した長連の子。大河内貞綱の自害後、主君・氏親の命により引馬城主となる。以後、引馬城は飯尾家の居城となった。
|
飯尾 |
賢連 |
53 | 33 | 40 |
G |
64 | 34 |
騎馬 | 商業 |
治療 | 修復 |
- |
みぞぐち | ながとも |
無し | 好戦人情 | 南信濃 | 武将 | (1483-1554)小笠原家臣。美作守と称す。嫡男・長勝とともに主家に仕え、活躍した。主君・長時が信濃を退去し、三好家を頼った際これに従う。72歳で戦死したという。
|
溝口 |
長友 |
20 | 46 | 18 |
G |
93 | 2 |
長槍 | 改修 |
鼓舞 | - |
- |
ながお | ふさかげ |
幕府 | 保守鷹派 | 北越後 | 武将 | (1480-1548)長尾家臣。古志長尾家。豊前守と称す。1495年、父・孝景の隠居により家督を継ぐ。関東管領・上杉顕定が越後に侵攻した際は、主君・為景に従い戦った。
|
長尾 |
房景 |
36 | 45 | 37 |
G |
21 | 52 |
騎馬 | 弁舌 |
収拾 | 迎撃 |
- |
ほそかわ | たかくに |
幕府 | 天下布武 | 摂津 | 高家 | (1484-1531)細川政元の養子。同じ立場の澄之・澄元を追い落とし、管領となって幕府の実権を握る。のちに澄元の子・晴元を擁する三好元長らとの戦いに敗れ、自害した。
|
細川 |
高国 |
75 | 68 | 69 |
G |
38 | 89 |
騎馬 | 威圧 |
虚報 | 迎撃 |
放火 |
いたみ | もとすけ |
無し | 好戦人情 | 摂津 | 国人 | (1479-1529)細川家臣。伊丹城主。主家の家督争いでは細川高国に属し、三好之長らと戦う。のち之長の孫・元長に属すが、元長と対立する柳本賢治に攻められ、戦死した。
|
伊丹 |
元扶 |
21 | 32 | 57 |
G |
54 | 35 |
長槍 | 農業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
はたけやま | ひさのぶ |
幕府 | 好戦直情 | 河内和泉 | 高家 | (1475-1522)畠山家の家督を義就と争った政長の子。義就の子・義豊を討ち、父の敵を取る。一時義豊の子・義英と和睦するが、細川家の内訌に介入した際、再び対立した。
|
畠山 |
尚順 |
25 | 74 | 31 |
G |
34 | 90 |
長槍 | 登用 |
離反 | 誘導 |
挑発 |
ほそかわ | ゆきもち |
幕府 | 保守鳩派 | 阿波淡路 | 高家 | (1483-1512)阿波守護。父・義春の死後、祖父・成之の後見を受けて家督を継ぐ。阿波国平島に住み「平島公方」と呼ばれた足利義維(11代将軍・義澄の子)を養育した。
|
細川 |
之持 |
42 | 47 | 54 |
G |
37 | 42 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | 誘導 |
- |
みよし | ながひで |
幕府 | 保守鷹派 | 阿波淡路 | 武将 | (1479-1509)細川家臣。父・之長とともに細川澄元を奉じて各地で戦う。細川高国・大内義興と戦って敗れ、伊勢に逃れた際、伊勢守護・北畠材親の攻撃を受け、戦死した。
|
三好 |
長秀 |
34 | 43 | 54 |
G |
70 | 52 |
長槍 | 威圧 |
焙烙 | 迎撃 |
- |
しまづ | なりひさ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 薩摩 | 武将 | (1465-1514)島津家臣。薩州島津家当主。娘は島津忠良に嫁ぐ。薩州島津家は島津家の庶流で島津用久(島津家8代当主・久豊の子)を始祖とする。当主は薩摩守を称した。
|
島津 |
成久 |
32 | 35 | 47 |
G |
57 | 24 |
長槍 | 弁舌 |
混乱 | 誘導 |
- |
はたけやま | まさなが |
幕府 | 保守鷹派 | 河内和泉 | 高家 | (1555-1605)室町幕府管領。伯父・持国の養子となるが、持国に実子・義就が生まれたため対立し、応仁の乱の一因を作る。のちに義就の子・義豊と戦って敗れ、自害した。
|
畠山 |
政長 |
60 | 39 | 76 |
G |
77 | 18 |
騎馬 | 改修 |
罵声 | 放火 |
- |
たいら | まさかど |
朝廷 | 天下布武 | 下総 | 高家 | (1551-1588)平安中期の武将。父の遺領を巡る争いで伯父・国香らを殺し承平の乱を起こす。「新皇」と名乗って関東の自立を図るが藤原秀郷らの奇襲を受けて戦死した。
|
平 |
将門 |
41 | 98 | 72 |
G |
28 | 46 |
長槍 | 登用 |
鼓舞 | 焙烙 |
挑発 |
としま | やすつね |
朝廷 | 好戦直情 | 武蔵 | 武将 | (1567-1613)室町後期の武蔵の豪族。山内上杉家臣・長尾景春の乱に加担し、所領を接する太田道灌と対立。弟・泰明とともに、石神井城を拠点として道灌と戦うが、敗亡。
|
豊島 |
泰経 |
40 | 65 | 38 |
G |
32 | 46 |
騎馬 | 商業 |
混乱 | 放火 |
- |
かも | ちょうめい |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 山城 | 旧仏教 | (1557-1618)鎌倉時代の歌人。和歌所寄人などを務めた。出家後は、鎌倉に下向して将軍・源実朝と会見するなど漂泊の日々を送る。『方丈記』や『発心集』などを著した。
|
鴨 |
長明 |
78 | 8 | 62 |
G |
52 | 39 |
足軽 | 登用 |
罵声 | 鼓舞 |
- |