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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
どい | まさしげ |
無し | 保守鷹派 | 越中 | 国人 | (1540-1590)越中の豪族。弓庄城主。上杉謙信の死後は織田家に属す。のちに再び上杉家に属したため、佐々成政に越中を追われた。上杉景勝の越中侵攻では先鋒を務めた。
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土肥 |
政繁 |
14 | 54 | 37 |
G |
45 | 57 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 迎撃 |
- |
まつい | やすゆき |
無し | 保守鷹派 | 山城 | 武将 | (1550-1612)足利家臣。主君・義輝の横死後は細川藤孝に仕え、丹後平定戦などで活躍した。関ヶ原合戦の際は東軍に属し、豊後杵築2万6千石を得た。茶人としても著名。
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松井 |
康之 |
62 | 60 | 45 |
G |
77 | 19 |
長槍 | 茶湯 |
鼓舞 | 修復 |
- |
ほそかわ | もちたか |
幕府 | 天下布武 | 阿波淡路 | 高家 | (1497-1553)阿波守護。播磨守護・赤松晴政の要請により尼子晴久と備中で戦うが敗れる。のち足利義栄を擁し入京を試みるが、家臣の三好義賢と対立し、義賢に殺された。
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細川 |
持隆 |
37 | 31 | 36 |
G |
40 | 66 |
足軽 | 茶湯 |
治療 | - |
- |
ほそかわ | さねゆき |
幕府 | 好戦直情 | 阿波淡路 | 高家 | (1538-1582)持隆の子。父を殺した三好義賢に擁立され、阿波勝瑞城主となる。のち長宗我部元親とともに三好長治を討つが、長治の弟・十河存保に居城を追われ自害した。
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細川 |
真之 |
22 | 14 | 28 |
G |
28 | 30 |
鉄砲 | 威圧 |
威圧 | - |
- |
はたけやま | たねなが |
幕府 | 保守鷹派 | 河内和泉 | 高家 | (1504-1545)河内守護。高屋城主。弟・長経が木沢長政・遊佐長教によって擁立された際、紀伊に逃亡。のち長経が殺されると、再び居城に戻り、河内守護に再補任された。
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畠山 |
稙長 |
45 | 22 | 42 |
G |
49 | 37 |
足軽 | 哀願 |
密偵 | - |
- |
はたけやま | まさくに |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 河内和泉 | 高家 | (1507-1550)河内守護。高屋城主。兄・稙長の死後、家督を継ぐ。細川晴元と細川氏綱が争った際は氏綱に属す。三好義賢らと舎利寺で戦った。のち紀伊岩室城で死去した。
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畠山 |
政国 |
36 | 31 | 29 |
G |
47 | 40 |
足軽 | 商業 |
鼓舞 | - |
- |
はたけやま | たかまさ |
幕府 | 好戦陰湿 | 河内和泉 | 高家 | (1527-1576)河内守護。政国の子。三好家と和戦を繰り返した。のちに織田信長に降って河内半国を与えられるが、家臣・遊佐信教との争いに敗北し、紀伊岩室城に逃れた。
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畠山 |
高政 |
41 | 28 | 26 |
G |
54 | 58 |
足軽 | 茶湯 |
収拾 | - |
- |
はたけやま | あきたか |
幕府 | 好戦直情 | 河内和泉 | 高家 | (1545-1573)河内畠山家当主。高屋城主。政国の子。兄・高政が遊佐信教らに追放されたあと信教らに擁立されて家督を継ぐ。のちに信教の暗殺をはかるが、逆に殺された。
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畠山 |
昭高 |
32 | 33 | 33 |
G |
33 | 56 |
鉄砲 | 茶湯 |
混乱 | - |
- |
とおち | とおただ |
朝廷 | 保守鳩派 | 大和 | 旧仏教 | (1508-1545)大和の国衆。竜王山城主。はじめ木沢長政と結んだ筒井家と争うが、のちに和睦し、長政の死後、勢力を伸ばした。和歌や連歌、書に通じた文人としても著名。
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十市 |
遠忠 |
63 | 39 | 36 |
G |
59 | 36 |
長槍 | 茶湯 |
密偵 | 誘導 |
- |
とおち | とおかつ |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 大和 | 旧仏教 | (1530-1569)大和の国衆。竜王山城主。遠忠の子。はじめ筒井家に属すが、大和に入国した松永久秀に降り、筒井家と戦う。のちに秋山家に押され、十市城に居城を移した。
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十市 |
遠勝 |
33 | 20 | 25 |
G |
26 | 32 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
やまだ | しげなお |
名声 | 保守鷹派 | 因幡伯耆 | 国人 | (1524-1592)伯耆の豪族。毛利家に仕え、父・高直の代に尼子家に奪われた居城・堤城を奪還した。のちに南条元続に属す。元続が羽柴家に属した際、元続と戦うが敗れた。
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山田 |
重直 |
38 | 45 | 50 |
G |
27 | 41 |
足軽 | 弁舌 |
威圧 | 誘導 |
- |
くろだ | もとたか |
朝廷 | 保守鷹派 | 播磨 | 武将 | (1524-1585)小寺家臣。姫路城主。播磨の豪族・香山重道を討つ功を立てたため、主君・政職の養女を娶り、家老に就任した。のちに「小寺」姓と「職」の一字を拝領した。
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黒田 |
職隆 |
70 | 44 | 63 |
G |
45 | 55 |
足軽 | 商業 |
混乱 | 収拾 |
迎撃 |
くろだ | よしたか |
朝廷 | 天下布武 | 播磨 | 武将 | (1546-1604)豊臣家臣。主君・秀吉の参謀を務め、秀吉の天下統一に大きく貢献した。しかしその卓抜した戦略的手腕を恐れられ、禄高は豊前中津12万石におさえられた。
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黒田 |
孝高 |
81 | 81 | 88 |
G |
35 | 98 |
鉄砲 | 弁舌 |
虚報 | 焙烙 |
破壊 |
くろだ | ながまさ |
朝廷・名声 | 天下布武 | 播磨 | 武将 | (1568-1623)豊臣家臣。官兵衛孝高の嫡男。九州征伐などで活躍した。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後筑前福岡52万石を領す。以後は徳川幕府への恭順の姿勢を貫いた。
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黒田 |
長政 |
80 | 63 | 76 |
G |
44 | 77 |
鉄砲 | 改修 |
離反 | 収拾 |
迎撃 |
もり | とものぶ |
無し | 好戦直情 | 播磨 | 武将 | (1556-1615)黒田家臣。後藤基次と双璧をなした家中屈指の猛将。福島正則が大杯に満たした酒を呑み干し、名槍「日本号」を拝領した。その姿は今も「黒田節」に残る。
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母里 |
友信 |
11 | 72 | 39 |
G |
82 | 30 |
長槍 | 威圧 |
威圧 | 破壊 |
迎撃 |
はなぶさ | まさゆき |
幕府 | 保守鳩派 | 播磨 | 武将 | (1524-1605)宇喜多家臣。虫明城主。主君・直家の創業を支えた重臣の1人。弓の名手として知られ、各地の合戦で活躍した。細川藤孝から古今伝授を受けた文人でもある。
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花房 |
正幸 |
50 | 54 | 60 |
G |
48 | 56 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | 破壊 |
迎撃 |
はなぶさ | まさなり |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 備前 | 旧仏教 | (1555-1623)宇喜多家臣。正幸の子。羽柴秀吉の中国征伐軍に従った際、高松城を水攻めにすることを進言したという。のちに内乱により主家を出奔し、徳川家康に仕えた。
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花房 |
正成 |
65 | 43 | 67 |
G |
62 | 45 |
鉄砲 | 哀願 |
密偵 | 修復 |
誘導 |
にき | よしはる |
名声 | 保守鳩派 | 阿波淡路 | 商人 | (1565-1653)細川家臣。勝瑞城下に住んだ。勝瑞城の落城後は隠棲するが、のちに蜂須賀家政に招かれ、その後は商人として家政に仕えた。のちに「昔阿波物語」を著した。
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仁木 |
義治 |
72 | 22 | 8 |
G |
70 | 18 |
足軽 | 商業 |
治療 | - |
- |
いちじょう | かねさだ |
朝廷 | 保守鳩派 | 土佐 | 切支丹 | (1543-1585)土佐一条家4代当主。房基の子。日夜酒色にふける生活を送ったため、家臣たちによって追放された。のちに大友宗麟の後援で旧領回復を企てるが、失敗した。
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一条 |
兼定 |
19 | 4 | 1 |
G |
22 | 2 |
足軽 | 哀願 |
誘導 | - |
- |
どい | そうさん |
朝廷 | 好戦人情 | 土佐 | 武将 | (1513-1572)土佐一条家臣。放蕩三昧の主君・兼定に対してたびたび諫言を行うが、兼定の勘気を蒙り手討ちにされた。これが家臣の離反を招き、兼定追放の一因となった。
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土居 |
宗珊 |
69 | 53 | 71 |
G |
82 | 7 |
長槍 | 登用 |
収拾 | 焙烙 |
誘導 |