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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
まつだ | のりひで |
名声 | 好戦陰湿 | 相模伊豆 | 武将 | (1540-1590)北条家臣。筆頭家老を務めた。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城への籠城を主張し採用された。のちに秀吉に寝返ろうとして失敗、戦後、自害させられた。
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松田 |
憲秀 |
63 | 9 | 67 |
G |
5 | 74 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | 誘導 |
- |
だいどうじ | もりまさ |
朝廷 | 保守鳩派 | 相模伊豆 | 武将 | (1472-1555)北条家臣。鎌倉代官や河越城代を歴任した。大道寺家は「御由緒家」と呼ばれる北条家譜代の家臣で、北条早雲に従い駿河に下った太郎(発専)を始祖とする。
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大道寺 |
盛昌 |
71 | 35 | 42 |
G |
60 | 20 |
足軽 | 農業 |
治療 | 誘導 |
- |
だいどうじ | まさしげ |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 相模伊豆 | 武将 | (1533-1590)北条家臣。盛昌の子。行政に手腕を発揮し、河越城下の繁栄に貢献した。豊臣秀吉の小田原征伐軍に降伏し、道案内を務めたが、秀吉によって自害させられた。
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大道寺 |
政繁 |
79 | 41 | 53 |
G |
26 | 62 |
足軽 | 商業 |
混乱 | 誘導 |
- |
いたべおか | こうせつさい |
名声 | 好戦陰湿 | 相模伊豆 | 旧仏教 | (1537-1609)北条家臣。右筆・評定衆を務めた。徳川家康との講和交渉や、豊臣秀吉との折衝など、対外交渉に手腕を発揮した。主家滅亡後は、秀吉に御咄衆として仕えた。
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板部岡 |
江雪斎 |
72 | 2 | 73 |
G |
33 | 24 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | 誘導 |
- |
ほんだ | としひさ |
無し | 保守鷹派 | 尾張 | 国人 | (1539-1603)豊臣家臣。はじめ水野半右衛門と名乗り岩倉城主・織田信安に仕えた。のちに豊臣秀長に属し、脇坂安治の転封により高取城主となり、2万5千石を領した。
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本多 |
利久 |
37 | 43 | 29 |
G |
37 | 46 |
足軽 | 農業 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
ほんだ | としとも |
名声 | 保守鳩派 | 尾張 | 国人 | (1561-1610)豊臣家臣。利久の子。高取城主。関ヶ原合戦では東軍に属し、居城が城主不在となる。そのため西軍の攻撃を受けるが落城を免れた。戦後、本領を安堵された。
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本多 |
利朝 |
38 | 29 | 41 |
G |
45 | 49 |
鉄砲 | 商業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
とみた | のぶたか |
朝廷・名声 | 好戦人情 | 近江 | 武将 | (1564-1633)豊臣家臣。関ヶ原合戦では東軍に属し、伊勢安濃津城に籠城するが敗れ、高野山に登る。戦後、召し出されて伊予宇和島12万石を領すが、のちに改易された。
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富田 |
信高 |
46 | 45 | 50 |
G |
45 | 56 |
鉄砲 | 哀願 |
威圧 | 迎撃 |
- |
かに | よしなが |
無し | 好戦直情 | 美濃 | 武将 | (1554-1613)福島家臣。侍大将を務める。宝蔵院胤栄に槍術を学ぶ。関ヶ原合戦では討ち取った17の首級すべてに笹を差して目印としたため「笹の才蔵」の異名をとった。
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可児 |
吉長 |
3 | 74 | 18 |
G |
28 | 40 |
長槍 | 哀願 |
破壊 | 挑発 |
- |
とおやま | ともかつ |
無し | 保守鳩派 | 美濃 | 国人 | (1511-1570)美濃の豪族。苗木城主。遠山家は遠山庄を領した加藤景朝(源頼朝に仕えた景廉の子)を祖とする。のちに「遠山七家」が諸城に拠って東美濃に勢威を張った。
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遠山 |
友勝 |
47 | 25 | 32 |
G |
37 | 22 |
足軽 | 改修 |
威圧 | - |
- |
とおやま | ともただ |
名声 | 好戦人情 | 美濃 | 国人 | (1531-1605)美濃の豪族。苗木城主。友勝の子。武田家臣・秋山信友と戦う。のちに森長可と争って出奔、徳川家康を頼る。関ヶ原合戦で河尻秀長を破り、居城を奪還した。
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遠山 |
友忠 |
37 | 40 | 23 |
G |
48 | 58 |
騎馬 | 弁舌 |
密偵 | - |
- |
とおやま | ともまさ |
無し | 保守鳩派 | 美濃 | 国人 | (1556-1619)美濃の豪族。苗木城主。友忠の子。金山城主・森長可と争って居城を出奔し、徳川家康を頼る。関ヶ原合戦では東軍に属して河尻秀長を破り、居城を奪還した。
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遠山 |
友政 |
42 | 30 | 43 |
G |
61 | 31 |
鉄砲 | 商業 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
あしだ | のぶもり |
幕府 | 保守鷹派 | 北信濃 | 武将 | (1526-1575)武田家臣。三岳城主。下野守と称した。三方ヶ原合戦後、二俣城主となる。長篠合戦で主家が大敗したあと、徳川家康の軍に居城を囲まれ、防戦中に病死した。
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蘆田 |
信守 |
23 | 55 | 40 |
G |
53 | 44 |
長槍 | 改修 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
よだ | のぶしげ |
幕府・名声 | 好戦直情 | 北信濃 | 武将 | (1548-1583)武田家臣。信守の子。二俣城主を務め、父とともに徳川軍と戦った。主家滅亡後は徳川家に仕え、信濃攻略に参加するが岩尾城攻撃戦で銃弾を浴び、戦死した。
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依田 |
信蕃 |
19 | 54 | 54 |
G |
51 | 68 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 破壊 |
突入 |
おがさわら | さだよし |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 南信濃 | 武将 | (1546-1595)徳川家臣。長時の嫡男。各地を流浪後、徳川家康の後援を得て旧領を回復し、以後は徳川家に仕える。家康の孫娘を子・秀政に迎えるなど、関係強化に努めた。
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小笠原 |
貞慶 |
59 | 55 | 38 |
G |
70 | 55 |
騎馬 | 改修 |
収拾 | 誘導 |
- |
おがさわら | ひでまさ |
幕府 | 保守鳩派 | 摂津 | 武将 | (1569-1615)徳川家臣。貞慶の嫡男。石川康長の改易後、旧領の信濃松本6万石を領す。大坂夏の陣で戦死した。主君・家康に「信濃は…」と言い残して絶命したという。
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小笠原 |
秀政 |
56 | 45 | 28 |
G |
58 | 39 |
騎馬 | 哀願 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
みぞぐち | さだやす |
無し | 好戦人情 | 南信濃 | 武将 | (1539-1613)小笠原家臣。主君・貞慶の旧領復帰に尽力する。貞慶の側近として政務に参画、また侍大将として各地に出陣するなど活躍した。のちに「溝口家記」を著した。
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溝口 |
貞泰 |
37 | 46 | 56 |
G |
72 | 44 |
長槍 | 農業 |
密偵 | 誘導 |
- |
ふたつぎ | しげよし |
名声 | 好戦人情 | 南信濃 | 武将 | (1530-1616)小笠原家臣。重高の嫡男。武田家の滅亡後、徳川家康の援護で小笠原貞種を深志城から退却させ、主家の旧領復帰を実現させた。のちに「二木家記」を著した。
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二木 |
重吉 |
54 | 45 | 59 |
G |
83 | 34 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 迎撃 |
- |
いぬかい | ひさとも |
無し | 好戦直情 | 南信濃 | 武将 | (1546-1620)小笠原家臣。政徳の三男。日岐城攻めや高遠城攻めなど、各地の合戦に侍大将として従軍し、活躍。のちに筆頭家老として家中最高の1千6百石を給与された。
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犬甘 |
久知 |
33 | 59 | 58 |
G |
73 | 32 |
騎馬 | 農業 |
治療 | 修復 |
迎撃 |
ながお | はるかげ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 南越後 | 武将 | (1509-1553)越後の戦国大名。為景の嫡男。父の死後に家督を継ぐ。しかし病弱で統率力に欠けたため諸将から反発を受け、上杉定実の調停のもと弟・景虎に家督を譲った。
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長尾 |
晴景 |
37 | 25 | 15 |
G |
24 | 26 |
足軽 | 農業 |
混乱 | - |
- |
うえすぎ | かげのぶ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 北越後 | 武将 | (1527-1578)上杉家臣。主君・謙信が関東管領に就任した際、謙信とともに上杉姓に改める。一門衆の重鎮として各地を転戦した。御館の乱で上杉景虎方に属し、戦死した。
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上杉 |
景信 |
54 | 16 | 40 |
G |
42 | 47 |
騎馬 | 農業 |
鼓舞 | - |
- |