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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
なんぶ | はるまさ |
朝廷 | 好戦直情 | 陸奥 | 武将 | (1517-1582)南部家24代当主。安信の子。将軍・足利義晴の偏諱を賜り、晴政と名乗る。三戸城を本拠に「三日月の丸くなるまで南部領」といわれる広大な版図を築いた。
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南部 |
晴政 |
36 | 79 | 36 |
R |
29 | 92 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 破壊 |
突入 |
かさい | はるたね |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 陸前 | 武将 | (1497-1555)葛西家15代当主。晴重の次男。寺池城主。兄・守信とその養子・晴清(伊達稙宗の子)がともに早世したため、家督を継ぐ。将軍・足利義晴の偏諱を受けた。
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葛西 |
晴胤 |
42 | 36 | 44 |
R |
52 | 35 |
長槍 | 哀願 |
治療 | 誘導 |
- |
かさい | ちかのぶ |
朝廷 | 保守鳩派 | 陸前 | 武将 | (1513-1560)葛西家16代当主。晴胤の嫡男。寺池城主。父の死後、葛西家の家督を継ぐ。しかし、病弱のため、さしたる事跡も残せぬまま、治世わずか5年で病没した。
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葛西 |
親信 |
35 | 18 | 24 |
R |
44 | 21 |
騎馬 | 商業 |
収拾 | - |
- |
かさい | はるのぶ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 陸前 | 武将 | (1534-1597)葛西家17代当主。晴胤の次男。寺池城主。兄・親信の死後、家督を継ぐ。伊達家と結んで大崎家と戦った。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣せず、改易された。
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葛西 |
晴信 |
49 | 40 | 42 |
R |
36 | 71 |
騎馬 | 登用 |
密偵 | 破壊 |
- |
かさい | としのぶ |
朝廷 | 好戦直情 | 陸前 | 武将 | (1579-1635)伊達家臣。父・重俊は胤重(晴信の弟)の子。兄・重信は宇和島伊達家に仕えて宇和島に赴いた。馬術の名手として知られ、京都で数回、妙技を披露している。
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葛西 |
俊信 |
9 | 61 | 4 |
R |
76 | 15 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 迎撃 |
- |
かしやま | あきよし |
朝廷 | 保守鷹派 | 陸中 | 武将 | (1530-1595)葛西家臣。大林城主。柏山家は奥州千葉家の一族。胆沢郡の惣領職を務め、家中屈指の軍事力を誇っていた。葛西・大崎一揆で総大将を務めた柏山明宗の父。
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柏山 |
明吉 |
37 | 64 | 57 |
R |
53 | 61 |
長槍 | 改修 |
威圧 | 破壊 |
誘導 |
かしやま | あきすけ |
朝廷 | 好戦人情 | 陸中 | 武将 | (1578-1624)葛西家臣。明宗の嫡男。主家滅亡後、南部家に仕える。岩崎城代を務め、和賀兵乱の鎮定などに活躍したが、剛勇ぶりを恐れた主君・利直によって毒殺された。
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柏山 |
明助 |
10 | 56 | 21 |
R |
57 | 49 |
騎馬 | 農業 |
鼓舞 | 破壊 |
- |
いわき | しげたか |
朝廷 | 好戦陰湿 | 磐城 | 武将 | (1500-1569)陸奥大館城主。伊達家の内紛(天文の大乱)の際は、娘・久保が晴宗の妻であった関係から、晴宗方に属した。佐竹義篤ともたびたび争った。和歌をよくした。
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岩城 |
重隆 |
63 | 63 | 61 |
R |
44 | 74 |
長槍 | 茶湯 |
治療 | 収拾 |
誘導 |
こまきね | としまさ |
無し | 好戦人情 | 磐城 | 国人 | (1554-1635)豊臣・徳川家臣。陸奥岩城の地侍をよく掌握していたため、3千石を与えられ、代官となる。関ヶ原合戦後は徳川家に仕え、平藩主となった鳥居忠政に仕えた。
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駒木根 |
利政 |
65 | 50 | 46 |
R |
19 | 56 |
鉄砲 | 登用 |
焙烙 | 誘導 |
- |
はが | たかつね |
朝廷 | 好戦直情 | 下野 | 武将 | (1497-1541)宇都宮家臣。一族の者が宇都宮家に殺されたのを恨み、壬生綱房と結んで主君・興綱を討った。のちに皆川家と結んで挙兵するが、興綱の子・尚綱に討たれた。
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芳賀 |
高経 |
54 | 61 | 57 |
R |
53 | 80 |
長槍 | 商業 |
罵声 | 誘導 |
迎撃 |
はが | たかつぐ |
朝廷 | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1526-1592)宇都宮家臣。高経の次男。父の横死により益子領へ逃亡するが、のちに芳賀高定から家督を譲られて帰参。宿老として家中の内政・外交全般を取り仕切った。
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芳賀 |
高継 |
49 | 47 | 54 |
R |
60 | 57 |
騎馬 | 農業 |
密偵 | 誘導 |
- |
なす | すけはる |
幕府 | 好戦直情 | 下野 | 武将 | (1557-1610)下野の戦国大名。資胤の嫡男。薄葉ヶ原合戦で宇都宮軍に大勝し、近隣に武名を轟かせた。豊臣秀吉の小田原征伐の際に遅参したため、所領を没収された。
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那須 |
資晴 |
31 | 34 | 26 |
R |
36 | 58 |
足軽 | 哀願 |
治療 | - |
- |
なす | すけかげ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1586-1656)下野那須藩主。資晴の嫡男。小田原征伐に遅参して改易された父に代わって5千石を領した。関ヶ原合戦では東軍に属した。大坂の陣にも参加し、功を立てた。
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那須 |
資景 |
36 | 16 | 38 |
R |
52 | 38 |
足軽 | 弁舌 |
混乱 | - |
- |
ふくはら | すけたか |
朝廷 | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1535-1614)那須七党の一。大田原資清の子。父が強制的に隠居させた福原資安の跡を継ぎ、兄・大関高増を補佐した。豊臣秀吉の小田原征伐に遅参し、所領を削られた。
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福原 |
資孝 |
45 | 37 | 62 |
R |
36 | 68 |
騎馬 | 商業 |
混乱 | 修復 |
- |
ふくはら | すけやす |
朝廷 | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1571-1633)那須七党の一。資孝の次男。兄・資広の養子となり家督を継ぐ。関ヶ原合戦では東軍に属す。大坂の陣では本多正信に属して戦った。のちに大坂城番を務めた。
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福原 |
資保 |
44 | 38 | 52 |
R |
53 | 44 |
鉄砲 | 哀願 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
かぶと | さだひで |
朝廷 | 保守鷹派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1516-1575)伊勢の豪族。鹿伏兎城主。鹿伏兎家は関家の庶流。織田信長の三男・信孝が神戸家の養子となってからは織田家に従うが姉川合戦の際は浅井家に属して戦った。
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鹿伏兎 |
定秀 |
41 | 40 | 31 |
R |
48 | 57 |
長槍 | 威圧 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
こう | もりたね |
朝廷 | 保守鷹派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1540-1589)伊勢の豪族。国府城主。国府家は関家の庶流。織田信雄に属す。小牧長久手合戦に従軍し、加賀井城で戦死したとも、蒲生氏郷軍に敗れ尾張に逃れたともいう。
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国府 |
盛種 |
44 | 27 | 20 |
R |
50 | 37 |
騎馬 | 哀願 |
威圧 | - |
- |
たけだ | のぶかど |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 甲斐 | 武将 | (1528-1582)信虎の三男。次兄・信繁の死後、親族衆の筆頭として長兄・信玄を補佐。容貌が信玄に似ていたため、影武者も務めた。画才があり、人物画などの作品を残す。
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武田 |
信廉 |
54 | 21 | 38 |
R |
37 | 21 |
騎馬 | 弁舌 |
治療 | - |
- |
おばた | かげのり |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 北信濃 | 武将 | (1572-1663)徳川家臣。甲州流兵学者。昌盛の子。主君・秀忠の小姓となるが、のちに出奔。大坂の陣後、帰参を果たした。甲州流兵学を集大成し、多くの門弟に教授した。
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小幡 |
景憲 |
3 | 68 | 54 |
R |
18 | 85 |
鉄砲 | 登用 |
混乱 | 誘導 |
分断 |
はじかの | まさつぐ |
無し | 保守鷹派 | 甲斐 | 武将 | (1545-1624)武田家臣。川中島合戦において戦死した初鹿野源五郎の跡を継ぐ。主家滅亡後は徳川家康に仕え、小牧長久手合戦、小田原征伐、大坂の陣など各地で活躍した。
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初鹿野 |
昌次 |
28 | 45 | 47 |
R |
55 | 50 |
騎馬 | 改修 |
収拾 | 誘導 |
- |