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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
かさい | まさのぶ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 陸前 | 武将 | (1433-1506)葛西家13代当主。はじめ甥・尚信を補佐する。尚信の早世により葛西家を継ぐが、尚信を毒殺して家督を奪ったとの風聞があり、家中に争乱を招いた。
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葛西 |
政信 |
58 | 33 | 82 |
R |
41 | 82 |
騎馬 | 威圧 |
密偵 | 誘導 |
迎撃 |
かさい | はるしげ |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 陸前 | 武将 | (1469-1533)葛西家14代当主。政信の子。陸奥守、壱岐守と称す。分裂状態にあった葛西家を一本化するが、その背景には伊達稙宗の強力な軍事介入があったといわれる。
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葛西 |
晴重 |
35 | 18 | 57 |
R |
69 | 50 |
長槍 | 商業 |
混乱 | 迎撃 |
- |
いわき | つねたか |
朝廷 | 天下布武 | 磐城 | 武将 | (1451-1510)陸奥の豪族。娘は佐竹義舜らに嫁ぐ。飯野平城を築き居城とした。佐竹家や白河結城家を破って所領を拡大、岩城家最大の版図を築く。連歌などにもすぐれた。
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岩城 |
常隆 |
80 | 63 | 72 |
R |
58 | 90 |
騎馬 | 茶湯 |
虚報 | 迎撃 |
放火 |
いわまつ | ひさずみ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 上野 | 高家 | (1461-1511)上野金山城主。祖父・家純の死後、家督を継いだ。文芸の道に傾倒したため、家臣・横瀬成繁と対立、のちに古河公方・足利成氏の仲介により隠居させられた。
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岩松 |
尚純 |
18 | 18 | 18 |
R |
36 | 3 |
足軽 | 茶湯 |
鼓舞 | - |
- |
とき | まさふさ |
幕府 | 天下布武 | 美濃 | 高家 | (1467-1519)美濃守護。福光城を築いて居城とする。のちに長男・政頼を廃して次男・頼芸を擁立しようとするが、守護代・斎藤利良の協力を得られず、実現しなかった。
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土岐 |
政房 |
22 | 28 | 54 |
R |
48 | 21 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | 修復 |
- |
しばた | ながつな |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 北越後 | 国人 | (1471-1530)越後の豪族。新発田城主。備前守と称した。新発田家は、兄・定綱とともに源頼朝に仕えて各地で活躍したご家人・佐々木盛綱を祖とする加地家の庶流という。
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新発田 |
長綱 |
30 | 20 | 20 |
R |
53 | 43 |
長槍 | 弁舌 |
鼓舞 | - |
- |
うさみ | ふさただ |
無し | 好戦人情 | 南越後 | 武将 | (1468-1514)越後上杉家臣。琵琶島城主。主君・上杉定実を擁して小野城に拠り、長尾為景と戦うが敗れ、岩手城に退却。のち岩手城も為景に攻められて落城し、戦死した。
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宇佐美 |
房忠 |
36 | 72 | 34 |
R |
73 | 26 |
騎馬 | 弁舌 |
離反 | 迎撃 |
突入 |
のぶなが | はるのぶ |
無し | 保守鷹派 | 丹後 | 武将 | (1471-1522)一色家臣。丹後守護代を務めた。豪族・石川直経とたびたび戦いを展開した。のちに主家に背き、主家への援軍として朝倉家から派遣された朝倉宗滴と戦った。
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延永 |
春信 |
47 | 36 | 39 |
R |
25 | 43 |
騎馬 | 農業 |
密偵 | 修復 |
- |
やくしじ | ながただ |
無し | 好戦直情 | 摂津 | 武将 | (1478-1507)細川家臣。謀叛を起こした兄・元一の討伐に活躍。香西元長とともに主君・政元を暗殺し澄之(政元の養子)を擁立するが、三好之長らに攻められ、戦死した。
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薬師寺 |
長忠 |
24 | 26 | 72 |
R |
71 | 65 |
長槍 | 登用 |
混乱 | 焙烙 |
- |
かがわ | みつかげ |
無し | 好戦人情 | 讃岐 | 国人 | (1478-1536)細川家臣。香川家は、後三年の役で功を立てた鎌倉権五郎景政の末裔という。讃岐半国守護代を務め、西讃岐を治めた。主家の家督争いでは、澄元を支持した。
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香川 |
満景 |
45 | 36 | 36 |
R |
28 | 47 |
長槍 | 登用 |
治療 | 迎撃 |
- |
しまづ | ただまさ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 薩摩 | 武将 | (1463-1508)島津家11代当主。桂庵玄樹を招いて朱子学を講じさせ、薩南学派の基礎を築くなど領内の統治に努めたが、一族や国人衆の度重なる反乱を苦として自害した。
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島津 |
忠昌 |
51 | 32 | 38 |
R |
64 | 55 |
足軽 | 哀願 |
焙烙 | 迎撃 |
- |
しまづ | かつひさ |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 薩摩 | 武将 | (1503-1573)島津家14代当主。忠昌の三男。島津実久が守護職を強要したため、島津忠良・・貴久親子に国政を委ねるが、のちに復帰を企てたため、領内に混乱を招いた。
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島津 |
勝久 |
26 | 32 | 58 |
R |
36 | 22 |
足軽 | 農業 |
治療 | 誘導 |
- |
にった | よしさだ |
幕府 | 天下布武 | 上野 | 高家 | (1552-1589)南北朝期の武将。足利尊氏らとともに後醍醐天皇に属し、鎌倉幕府を倒す功を立てたが、離反した尊氏と対立。越前灯明寺の戦いで眉間を射抜かれて戦死した。
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新田 |
義貞 |
31 | 95 | 18 |
R |
75 | 13 |
長槍 | 威圧 |
破壊 | 挑発 |
- |
わだ | よしもり |
幕府 | 保守鳩派 | 相模伊豆 | 武将 | (1564-1630)鎌倉幕府の御家人。侍所別当を務めるなど、源頼朝の信頼は厚かった。頼朝の死後、北条義時と対立し、北条家打倒を目指して挙兵するが、敗北して自害した。
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和田 |
義盛 |
39 | 69 | 54 |
R |
66 | 26 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 鼓舞 |
誘導 |
けいあん | げんじゅ |
朝廷・名声 | 好戦人情 | 周防長門 | 旧仏教 | (1552-1633)室町後期の禅僧。明で宋学を学んだ。帰国後、島津忠昌の招きで薩摩竜雲寺に住み、宋学の普及に尽力。玄樹の学統「薩南学派」は近世朱子学の源流となった。
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桂庵 |
玄樹 |
81 | 20 | 92 |
R |
88 | 11 |
足軽 | 弁舌 |
治療 | 分断 |
- |
つだ | かずなが |
無し | 保守鷹派 | 紀伊 | 国人 | (1563-1610)日本最古の砲術・津田流砲術の祖。監物と称す。種子島時堯から砲術を学ぶ。のちに堺の鍛冶・芝辻清右衛門に鉄砲の製造技術を伝え、堺を鉄砲生産地とした。
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津田 |
算長 |
51 | 84 | 82 |
R |
29 | 54 |
鉄砲 | 茶湯 |
誘導 | 挑発 |
放火 |