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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
しかま | たかひで |
名声 | 好戦陰湿 | 陸前 | 武将 | (1547-1596)大崎家臣。四釜城主。剛勇にして智力ありと謳われた。大崎家内乱の際には、主君・義隆の命で中新田城を守り、侵攻してきた伊達軍と抗戦、これを撃退した。
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四釜 |
隆秀 |
46 | 56 | 52 |
I |
20 | 61 |
騎馬 | 改修 |
治療 | 修復 |
迎撃 |
さたけ | さだたか |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 常陸 | 武将 | (1583-1620)陸奥大館城主。佐竹義重の三男。岩城常隆の養子となる。関ヶ原合戦に出陣せず改易された。のちに大坂の陣に参加し、信濃川中島1万石を与えられた。
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佐竹 |
貞隆 |
49 | 36 | 41 |
I |
52 | 24 |
鉄砲 | 改修 |
威圧 | 誘導 |
- |
しらかわ | よしひろ |
幕府 | 保守鷹派 | 常陸 | 武将 | (1576-1631)蘆名家20代当主。佐竹義重の次男。白河結城家の養子となるが、のち蘆名盛隆の娘を娶り蘆名家を継ぐ。摺上原で伊達政宗の軍に敗れ、故郷の常陸に逃れた。
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白河 |
義広 |
47 | 46 | 23 |
I |
47 | 42 |
足軽 | 哀願 |
罵声 | 誘導 |
- |
なんぶ | まさなお |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 陸奥 | 武将 | (1540-1594)安東家臣。宮内少輔と称した。安東家の外交官としてたびたび京都へ赴き、山科言継や織田信長と会見した。愛季が信長に馬と鷹を贈った際も使者を務めた。
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南部 |
政直 |
62 | 17 | 51 |
I |
68 | 51 |
足軽 | 弁舌 |
密偵 | 挑発 |
- |
のべさわ | みつのぶ |
無し | 好戦直情 | 羽前 | 国人 | (1544-1591)最上家臣。はじめ天童家に仕えたが、嫡男・康満に最上義光の娘・松尾を迎える条件で和睦した。大力剛勇の武将で、義光は内心脅威を感じていたという。
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延沢 |
満延 |
9 | 77 | 27 |
I |
36 | 70 |
騎馬 | 改修 |
罵声 | 修復 |
迎撃 |
やしろ | かげより |
名声 | 好戦陰湿 | 羽前 | 武将 | (1563-1608)伊達家臣。14歳で政宗に近侍。知勇の才群を抜き、政宗不在時の留守居役を任された。しかし傲慢の振る舞いが多かったため改易され、流浪の末に病死した。
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屋代 |
景頼 |
16 | 33 | 73 |
I |
27 | 67 |
長槍 | 威圧 |
混乱 | 罵声 |
破壊 |
さたけ | よしあき |
幕府 | 天下布武 | 常陸 | 武将 | (1531-1565)佐竹家17代当主。義篤の嫡男。南陸奥の白河結城家を降し、常陸の覇権を巡って小田家と争った。関東管領・上杉憲政が庇護を求めた際は、これを拒否した。
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佐竹 |
義昭 |
78 | 69 | 66 |
I |
63 | 83 |
長槍 | 威圧 |
鼓舞 | 破壊 |
誘導 |
さたけ | よしかど |
幕府 | 保守鷹派 | 常陸 | 武将 | (1506-1570)佐竹家臣。北家・義信の次男。兄・義住の戦死により家督を継ぐ。若年の宗家・義昭に仕え、東家・義堅や南家・義里らと交代で佐竹家の家政を執行した。
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佐竹 |
義廉 |
54 | 34 | 37 |
I |
55 | 53 |
騎馬 | 農業 |
治療 | 迎撃 |
- |
さたけ | よしのり |
幕府 | 保守鷹派 | 常陸 | 武将 | (1570-1607)佐竹家臣。北家・義斯の嫡男。義重の三男・貞隆の岩城家入嗣に随行、植田城に入り岩城家の家政を執行した。主家が出羽秋田に転封された際、これに従った。
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佐竹 |
義憲 |
50 | 29 | 48 |
I |
44 | 54 |
足軽 | 登用 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
おぬき | よりひさ |
幕府 | 保守鳩派 | 常陸 | 武将 | (1544-1603)佐竹家臣。義重・義宣2代に側近として仕え、外交面で重要な役割を果たした。知行割替時には、和田昭為、人見藤通とともに義宣の三奉行として活躍した。
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小貫 |
頼久 |
59 | 36 | 54 |
I |
65 | 47 |
足軽 | 農業 |
密偵 | 誘導 |
- |
わだ | あきため |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 常陸 | 武将 | (1534-1608)佐竹家臣。一時白河結城家に属すが、義昭・義重・義宣の3代に仕え、内政や外交など各方面で活躍。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際は国元に残り、国政を代行した。
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和田 |
昭為 |
68 | 52 | 59 |
I |
39 | 49 |
長槍 | 商業 |
収拾 | 迎撃 |
放火 |
さとみ | よしたか |
幕府 | 好戦直情 | 上総安房 | 武将 | (1512-1574)房総の戦国大名。父・実堯を殺した従兄弟・義豊を討ち、当主となる。国府台合戦では北条氏康に敗れたが、その後も房総に勢力を広げ、北条家と戦い続けた。
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里見 |
義堯 |
50 | 74 | 71 |
I |
57 | 87 |
騎馬 | 改修 |
離反 | 虚報 |
修復 |
さとみ | よしひろ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 上総安房 | 武将 | (1530-1578)房総の戦国大名。義堯の長男。上杉謙信と結んで北条家と争う。国府台合戦では北条軍に敗れたが、のちに勢力を回復した。父の死後、北条家と和議を結んだ。
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里見 |
義弘 |
45 | 58 | 44 |
I |
47 | 71 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | 誘導 |
- |
まさき | ときしげ |
無し | 好戦直情 | 上総安房 | 武将 | (1514-1576)里見家臣。大多喜城主。槍に長じ「槍大膳」の異名をとった。2度の国府台合戦をはじめとする里見家の合戦にはほとんど参陣し、勇名を近隣諸国に轟かせた。
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正木 |
時茂 |
14 | 69 | 38 |
I |
78 | 72 |
長槍 | 農業 |
威圧 | 修復 |
誘導 |
おおた | すけたか |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 武蔵 | 武将 | (1493-1547)扇谷上杉家臣。北条家に通じて江戸城を占拠し、主君・朝興を河越城に追う。のち、北条家臣の遠山・富永両家とともに江戸城を守り、香月亭に住んだという。
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太田 |
資高 |
45 | 48 | 37 |
I |
27 | 47 |
足軽 | 哀願 |
密偵 | 誘導 |
- |
おおた | やすすけ |
幕府 | 好戦直情 | 武蔵 | 武将 | (1531-1581)北条家臣。資高の子。のちに里見家に属し、第二次国府台合戦に従軍した。武田家・上杉家に飛脚を送るなど、外交でも活躍。三十人力の豪傑であったという。
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太田 |
康資 |
22 | 67 | 28 |
I |
41 | 51 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | 破壊 |
- |
おおた | しげまさ |
幕府 | 保守鳩派 | 上総安房 | 武将 | (1561-1610)徳川家臣。康資の子。はじめ父とともに里見家に属す。父の死後は、佐竹家に属していた太田資正を頼る。のちに徳川家康に仕えた。妹は家康の側室となった。
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太田 |
重正 |
42 | 29 | 38 |
I |
66 | 24 |
鉄砲 | 商業 |
治療 | - |
- |
なごや | かつやす |
無し | 好戦直情 | 尾張 | 武将 | (1535-1564)尾張斯波家臣。16、7歳の頃、簗田弥次右衛門と男色の契りを結ぶ。のちに2人で織田信長に通じ、清洲城内の老臣を信長方につけるために画策したという。
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那古野 |
勝泰 |
28 | 59 | 37 |
I |
43 | 61 |
長槍 | 弁舌 |
罵声 | 分断 |
- |
やなだ | ひろまさ |
無し | 好戦陰湿 | 尾張 | 武将 | (1532-1579)織田家臣。桶狭間合戦では主君・信長の奇襲作戦を唯一支持し、戦後尾張沓掛3千貫を与えられた。のちに大聖寺城主となるが、一揆の再起により改易された。
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簗田 |
広正 |
42 | 19 | 48 |
I |
26 | 55 |
長槍 | 哀願 |
鼓舞 | 密偵 |
- |
さいとう | どうさん |
無し | 天下布武 | 山城 | 商人 | (1494-1556)「蝮」の異名をとった美濃の戦国大名。僧から油商人に転身、次いで美濃守護・土岐頼芸に仕官、頼芸を追放して国主となった。のちに子・義龍と戦い、敗死。
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斎藤 |
道三 |
87 | 76 | 87 |
I |
1 | 98 |
長槍 | 改修 |
混乱 | 虚報 |
修復 |