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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
こくぶん | もりしげ |
幕府 | 好戦直情 | 羽前 | 武将 | (1553-1615)伊達家臣。伊達晴宗の十男。国分家を継ぐ。1599年、病と称して岩出山城に出仕せず、叛意を疑われたため出奔。姉の嫁ぎ先である佐竹家に身を寄せた。
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国分 |
盛重 |
28 | 17 | 12 |
M |
14 | 45 |
鉄砲 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
いわき | ちかたか |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 羽前 | 武将 | (1540-1594)陸奥大館城主。伊達晴宗の長男。岩城重隆の養子となって家督を継ぎ、養父が築いた領国を継承する。しかし、佐竹家の侵攻を受け、従属を余儀なくされた。
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岩城 |
親隆 |
46 | 31 | 34 |
M |
41 | 47 |
足軽 | 登用 |
鼓舞 | - |
- |
いわき | つねたか |
幕府 | 保守鳩派 | 磐城 | 武将 | (1567-1590)陸奥大館城主。親隆の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して戦功を立て、秀吉から所領を安堵されたが、北条家の降伏後間もなく、鎌倉で病没した。
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岩城 |
常隆 |
44 | 27 | 27 |
M |
47 | 40 |
足軽 | 哀願 |
密偵 | - |
- |
ふなお | あきなお |
朝廷 | 保守鳩派 | 磐城 | 武将 | (1538-1607)佐竹家臣。船尾家は岩城由隆の弟・隆輔を祖とする。佐竹家に属し義昭・義重・義宣の3代に渡って仕え、陸奥方面における佐竹家の先鋒として活躍した。
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船尾 |
昭直 |
42 | 53 | 59 |
M |
30 | 40 |
長槍 | 威圧 |
治療 | 誘導 |
放火 |
まつもと | うじすけ |
無し | 保守鳩派 | 岩代 | 武将 | (1525-1575)蘆名家臣。舜輔の子。松本家は蘆名四天の宿老の一。図書助と称し、船岡城主を務めた。1575年、田村清顕の軍と安積郡福原で戦った際に戦死した。
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松本 |
氏輔 |
36 | 43 | 37 |
M |
36 | 57 |
長槍 | 商業 |
罵声 | 迎撃 |
- |
だて | まさむね |
幕府 | 天下布武 | 羽前 | 武将 | (1567-1636)伊達家17代当主。輝宗の嫡男。瞬く間に周辺諸国を切り従えて24歳で奥州に覇を唱え「独眼竜」と畏怖された。権謀術数で豊臣・徳川両政権を生き抜いた。
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伊達 |
政宗 |
85 | 86 | 84 |
M |
10 | 99 |
騎鉄 | 商業 |
焙烙 | 挑発 |
突入 |
かたくら | かげつな |
幕府 | 天下布武 | 羽前 | 武将 | (1557-1615)伊達家臣。19歳で主君・政宗の傅役となり「智」の面で政宗を補佐した智将。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣するよう政宗を説得し、伊達家の存続に貢献した。
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片倉 |
景綱 |
81 | 76 | 80 |
M |
91 | 53 |
騎鉄 | 農業 |
鼓舞 | 焙烙 |
誘導 |
かたくら | しげなが |
幕府 | 好戦直情 | 羽前 | 武将 | (1584-1659)伊達家臣。景綱の子。大坂夏の陣で後藤基次らを討ち取るなど活躍し、徳川家康から「鬼」と評された。この時に真田幸村の娘・梅を保護し、のちに妻とした。
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片倉 |
重長 |
51 | 67 | 36 |
M |
76 | 40 |
騎鉄 | 威圧 |
威圧 | 修復 |
誘導 |
ごとう | のぶやす |
無し | 好戦直情 | 羽前 | 武将 | (1555-1614)伊達家臣。湯目重弘の子で、後藤家を継ぐ。檜原城を守り、蘆名家に備えた。知勇に秀で、合戦では必ず黄色の母衣を用いたため「黄後藤」の異名をとった。
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後藤 |
信康 |
8 | 63 | 32 |
M |
60 | 63 |
騎馬 | 登用 |
罵声 | 破壊 |
- |
しろいし | むねざね |
幕府 | 好戦人情 | 陸前 | 国人 | (1553-1599)伊達家臣。輝宗・政宗の2代に仕え、各地の合戦で功を立てる。摺上原合戦では伊達成実とともに伊達軍の主力を形成した。豊臣秀吉の朝鮮派兵にも従軍した。
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白石 |
宗実 |
39 | 58 | 50 |
M |
55 | 44 |
騎馬 | 農業 |
威圧 | 修復 |
迎撃 |
すずき | もとのぶ |
無し | 天下布武 | 岩代 | 武将 | (1555-1620)伊達家臣。おもに内政面で活躍した。伊達家が天下を制した時を想定し式目などの草案を準備するが、臨終の際に「無用の長物」とこれらを焼却させたという。
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鈴木 |
元信 |
72 | 3 | 45 |
M |
65 | 64 |
鉄砲 | 商業 |
収拾 | - |
- |
はせくら | つねなが |
無し | 保守鷹派 | 羽前 | 武将 | (1571-1622)伊達家臣。主君・政宗の命を受け、宣教師・ルイス=ソテロとともに慶長遣欧使節としてスペインHなどを訪問。しかし目的を達成できず、8年後に帰国した。
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支倉 |
常長 |
63 | 15 | 36 |
M |
52 | 33 |
鉄砲 | 商業 |
焙烙 | - |
- |
はらだ | むねとき |
無し | 好戦人情 | 羽前 | 武将 | (1565-1593)伊達家臣。18歳で兵馬の権を与えられ各地で功を立てた剛勇の士。豊臣秀吉の朝鮮派兵に従軍中、病死した。伊達騒動の主人公・原田甲斐宗輔は孫にあたる。
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原田 |
宗時 |
16 | 71 | 47 |
M |
68 | 51 |
騎馬 | 改修 |
修復 | 誘導 |
挑発 |
ゆうき | はるとも |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1533-1614)結城家17代当主。小山高朝の次男。伯父・政勝の養子となる。北条・上杉両家の間で離合集散を繰り返した。のちに徳川家康の次男・秀康を養子とした。
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結城 |
晴朝 |
79 | 41 | 77 |
M |
16 | 50 |
騎馬 | 哀願 |
密偵 | 修復 |
誘導 |
まさき | ときただ |
名声 | 好戦陰湿 | 上総安房 | 武将 | (1518-1576)里見家臣。勝浦城主。兄・時茂とともに多くの合戦で戦功を立てる。第二次国府台合戦ののち、正木家の存続を優先して北条家に寝返ったが、のちに帰参した。
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正木 |
時忠 |
42 | 52 | 54 |
M |
26 | 60 |
騎馬 | 弁舌 |
混乱 | 迎撃 |
- |
まさき | よりただ |
無し | 好戦陰湿 | 上総安房 | 武将 | (1551-1622)里見家臣。時忠の子。父が北条家に属した際、人質となる。兄・時通の死後、居城・勝浦城に戻った。主家改易後は、紀伊徳川家に仕える子・為春を頼った。
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正木 |
頼忠 |
52 | 42 | 48 |
M |
38 | 53 |
足軽 | 商業 |
治療 | 迎撃 |
- |
まさき | ためはる |
名声 | 保守鳩派 | 上総安房 | 武将 | (1573-1652)里見家臣。頼忠の子。甥・徳川頼宣(実妹・お万の方の子)が紀伊和歌山藩主となった際、家老として紀伊に赴いた。晩年には仮名草子「あだ物語」を著した。
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正木 |
為春 |
58 | 27 | 44 |
M |
52 | 29 |
鉄砲 | 茶湯 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
とき | ためより |
無し | 好戦人情 | 上総安房 | 国人 | (1494-1583)里見家臣。万喜城主。家中屈指の戦上手といわれ「万喜少弼」と呼ばれて恐れられた。第二次国府台合戦後に里見家を離反、北条家に属して里見家と戦った。
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土岐 |
為頼 |
51 | 65 | 72 |
M |
44 | 63 |
長槍 | 登用 |
虚報 | 鼓舞 |
分断 |
とき | よりはる |
無し | 好戦人情 | 上総安房 | 国人 | (1526-1595)北条家臣。万喜城主。為頼の子。父の死後、家督を継ぐ。武田信栄や里見義康の攻撃をたびたび受けるが、居城を守り通す。小田原落城の直前に消息を絶った。
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土岐 |
頼春 |
35 | 57 | 58 |
M |
45 | 40 |
長槍 | 改修 |
混乱 | 誘導 |
分断 |
いまいずみ | たかみつ |
名声 | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1568-1597)宇都宮家臣。上三川城主。主君・国綱の後継者に浅野長政の子・長重を迎えることを主張し、宿老・芳賀高武と対立。のちに高武の攻撃を受け、敗死した。
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今泉 |
高光 |
56 | 27 | 45 |
M |
49 | 49 |
足軽 | 弁舌 |
威圧 | 迎撃 |
- |