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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
とざわ | ひでもり |
朝廷 | 保守鳩派 | 羽後 | 武将 | (1466-1529)戸沢家15代当主。飛騨守と称す。戸沢家は平将門を討った平貞盛の末裔・戸沢兼盛を祖とする。11代当主・家盛の頃に、居城を門屋城から角館城に移した。
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戸沢 |
秀盛 |
48 | 37 | 48 |
M |
40 | 48 |
騎馬 | 哀願 |
密偵 | 破壊 |
- |
せき | もりかつ |
朝廷 | 保守鳩派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1490-1549)伊勢の豪族。種盛の子。亀山城主。関家は南北朝時代には一貫して南朝方に属し北朝方に属した長野家らと戦った。南北朝の合一後、ようやく幕府に服属した。
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関 |
盛雄 |
41 | 40 | 32 |
M |
27 | 33 |
長槍 | 威圧 |
密偵 | 誘導 |
- |
はたけやま | よしむね |
幕府 | 保守鷹派 | 能登 | 高家 | (1462-1525)能登守護。義統の次男。兄・義元が遊佐統秀らに追われたため、当主となる。しかし一向一揆の蜂起により領内が動揺したため、義元と和睦し家督を返還した。
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畠山 |
慶致 |
65 | 29 | 27 |
M |
59 | 50 |
足軽 | 改修 |
罵声 | - |
- |
がもう | たかさと |
幕府 | 好戦陰湿 | 近江 | 武将 | (1476-1532)六角家臣。貞秀の次男。足利将軍家に仕えた兄・秀行の代理で六角家に仕えた。のちに主家の後援を得て秀行の子・秀紀を討ち、名実ともに蒲生家当主となる。
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蒲生 |
高郷 |
70 | 50 | 58 |
M |
13 | 72 |
騎馬 | 改修 |
治療 | 誘導 |
挑発 |
いせ | さだむね |
幕府 | 好戦人情 | 山城 | 高家 | (1444-1509)幕府政所執事。父・貞親が斯波家の家督問題で専横の振る舞いがあった際、泣いて諫言したという。殿中の礼式・故実に通じ、伊勢流武家故実を大成させた。
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伊勢 |
貞宗 |
85 | 19 | 21 |
M |
81 | 6 |
足軽 | 弁舌 |
威圧 | - |
- |
やくしじ | もとかず |
無し | 保守鳩派 | 摂津 | 武将 | (1476-1504)細川家臣。元長の子または養子という。摂津守護代を務めた。主君・政元を廃して澄元(政元の養子)を擁立しようとしたが失敗し、京都で自害させられた。
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薬師寺 |
元一 |
57 | 63 | 30 |
M |
19 | 80 |
騎馬 | 茶湯 |
収拾 | 迎撃 |
- |
やまな | とよより |
幕府・名声 | 好戦人情 | 因幡伯耆 | 高家 | (1464-1537)因幡守護。勝豊の子。兄・豊頼の跡を継ぐ。左馬助と称す。1513年、因幡国高草郡布施郷の一部を家臣の北河与三衛門尉に所領として与えた。
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山名 |
豊頼 |
48 | 39 | 34 |
M |
46 | 40 |
足軽 | 商業 |
罵声 | 誘導 |
- |
あかまつ | まさのり |
幕府 | 天下布武 | 播磨 | 高家 | (1455-1496)播磨守護。赤松家は嘉吉の乱により没落していたが、南朝方より神器を奪回した功により再興。浦上則宗の補佐を受けて山名家を駆逐し、旧領回復に成功した。
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赤松 |
政則 |
72 | 27 | 23 |
M |
78 | 78 |
騎馬 | 農業 |
治療 | - |
- |
こばやかわ | たかひら |
幕府・名声 | 好戦人情 | 備後 | 武将 | (1452-1499)備後の豪族。応仁の乱では東軍に属し、西軍の竹原小早川弘景を撃退した。将軍奉公衆として在京した際は、田坂家らを奉行人に据え領国の支配強化に努めた。
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小早川 |
敬平 |
56 | 63 | 55 |
M |
61 | 49 |
騎馬 | 農業 |
混乱 | 誘導 |
迎撃 |
もうり | おきもと |
朝廷 | 保守鳩派 | 安芸 | 武将 | (1492-1516)安芸の豪族。弘元の子。父の死後、大内家に従属し、船岡山合戦などに従軍。在京が長引くと、周辺の国人と一揆契約を結んで、芸備地方の安定化を図った。
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毛利 |
興元 |
67 | 43 | 19 |
M |
30 | 46 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | - |
- |
わたなべ | とおる |
無し | 好戦人情 | 安芸 | 武将 | (1509-1543)毛利家臣。相合元綱の擁立を企んで殺された勝の子。大内義隆が出雲遠征で大敗した際、殿軍を受け持つ主君・元就を救い、郎党とともに壮絶な戦死を遂げた。
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渡辺 |
通 |
18 | 71 | 18 |
M |
97 | 44 |
騎馬 | 登用 |
威圧 | 破壊 |
- |
きくち | まさたか |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 肥後 | 高家 | (1491-1509)肥後守護。子がなかった能運の養嗣子となり、家督を継ぐ。しかし菊池武経(阿蘇惟長)の擁立する家臣らの画策により治世わずか1年で当主の座を追われた。
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菊池 |
政隆 |
31 | 43 | 43 |
M |
58 | 50 |
長槍 | 哀願 |
混乱 | 迎撃 |
- |
あしかが | たかうじ |
幕府 | 天下布武 | 下野 | 高家 | (1565-1618)室町幕府初代将軍。後醍醐天皇に属して倒幕に貢献するが、のちに背いて光明天皇を擁立し幕府を開く。南朝方の蜂起や観応の擾乱など内乱に悩まされ続けた。
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足利 |
尊氏 |
99 | 63 | 98 |
M |
39 | 34 |
長槍 | 哀願 |
離反 | 収拾 |
迎撃 |
かわごえ | しげより |
幕府 | 保守鷹派 | 武蔵 | 武将 | (1566-1618)源平期の武蔵の豪族。源頼朝に臣従し、木曾義仲を討つなど活躍した。のちに娘を源義経に嫁がせるが、頼朝・義経兄弟の対立に巻き込まれ、頼朝に殺された。
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河越 |
重頼 |
66 | 51 | 65 |
M |
50 | 31 |
長槍 | 弁舌 |
収拾 | 分断 |
- |
あしかが | よしみつ |
幕府 | 天下布武 | 山城 | 高家 | (1564-1614)室町幕府3代将軍。管領・細川頼之の補佐を受け、南北朝の合一や幕府組織の整備などを行う一方で、鹿苑寺など多くの仏閣を建立して「北山文化」を広めた。
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足利 |
義満 |
97 | 56 | 94 |
M |
37 | 48 |
長槍 | 威圧 |
離反 | 密偵 |
分断 |
たけざき | すえなが |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 肥後 | 国人 | (1553-1610)鎌倉幕府の御家人。蒙古襲来の際は、少弐景資軍に属して奮戦し、その功により肥後国海東郡の地頭となる。のちに自らの活躍を『蒙古襲来絵詞』に描かせた。
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竹崎 |
季長 |
74 | 41 | 71 |
M |
70 | 18 |
足軽 | 弁舌 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
さいとう | さねもり |
幕府 | 保守鳩派 | 武蔵 | 武将 | (1566-1640)源平期の武蔵の豪族。源義朝に従って各地で活躍したが、義朝の死後は平氏に属す。木曾義仲の軍勢を越前で迎撃した際白髪を染めて出陣し、奮戦の末、戦死。
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斎藤 |
実盛 |
27 | 80 | 39 |
M |
73 | 23 |
足軽 | 改修 |
離反 | 治療 |
- |
あかまつ | みつすけ |
幕府 | 好戦陰湿 | 播磨 | 高家 | (1550-1610)室町後期の播磨守護。赤松家の勢力削減を図る将軍・足利義教を自邸に招き、謀殺した(嘉吉の乱)。その後、細川・山名両軍に敗れ、自害した。
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赤松 |
満祐 |
68 | 68 | 47 |
M |
33 | 65 |
長槍 | 哀願 |
混乱 | 迎撃 |
- |
ふじわら | すみとも |
朝廷 | 好戦直情 | 伊予 | 水軍 | (1564-1603)平安中期の武将。日振島を根拠地として海賊の首領となり、天慶の乱を起こして朝廷に反抗。瀬戸内海を荒らし回るが、副将・藤原恒利に裏切られ、敗死した。
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藤原 |
純友 |
29 | 83 | 55 |
M |
16 | 59 |
騎馬 | 弁舌 |
焙烙 | 挑発 |
放火 |
あべ | せいめい |
朝廷・名声 | 天下布武 | 山城 | 高家 | (1552-1636)平安中期の陰陽師。賀茂忠行に陰陽道を学ぶ。当時の京都では何度も怪異の噂が流れたため、公家たちの依頼により、祈祷や霊的防御などを行っていたという。
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安倍 |
晴明 |
76 | 24 | 98 |
M |
36 | 62 |
足軽 | 弁舌 |
混乱 | 虚報 |
分断 |