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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
やまな | すけとよ |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 但馬 | 高家 | (1511-1580)但馬守護。出石城主。叔父・誠豊の養子となって家督を継ぐ。弟・豊定を因幡に派遣し、但馬・因幡両国を支配した。のち羽柴秀吉に攻められ敗北、降伏した。
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山名 |
祐豊 |
56 | 45 | 47 |
T |
45 | 60 |
騎馬 | 改修 |
収拾 | 迎撃 |
- |
やまな | とよさだ |
幕府 | 保守鷹派 | 但馬 | 高家 | (1512-1560)因幡守護。鳥取城主。叔父・誠豊の死後兄・祐豊の命により因幡に入る。因幡守護を自称して主家に対抗する山名誠通を討つなど、因幡の領国経営に尽力した。
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山名 |
豊定 |
52 | 45 | 49 |
T |
63 | 51 |
足軽 | 登用 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
やまな | とよくに |
幕府 | 保守鳩派 | 因幡伯耆 | 高家 | (1548-1626)因幡守護。鳥取城主。豊定の三男。武田高信を討ち居城を奪回する。羽柴秀吉に属すが、毛利家に通じた家臣たちに追放された。のち、秀吉の御咄衆を務めた。
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山名 |
豊国 |
28 | 18 | 9 |
T |
19 | 36 |
足軽 | 茶湯 |
混乱 | - |
- |
やまな | まさとよ |
幕府・名声 | 天下布武 | 但馬 | 高家 | (1441-1499)但馬守護。祖父・宗全の死後、家督を継ぐ。細川政元と和睦し、応仁の乱を終結させた。伯耆・因幡の平定に尽力する一方で、播磨に進出し、赤松家と戦った。
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山名 |
政豊 |
51 | 39 | 25 |
T |
37 | 56 |
足軽 | 商業 |
密偵 | - |
- |
やまな | のぶとよ |
幕府 | 保守鷹派 | 但馬 | 高家 | (1493-1528)政豊の三男。兄・致豊から家督を譲られた。1522年、播磨に侵攻するが、赤松晴政と浦上村宗が和睦して連合し、山名家に対抗したため、敗れて撤退した。
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山名 |
誠豊 |
27 | 22 | 45 |
T |
58 | 48 |
騎馬 | 威圧 |
密偵 | 迎撃 |
- |
やまな | おきとよ |
幕府 | 好戦直情 | 但馬 | 高家 | (1472-1536)但馬守護。兄・俊豊が父・政豊と対立して廃嫡されたあと嗣子となる。父の死後家督を継ぐが、垣屋・田結庄家らに離反されたため、弟・誠豊に家督を譲った。
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山名 |
致豊 |
56 | 46 | 46 |
T |
71 | 32 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | 迎撃 |
- |
やまな | とよより |
幕府・名声 | 好戦人情 | 因幡伯耆 | 高家 | (1464-1537)因幡守護。勝豊の子。兄・豊頼の跡を継ぐ。左馬助と称す。1513年、因幡国高草郡布施郷の一部を家臣の北河与三衛門尉に所領として与えた。
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山名 |
豊頼 |
48 | 39 | 34 |
M |
46 | 40 |
足軽 | 商業 |
罵声 | 誘導 |
- |
やまな | のぶみち |
幕府 | 保守鷹派 | 因幡伯耆 | 高家 | (1493-1548)因幡守護。豊頼の子。左馬助と称す。但馬山名家を継いだ祐豊と対立し、尼子家と結び自立を図るが、祐豊との戦いに敗れて戦死し、因幡山名家は断絶した。
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山名 |
誠通 |
27 | 50 | 38 |
H |
2 | 76 |
騎馬 | 改修 |
治療 | 迎撃 |
- |
やまな | そうぜん |
幕府 | 好戦陰湿 | 但馬 | 高家 | (1554-1623)室町後期の但馬の守護大名。嘉吉の乱鎮圧などで活躍し、衰退していた山名家の勢力回復に成功する。のちに婿・細川勝元と対立し、応仁の乱を引き起こした。
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山名 |
宗全 |
92 | 49 | 89 |
T |
35 | 56 |
騎馬 | 威圧 |
混乱 | 虚報 |
放火 |