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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
とみた | うじざね |
名声 | 好戦陰湿 | 岩代 | 武将 | (1541-1591)蘆名家臣。四天の宿老の1人。主君・盛隆の死後、伊達政宗の弟・小次郎を後継に推すが敗れた。摺上原合戦では留守居を務め、主力の敗北後、伊達家に降る。
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富田 |
氏実 |
66 | 19 | 36 |
H |
17 | 62 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
させ | たねつね |
無し | 保守鷹派 | 岩代 | 武将 | (1515-1589)蘆名家臣。佐瀬家は、蘆名四天の宿老の一。耶麻郡中田付で六斎市を開いていたが、中田付では不便だとして、小田付村に六斎市を移した。摺上原合戦で戦死。
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佐瀬 |
種常 |
62 | 39 | 44 |
H |
57 | 35 |
騎馬 | 商業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
ほどはら | ぎょうとう |
名声 | 好戦陰湿 | 岩代 | 武将 | (1538-1620)二階堂家臣。保土原家は二階堂家庶流。伊達政宗が主家を攻めた際に内応し、以後は伊達家に仕える。のちに伊達家の一家に準ぜられた。文章をよくした。
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保土原 |
行藤 |
34 | 25 | 58 |
H |
22 | 63 |
長槍 | 茶湯 |
罵声 | 誘導 |
- |
あんとう | しげすえ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 羽後 | 武将 | (1540-1579)湊安東家9代当主。舜季の三男。安東堯季の養子となっていた兄・友季の死後、堯季の養子となり、湊安東家の家督を継いだ。蠣崎季広の六女を妻とした。
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安東 |
茂季 |
40 | 41 | 43 |
H |
46 | 21 |
足軽 | 哀願 |
密偵 | 誘導 |
- |
とうぜんじ | よしなが |
無し | 好戦陰湿 | 羽前 | 武将 | (1548-1588)大宝寺家臣。はじめ前森蔵人と名乗る。最上義光と結んで謀叛を起こし、主君・義氏を討った。義光の命で庄内の仕置を行うが、本庄繁長と戦って敗死した。
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東禅寺 |
義長 |
42 | 47 | 57 |
H |
52 | 73 |
長槍 | 弁舌 |
混乱 | 迎撃 |
- |
とうぜんじ | かつまさ |
無し | 好戦陰湿 | 羽前 | 武将 | (1554-1588)大宝寺家臣。義長の弟。主君・義氏の死後、兄から尾浦城代に任じられる。のちに十五里ヶ原で本庄繁長に敗れ、戦後、繁長の暗殺をはかるが失敗、討たれた。
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東禅寺 |
勝正 |
47 | 45 | 37 |
H |
40 | 55 |
騎馬 | 農業 |
罵声 | 誘導 |
- |
さたけ | よしあつ |
幕府 | 好戦直情 | 常陸 | 武将 | (1507-1545)佐竹家16代当主。実弟・義元と家督を争い、たびたび合戦を行うが、部垂城の合戦で義元を討って支配権を確立。佐竹一門による領国支配体制を成立させた。
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佐竹 |
義篤 |
73 | 63 | 75 |
H |
60 | 79 |
騎馬 | 商業 |
離反 | 破壊 |
迎撃 |
さたけ | よししげ |
幕府 | 天下布武 | 常陸 | 武将 | (1547-1612)佐竹家18代当主。義昭の嫡男。父の遺志を継ぎ、常陸の統一に成功する。北条家と伊達家を敵に回し、陣頭で自ら采配を振るう姿は「鬼義重」と恐れられた。
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佐竹 |
義重 |
81 | 81 | 79 |
H |
75 | 90 |
騎馬 | 登用 |
威圧 | 虚報 |
突入 |
さたけ | よしかた |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 常陸 | 武将 | (1518-1571)佐竹家臣。東家・政義の嫡男。若年の宗家・義昭に仕え、北家・義廉や南家・義里らと交代で佐竹家の家政を執行した。1566年には那須家と戦い、敗れた。
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佐竹 |
義堅 |
52 | 44 | 23 |
H |
67 | 30 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
さたけ | よしつな |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 常陸 | 武将 | (1538-1587)佐竹家臣。北家・義廉の嫡男。常陸南部方面の総指揮を執り、江戸家などの有力国人の指南にあたった。また、上杉家に書状を発するなど外交活動も行った。
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佐竹 |
義斯 |
56 | 40 | 41 |
H |
63 | 27 |
長槍 | 商業 |
威圧 | 誘導 |
- |
まかべ | うじもと |
朝廷 | 好戦直情 | 常陸 | 国人 | (1550-1622)常陸の豪族。真壁城主。佐竹家に従う。刀槍の代わりに約一丈の木杖を振り回して武勇を示し「鬼真壁」と恐れられた。のちに佐竹家の秋田転封に従った。
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真壁 |
氏幹 |
7 | 73 | 32 |
H |
29 | 71 |
長槍 | 登用 |
破壊 | 挑発 |
迎撃 |
さとみ | よしより |
幕府 | 好戦陰湿 | 上総安房 | 武将 | (1543-1587)房総の戦国大名。義堯の次男。里見梅王丸(兄・義弘の子)に出家を強要し、家督を継ぐ。この一件に憤激し謀叛を起こした正木憲時を討ち、上総を平定した。
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里見 |
義頼 |
43 | 54 | 66 |
H |
29 | 65 |
騎馬 | 弁舌 |
混乱 | 収拾 |
破壊 |
さとみ | よしやす |
幕府 | 保守鳩派 | 上総安房 | 武将 | (1573-1603)房総の戦国大名。義頼の子。豊臣秀吉の小田原征伐に遅参したため、安房1国のみを所領安堵された。のちに館山城を築く。関ヶ原合戦では東軍に属した。
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里見 |
義康 |
41 | 43 | 25 |
H |
65 | 55 |
足軽 | 改修 |
治療 | - |
- |
ながお | のりかげ |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 上野 | 武将 | (1511-1583)山内上杉家臣。惣社長尾家の出身で、白井長尾家当主・景誠が殺されたため、その遺跡を継いだ。主家滅亡後は上杉謙信に仕え、謙信の死後は北条家に属した。
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長尾 |
憲景 |
49 | 36 | 55 |
H |
41 | 39 |
長槍 | 哀願 |
威圧 | 迎撃 |
- |
ながお | かげひろ |
幕府 | 保守鳩派 | 上野 | 武将 | (1573-1630)北条家臣。憲景の次男。主家滅亡後は浪人となり、加賀に住む。関ヶ原合戦の直前に上杉家に仕える。大坂の陣には旗本の将として出陣し、前備を務めた。
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長尾 |
景広 |
62 | 14 | 37 |
H |
60 | 9 |
鉄砲 | 農業 |
鼓舞 | - |
- |
ながお | あきなが |
名声 | 保守鷹派 | 上野 | 武将 | (1552-1621)足利長尾家当主。由良成繁の次男。長尾当長の娘を娶り、家督を継いだ。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては北条家に従った。北条家滅亡後は流浪の身となった。
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長尾 |
顕長 |
33 | 44 | 32 |
H |
45 | 32 |
足軽 | 農業 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
よこぜ | やすしげ |
幕府 | 好戦陰湿 | 上野 | 武将 | (1484-1545)横瀬由良家7代当主。父・景繁が戦死した武蔵須賀合戦で負傷。上野の豪族・岩松昌純を暗殺、のちに昌純の子・氏純と和睦した。下野壬生合戦で戦死した。
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横瀬 |
泰繁 |
52 | 45 | 27 |
H |
22 | 53 |
騎馬 | 威圧 |
混乱 | 分断 |
- |
ゆら | なりしげ |
幕府 | 好戦陰湿 | 上野 | 武将 | (1506-1578)横瀬由良家8代当主。泰繁の嫡男。由良姓に改める。上杉家に属し、北条・武田家の侵略に対抗した。のち北条家に属し北条家と上杉家との同盟を仲介した。
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由良 |
成繁 |
58 | 50 | 66 |
H |
53 | 76 |
騎馬 | 弁舌 |
治療 | 誘導 |
迎撃 |
ゆら | くにしげ |
幕府 | 保守鷹派 | 上野 | 武将 | (1550-1611)横瀬由良家9代当主。成繁の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城に籠城した。子・貞繁が豊臣方に属したため、小田原落城後、常陸牛久に所領を得た。
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由良 |
国繁 |
49 | 39 | 46 |
H |
33 | 68 |
長槍 | 茶湯 |
密偵 | 誘導 |
- |
やまぐち | しげまさ |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 尾張 | 国人 | (1564-1635)徳川家臣。はじめ織田家臣・佐久間信栄に仕える。信栄失脚後は織田信雄に仕え信雄改易後、家康の招きを受けた。しかし、のちに家康の勘気を受け蟄居した。
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山口 |
重政 |
20 | 27 | 45 |
H |
33 | 55 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | 誘導 |
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