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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
はたけやま | よしふさ |
幕府・名声 | 天下布武 | 能登 | 高家 | (1491-1545)能登守護。七尾城主。卓抜した政治手腕で能登の政情を安定させ、畠山家を繁栄に導く。連歌・儒学などに通じた文化人で、多くの公家や歌人と交流を持った。
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畠山 |
義総 |
81 | 50 | 72 |
M |
70 | 80 |
長槍 | 茶湯 |
治療 | 焙烙 |
誘導 |
はたけやま | よしつぐ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 能登 | 武将 | (1518-1590)能登守護。義総の嫡男。相次ぐ内乱で権力を失い、重臣の台頭を許す。子・義綱と協力して実権を回復するが、のちに重臣たちに反発され、能登を追放された。
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畠山 |
義続 |
47 | 29 | 18 |
M |
48 | 50 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
はたけやま | よしつな |
幕府 | 好戦人情 | 能登 | 武将 | (1536-1593)能登守護。義続の嫡男。父とともに実権の回復に尽力するが、重臣らに追放されて失敗に終わる。その後、何度も能登入国を試みるが、すべて失敗に終わった。
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畠山 |
義綱 |
62 | 54 | 36 |
M |
79 | 58 |
騎馬 | 登用 |
離反 | 迎撃 |
- |
はたけやま | よしのり |
幕府 | 好戦直情 | 能登 | 武将 | (1556-1574)能登の戦国大名。義綱の嫡男。祖父・義続と父が追放されたあと、幼年で重臣たちに擁立される。のちに重臣たちの派閥闘争に巻き込まれ、何者かに殺された。
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畠山 |
義慶 |
33 | 42 | 34 |
M |
61 | 40 |
鉄砲 | 威圧 |
威圧 | 迎撃 |
- |
はたけやま | よしたか |
幕府 | 好戦人情 | 能登 | 武将 | (1557-1576)能登の戦国大名。義綱の子。兄・義慶が当主となると、二本松伊賀守と名乗って義慶を補佐した。義慶の死後、畠山家の家督を相続するが、間もなく急死した。
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畠山 |
義隆 |
38 | 36 | 10 |
M |
54 | 35 |
騎馬 | 改修 |
密偵 | - |
- |
じょうじょう | まさしげ |
幕府 | 保守鷹派 | 能登 | 武将 | (1553-1643)上杉家臣。畠山義続の次男。上杉謙信の養子となり上条家を継ぐ。上野・越中などを転戦した。謙信の死後、上杉景勝と対立して出奔、以後は徳川家に仕えた。
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上条 |
政繁 |
54 | 53 | 44 |
M |
51 | 38 |
騎馬 | 農業 |
治療 | 誘導 |
- |
はたけやま | よしむね |
幕府・名声 | 天下布武 | 能登 | 高家 | (1432-1497)能登守護。応仁の乱では西軍に属す。幕府に進物を贈り、また一向一揆を鎮圧するなど、領内の安定化に尽力した。風雅に富み、思慮深い人柄であったという。
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畠山 |
義統 |
77 | 37 | 42 |
L |
75 | 67 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 修復 |
- |
はたけやま | よしもと |
幕府 | 保守鳩派 | 能登 | 高家 | (1459-1516)能登守護。義統の嫡男。父の死後家督を継ぐが、弟・慶致を擁立する守護代・遊佐統秀らによって、越後に追われた。のちに和睦して帰国、守護に復帰した。
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畠山 |
義元 |
46 | 26 | 24 |
T |
32 | 35 |
長槍 | 弁舌 |
威圧 | - |
- |
はたけやま | よしむね |
幕府 | 保守鷹派 | 能登 | 高家 | (1462-1525)能登守護。義統の次男。兄・義元が遊佐統秀らに追われたため、当主となる。しかし一向一揆の蜂起により領内が動揺したため、義元と和睦し家督を返還した。
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畠山 |
慶致 |
65 | 29 | 27 |
M |
59 | 50 |
足軽 | 改修 |
罵声 | - |
- |