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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
あかまつ | はるまさ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 播磨 | 高家 | (1513-1565)播磨守護。家臣・浦上村宗に傀儡とされる。のち細川晴元と通じ、大物崩れの戦いで村宗を討つが、尼子晴久に攻撃されるなど、領国経営は名のみであった。
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赤松 |
晴政 |
26 | 14 | 26 |
M |
34 | 33 |
足軽 | 茶湯 |
誘導 | - |
- |
あかまつ | よしすけ |
幕府 | 保守鷹派 | 播磨 | 高家 | (1537-1576)晴政の子。織田信長に通じたが、浦上政宗と戦って敗れ、没落した。赤松家は村上源氏の流れをくみ、建武政府樹立に貢献した赤松則村(円心)を始祖とする。
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赤松 |
義祐 |
50 | 34 | 41 |
N |
42 | 42 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | 誘導 |
- |
あかまつ | のりふさ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 播磨 | 高家 | (1559-1598)豊臣家臣。義祐の子。播磨置塩1万石を安堵される。賤ヶ岳合戦や小牧長久手合戦、四国征伐に従軍し、阿波住吉1万石を加増された。朝鮮派兵にも従軍した。
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赤松 |
則房 |
47 | 28 | 48 |
N |
56 | 20 |
足軽 | 哀願 |
密偵 | 誘導 |
- |
あかまつ | のりひで |
幕府 | 保守鳩派 | 播磨 | 高家 | (1571-1600)豊臣家臣。則房の子。父の死後、阿波住吉1万石を相続する。関ヶ原合戦では西軍に属して近江佐和山城に籠城。落城直前に脱出したが、戦後京都で自害した。
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赤松 |
則英 |
45 | 30 | 26 |
N |
74 | 27 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
あかまつ | まさひで |
幕府 | 好戦人情 | 播磨 | 武将 | (1521-1570)赤松家臣。龍野城主。主君・晴政を居城に迎える。浦上政宗を討ち、また別所安治と結んで小寺政職や黒田職隆と戦うなど活躍した。のちに毒殺されたという。
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赤松 |
政秀 |
42 | 60 | 61 |
S |
77 | 55 |
騎馬 | 威圧 |
離反 | 迎撃 |
分断 |
さいむら | まさひろ |
幕府 | 保守鷹派 | 播磨 | 武将 | (1562-1600)豊臣家臣。赤松政秀の子。藤原惺窩より漢学を学んだ。関ヶ原合戦で西軍から東軍に寝返るが、因幡鳥取城下を焼き払ったため、徳川家康の命により自害した。
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斎村 |
政広 |
43 | 41 | 10 |
S |
54 | 35 |
鉄砲 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
あかまつ | まさのり |
幕府 | 天下布武 | 播磨 | 高家 | (1455-1496)播磨守護。赤松家は嘉吉の乱により没落していたが、南朝方より神器を奪回した功により再興。浦上則宗の補佐を受けて山名家を駆逐し、旧領回復に成功した。
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赤松 |
政則 |
72 | 27 | 23 |
M |
78 | 78 |
騎馬 | 農業 |
治療 | - |
- |
あかまつ | よしむら |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 播磨 | 高家 | (1472-1521)播磨守護。赤松政則の娘婿となり、家督を継ぐ。実権を家臣・浦上村宗に握られたため、村宗の追い落としをはかるが果たせず、逆に幽閉されて、暗殺された。
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赤松 |
義村 |
18 | 27 | 36 |
L |
42 | 60 |
足軽 | 威圧 |
収拾 | - |
- |
あかまつ | むらひで |
幕府 | 保守鷹派 | 播磨 | 高家 | (1480-1540)赤松家臣。政則の庶子という。政則の娘婿となった義村が赤松家を継いだため、塩屋城主・宇野政秀の養子となる。政秀が龍野城を築いたあと、城主となった。
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赤松 |
村秀 |
28 | 48 | 36 |
S |
29 | 31 |
騎馬 | 農業 |
密偵 | 迎撃 |
- |
あかまつ | みつすけ |
幕府 | 好戦陰湿 | 播磨 | 高家 | (1550-1610)室町後期の播磨守護。赤松家の勢力削減を図る将軍・足利義教を自邸に招き、謀殺した(嘉吉の乱)。その後、細川・山名両軍に敗れ、自害した。
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赤松 |
満祐 |
68 | 68 | 47 |
M |
33 | 65 |
長槍 | 哀願 |
混乱 | 迎撃 |
- |