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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
なみおか | ともなが |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 陸奥 | 高家 | (1467-1562)浪岡北畠家当主。顕具の子。浪岡北畠家は南北朝後期に北畠顕邦(顕家の曾孫)が入部したのが始まりといわれる。顕邦の子・顕義のときに浪岡城が築かれた。
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浪岡 |
具永 |
67 | 38 | 53 |
S |
44 | 59 |
足軽 | 茶湯 |
治療 | 誘導 |
- |
なみおか | ともむね |
朝廷 | 保守鷹派 | 陸奥 | 高家 | (1493-1555)浪岡北畠家当主。具永の子。浪岡城を居城とし、浪岡御所と称された。近隣の大光寺家や大浦家などと協力して津軽地方を統治し、津軽の支配強化に努めた。
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浪岡 |
具統 |
51 | 35 | 45 |
S |
47 | 25 |
足軽 | 茶湯 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
なみおか | ともかず |
朝廷・名声 | 天下布武 | 陸奥 | 高家 | (1524-1562)浪岡北畠家当主。具統の子。寺社の修築などに力を注ぐが、そのために財政を逼迫させて内紛を引き起こし、川原御所を継いでいた叔父・川原具信に殺された。
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浪岡 |
具運 |
42 | 17 | 40 |
S |
52 | 51 |
足軽 | 改修 |
混乱 | - |
- |
なみおか | あきむら |
朝廷 | 保守鳩派 | 陸奥 | 高家 | (1555-1602)浪岡北畠家当主。具運の子。安東愛季の娘を娶る。津軽為信に居城・浪岡城を落とされたため安東家を頼り、北畠弾正と改名した。落城時に自害したともいう。
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浪岡 |
顕村 |
58 | 26 | 31 |
S |
75 | 50 |
足軽 | 哀願 |
収拾 | - |
- |
なみおか | ちかよし |
朝廷 | 保守鳩派 | 陸奥 | 高家 | (1575-1628)安東家臣。顕村の子。津軽為信に居城・浪岡城を奪われた父とともに安東家を頼る。のちに北畠右近と改名し、使者として豊臣秀吉のもとに赴くなど活躍した。
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浪岡 |
慶好 |
54 | 9 | 28 |
S |
57 | 9 |
鉄砲 | 弁舌 |
密偵 | - |
- |
なみおか | あきのり |
朝廷 | 保守鳩派 | 陸奥 | 高家 | (1529-1583)浪岡北畠家臣。具統の子。謀叛を起こした叔父・川原具信が兄・具運を殺害した際に、具信を討ったという。この事件以後、浪岡北畠家の勢力は急速に衰えた。
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浪岡 |
顕範 |
36 | 33 | 41 |
S |
53 | 32 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 誘導 |
- |
いわしみず | よしのり |
名声 | 好戦陰湿 | 陸中 | 武将 | (1547-1606)斯波家臣。義長の弟。右京を称す。主家の前途に不安を抱き、南部家に内通。居城・石清水館で兵を挙げ、これをきっかけに南部軍が侵攻、斯波家は滅亡した。
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岩清水 |
義教 |
45 | 40 | 59 |
S |
11 | 75 |
騎馬 | 弁舌 |
混乱 | 破壊 |
- |
うじいえ | よしつぐ |
無し | 好戦陰湿 | 陸前 | 武将 | (1537-1591)大崎家臣。岩出山城主。大崎内乱の際には伊場野惣八郎と結び、反主流派の中心人物として活動した。主家の没落後は伊達政宗に仕えたが、間もなく病没した。
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氏家 |
吉継 |
63 | 45 | 58 |
S |
8 | 76 |
足軽 | 哀願 |
威圧 | 放火 |
- |
くろかわ | はるうじ |
名声 | 保守鳩派 | 陸前 | 武将 | (1523-1599)大崎家臣。鶴楯城主。黒川家は大崎家の庶流で、応永年間から伊達家に属す。1588年、伊達家の大崎領侵入の際は大崎家に味方し、伊達軍を撃破した。
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黒川 |
晴氏 |
32 | 70 | 55 |
S |
47 | 68 |
騎馬 | 農業 |
離反 | 治療 |
誘導 |
こたべ | かつなり |
無し | 好戦直情 | 岩代 | 武将 | (1560-1619)二本松畠山家臣。騎戦に長け、単騎で敵陣を破ること多く、乗込大学の異名をとる。主家滅亡後は浪人生活を経て伊達家に仕え、武頭役として3百石を領した。
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小田辺 |
勝成 |
8 | 71 | 12 |
S |
73 | 29 |
騎馬 | 改修 |
破壊 | 挑発 |
- |
おおうち | さだつな |
名声 | 好戦陰湿 | 岩代 | 国人 | (1546-1610)陸奥の豪族。塩松城主。伊達政宗が伊達家当主となると、これに帰属するが、間もなく敵対。政宗の攻撃を受けて敗北し以後は伊達家に仕えた。槍術に秀でた。
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大内 |
定綱 |
24 | 52 | 54 |
S |
21 | 73 |
長槍 | 弁舌 |
威圧 | 迎撃 |
- |
かたひら | ちかつな |
無し | 好戦陰湿 | 岩代 | 国人 | (1550-1626)蘆名家臣。大内定綱の弟。1589年、兄を介して伊達家に帰属し、5百石を与えられた。摺上原合戦では兄とともに左右を固めて功を立て、戦後加増された。
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片平 |
親綱 |
27 | 22 | 37 |
S |
29 | 69 |
長槍 | 商業 |
鼓舞 | - |
- |
ほうじょう | うじまさ |
朝廷 | 保守鷹派 | 相模伊豆 | 武将 | (1538-1590)後北条家4代当主。氏康の嫡男。優秀な弟たちや家臣団に支えられ、北条家の地位を不動のものにした。豊臣秀吉の小田原征伐軍に抗戦するが敗れ、自害した。
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北条 |
氏政 |
54 | 57 | 45 |
S |
35 | 77 |
足軽 | 威圧 |
修復 | 挑発 |
- |
ほうじょう | うじてる |
朝廷 | 好戦人情 | 相模伊豆 | 武将 | (1540-1590)北条家臣。氏康の次男。軍事・外交の両面で兄・氏政を補佐。おもに下野や下総方面の攻略を担当した。小田原落城後、豊臣秀吉の命により、兄とともに自害。
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北条 |
氏照 |
53 | 67 | 50 |
S |
77 | 58 |
騎馬 | 改修 |
離反 | 収拾 |
迎撃 |
とおやま | つなかげ |
無し | 好戦直情 | 相模伊豆 | 武将 | (1494-1564)北条家臣。江戸衆筆頭。連歌師・宗牧を居城・江戸城に招き、連歌会を催した。第二次国府台合戦の際には先鋒を務めて里見軍と激戦を繰り広げ、戦死した。
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遠山 |
綱景 |
45 | 53 | 49 |
S |
52 | 57 |
騎馬 | 茶湯 |
威圧 | 迎撃 |
- |
はが | うじつぐ |
無し | 好戦人情 | 相模伊豆 | 武将 | (1540-1580)北条家臣。伊予守と称す。松山衆の1人で、千貫文を与えられていた。駿河興国寺城主となり、駿河方面の守備を担当。1571年には武田軍の攻撃を退けた。
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垪和 |
氏続 |
41 | 59 | 45 |
S |
57 | 52 |
長槍 | 登用 |
治療 | 迎撃 |
- |
はが | やすただ |
無し | 保守鳩派 | 相模伊豆 | 武将 | (1542-1595)北条家臣。氏続の弟。評定衆。越相同盟締結の際に使者を務め、厩橋城代として東上野を治めるなど、内政・外交面で活躍した。主家滅亡後は伊豆に隠棲した。
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垪和 |
康忠 |
56 | 26 | 58 |
S |
66 | 31 |
足軽 | 弁舌 |
密偵 | 誘導 |
- |
しみず | やすひで |
無し | 好戦直情 | 相模伊豆 | 国人 | (1532-1591)北条家臣。伊豆衆の筆頭。北条氏康の側近として各地で功を立てた。豊臣秀吉の小田原征伐では下田城に籠城し、豊臣水軍を相手に善戦するが敗れ、降伏した。
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清水 |
康英 |
18 | 56 | 39 |
S |
72 | 49 |
足軽 | 農業 |
焙烙 | 迎撃 |
- |
なかやま | いえのり |
無し | 好戦人情 | 相模伊豆 | 武将 | (1548-1590)北条家臣。北条氏照に仕えた。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては、八王子城の二の丸を守り奮戦。前田利家が軍門に降るよう説得したがこれを拒否、自害した。
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中山 |
家範 |
25 | 57 | 33 |
S |
81 | 13 |
騎馬 | 登用 |
威圧 | 迎撃 |
- |
なかやま | てるもり |
無し | 好戦人情 | 相模伊豆 | 武将 | (1570-1634)北条家臣。家範の子。主家滅亡後は徳川家康に仕える。関ヶ原合戦や大坂の陣に従軍し、のちに槍奉行となった。馬術の達人で、高麗八条流の奥義をきわめた。
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中山 |
照守 |
13 | 68 | 6 |
S |
75 | 37 |
騎馬 | 威圧 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |