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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
やなだ | あきやす |
名声 | 好戦陰湿 | 陸中 | 武将 | (1539-1593)斯波家臣。大学と称す。主家の前途に不安を抱き、石清水義教らとともに南部家に内通し、斯波家滅亡のきっかけを作った。のち南部家から千石を与えられた。
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簗田 |
詮泰 |
38 | 35 | 47 |
N |
26 | 64 |
足軽 | 農業 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
いちくり | ほうぎゅう |
無し | 好戦人情 | 陸前 | 武将 | (1500-1591)大崎家臣。一栗城主。一栗高春の祖父という。1591年の葛西・大崎一揆の際は、92歳の高齢であるにも関わらず居城に籠城して戦うが敗れ、戦死した。
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一栗 |
放牛 |
44 | 45 | 62 |
N |
60 | 57 |
長槍 | 登用 |
威圧 | 誘導 |
迎撃 |
いちくり | たかはる |
無し | 好戦陰湿 | 陸前 | 武将 | (1557-1614)大崎家臣。一栗城主。葛西・大崎一揆の際は居城に籠城し、最後まで奮戦する。一揆鎮定後は最上家に仕え、鶴岡城番を務めたが、謀叛を起こして誅せられた。
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一栗 |
高春 |
13 | 55 | 46 |
N |
21 | 66 |
長槍 | 弁舌 |
罵声 | 誘導 |
- |
とざわ | みちもり |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 羽後 | 武将 | (1524-1604)戸沢家16代当主。角館城主。秀盛の嫡男。父の死により、幼少の身で家督を継ぐ。その後、若くして隠居し、孫・政盛の移封先である常陸小河城で死去した。
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戸沢 |
道盛 |
37 | 44 | 46 |
N |
53 | 42 |
足軽 | 登用 |
治療 | 誘導 |
- |
とざわ | もりやす |
朝廷 | 好戦人情 | 羽後 | 武将 | (1566-1590)戸沢家18代当主。角館城主。道盛の三男。積極的な軍事行動で戸沢家最大の版図を築いた。「夜叉九郎」の異名をとった反面、慈悲深い一面もあったという。
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戸沢 |
盛安 |
47 | 76 | 54 |
N |
81 | 75 |
騎馬 | 農業 |
治療 | 焙烙 |
突入 |
とざわ | まさもり |
朝廷 | 保守鷹派 | 羽後 | 武将 | (1585-1648)戸沢家20代当主。角館城主。盛安の庶子。叔父・光盛の死後、家督を継ぐ。関ヶ原合戦では上杉家の酒田城を攻略、大坂の陣では小田原城などを守備した。
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戸沢 |
政盛 |
63 | 67 | 46 |
N |
76 | 50 |
騎馬 | 商業 |
混乱 | 密偵 |
誘導 |
とまき | よしひろ |
無し | 保守鷹派 | 羽後 | 武将 | (1556-1600)戸沢家臣。戸蒔城主を務めた。関ヶ原合戦の際は主家とともに東軍に属す。東軍の最上義光に従って出陣し、西軍の小野寺義道軍と戦うが、角間川で戦死した。
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戸蒔 |
義広 |
29 | 37 | 36 |
N |
57 | 41 |
鉄砲 | 改修 |
罵声 | 迎撃 |
- |
だて | はるむね |
幕府 | 好戦陰湿 | 陸前 | 武将 | (1519-1577)伊達家15代当主。稙宗の嫡男。父と対立して天文の大乱を引き起こすが、終息後に家督を相続。父と同じく、婚姻外交を駆使して伊達家の地位を不動にした。
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伊達 |
晴宗 |
75 | 49 | 68 |
N |
30 | 88 |
長槍 | 弁舌 |
混乱 | 誘導 |
放火 |
こおり | さだなが |
名声 | 保守鳩派 | 陸前 | 武将 | (1517-1569)伊達家臣。播磨守と称す。主君・晴宗が奥州探題となった際、牧野久仲とともに奥州守護代となった。これに対して鷹や馬、および黄金30両などを進上した。
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桑折 |
貞長 |
72 | 42 | 70 |
N |
35 | 41 |
足軽 | 弁舌 |
密偵 | 誘導 |
迎撃 |
ゆうき | まさとも |
幕府 | 好戦人情 | 下総 | 武将 | (1479-1547)結城家15代当主。多賀谷祥永を誅殺し佐竹、岩城、宇都宮家を破り、次男・高朝を小山家に送り込んで小山家を傘下に置くなど、結城家の勢力を回復させた。
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結城 |
政朝 |
76 | 67 | 75 |
N |
75 | 81 |
騎馬 | 農業 |
焙烙 | 修復 |
分断 |
ゆうき | まさかつ |
幕府 | 保守鷹派 | 下総 | 武将 | (1503-1559)結城家16代当主。政朝の子。「結城氏新法度」を定めて支配力を強化する。北関東に勢力を伸ばす北条氏康と結び、佐竹、宇都宮、小田家らと抗争を続けた。
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結城 |
政勝 |
61 | 54 | 64 |
N |
49 | 59 |
騎馬 | 登用 |
収拾 | 修復 |
誘導 |
おやま | たかとも |
幕府 | 保守鷹派 | 下総 | 武将 | (1508-1574)下野の豪族。結城政朝の次男。小山政長の養子となった。兄・結城政勝の後援を得て小山家の威勢を回復する。北条家とも結び、安定した領国経営を行った。
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小山 |
高朝 |
43 | 46 | 50 |
N |
40 | 42 |
騎馬 | 登用 |
治療 | 迎撃 |
- |
おやま | ひでつな |
幕府 | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1529-1603)下野の豪族。高朝の嫡男。弟・結城晴朝と協力し、上杉家や北条家と結んで小山家の命脈を保つが、豊臣秀吉の小田原征伐に際し北条家に属して所領を失った。
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小山 |
秀綱 |
37 | 28 | 43 |
N |
47 | 46 |
足軽 | 改修 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
いわかみ | ともかた |
名声 | 保守鳩派 | 下総 | 武将 | (1554-1592)結城家臣。旧姓は三浦。主君・晴朝から結城四天王の一・岩上姓の名乗りを許された。佐竹義重や田村清顕と文書のやりとりを行うなど、外交面で活躍した。
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岩上 |
朝堅 |
68 | 22 | 51 |
N |
63 | 15 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | 誘導 |
- |
たがや | まさひろ |
名声 | 保守鳩派 | 下総 | 国人 | (1537-1595)結城家臣。佐竹家や宇都宮家へ使者として赴くなど、外交面で活躍した。のちに徳川家康の次男・秀康の結城家入嗣を取りまとめ、豊臣秀吉に功を賞せられた。
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多賀谷 |
政広 |
64 | 26 | 62 |
N |
57 | 32 |
足軽 | 弁舌 |
離反 | 誘導 |
- |
みずのや | まさむら |
幕府 | 好戦直情 | 常陸 | 国人 | (1521-1596)結城家臣。下館城主。結城四天王の一。おもに下野方面に出陣し、宇都宮家と抗争を繰り広げた。のちに豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。
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水谷 |
正村 |
19 | 66 | 46 |
N |
44 | 73 |
騎馬 | 農業 |
混乱 | 修復 |
迎撃 |
わだ | なりしげ |
名声 | 保守鷹派 | 上野 | 国人 | (1531-1575)上野の豪族。はじめ山内上杉家に仕えるが、1560年より武田家に仕え、西上野衆の一員として騎馬30騎を率いた。1575年の長篠合戦で戦死した。
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和田 |
業繁 |
41 | 35 | 39 |
N |
26 | 44 |
騎馬 | 農業 |
治療 | 誘導 |
- |
わだ | のぶなり |
無し | 保守鳩派 | 上野 | 国人 | (1560-1617)上野の豪族。業繁の子。武田家に属す。主家滅亡後は一時滝川一益に属すが、神流川合戦後、北条家に仕えた。豊臣秀吉の小田原征伐後、紀伊に逃れたという。
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和田 |
信業 |
23 | 19 | 22 |
N |
52 | 21 |
足軽 | 商業 |
威圧 | - |
- |
ほうじょう | うじつな |
朝廷 | 天下布武 | 駿河 | 武将 | (1487-1541)後北条家2代当主。「北条」の姓を初めて使用した。扇谷上杉家との戦いや、小弓公方・足利家との第一次国府台合戦に勝つなど、着実に関東に地盤を築いた。
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北条 |
氏綱 |
83 | 74 | 81 |
N |
67 | 88 |
長槍 | 商業 |
離反 | 鼓舞 |
誘導 |
ほうじょう | うじやす |
朝廷 | 天下布武 | 相模伊豆 | 武将 | (1515-1571)後北条家3代当主。氏綱の嫡男。武田信玄・上杉謙信ら強豪としのぎを削り、関東に一大王国を築いた。知勇兼備の名将で、戦国期随一の民政家としても著名。
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北条 |
氏康 |
89 | 87 | 84 |
N |
82 | 93 |
長槍 | 農業 |
虚報 | 焙烙 |
修復 |