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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
すだ | もりひさ |
無し | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1586-1667)宇都宮家臣。主家改易後は姉の夫・小貫頼久を介して佐竹家に属す。大坂冬の陣で功を立て、のちに家老となる。見識があり、慎重な人となりであったという。
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須田 |
盛久 |
66 | 31 | 47 |
M |
63 | 23 |
長槍 | 改修 |
収拾 | 誘導 |
- |
すずき | しげのり |
無し | 好戦人情 | 上野 | 武将 | (1547-1589)真田家臣。名胡桃城代。北条家臣・猪俣邦憲の奇襲を受け敗北、自害した。この事件は、私戦の禁令に反するとして、豊臣秀吉に小田原征伐の口実を与えた。
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鈴木 |
重則 |
13 | 57 | 20 |
M |
84 | 17 |
長槍 | 登用 |
密偵 | 迎撃 |
- |
もうり | ながひで |
幕府 | 好戦人情 | 尾張 | 高家 | (1541-1593)織田家臣。斯波義統の次男。各地を転戦し、信濃平定後、信濃伊那郡を領す。本能寺の変後は豊臣秀吉に属して九州征伐などに従軍、再び信濃伊那郡を領した。
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毛利 |
長秀 |
29 | 47 | 28 |
M |
51 | 29 |
騎馬 | 改修 |
密偵 | 誘導 |
- |
つがわ | よしふゆ |
幕府 | 保守鷹派 | 尾張 | 高家 | (1543-1584)織田家臣。斯波義統の三男。織田信雄の家老として松ヶ島城主を務めた。小牧長久手合戦の直前、豊臣秀吉の謀略により岡田重孝らとともに長島城で殺された。
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津川 |
義冬 |
36 | 32 | 46 |
M |
43 | 39 |
鉄砲 | 哀願 |
収拾 | 誘導 |
- |
ふるた | しげなり |
名声 | 保守鳩派 | 摂津 | 武将 | (1544-1615)豊臣家臣。織部正に任官される。利休七哲の1人。織部焼を創始し、諸大名の茶の師匠を務めた。大坂の陣の際、豊臣方への内通疑惑により、自害させられた。
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古田 |
重然 |
44 | 5 | 1 |
M |
14 | 54 |
足軽 | 茶湯 |
鼓舞 | - |
- |
せき | もりのぶ |
朝廷 | 好戦直情 | 伊勢志摩 | 武将 | (1515-1593)伊勢の豪族。亀山城主。織田信長の伊勢侵攻軍に降る。本能寺の変後は豊臣秀吉に従った。のちに蒲生氏郷の与力となり氏郷の会津転封に従って会津に移った。
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関 |
盛信 |
56 | 47 | 52 |
M |
66 | 60 |
騎馬 | 商業 |
治療 | 迎撃 |
- |
せき | かずまさ |
朝廷 | 保守鷹派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1551-1625)伊勢の豪族。亀山城主。盛信の次男。蒲生家に仕え、奥州征伐で活躍。関ヶ原合戦の際は東軍に属し、伯耆黒坂5万石を領すが、のちに内紛により改易された。
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関 |
一政 |
33 | 40 | 50 |
M |
42 | 43 |
鉄砲 | 改修 |
混乱 | 誘導 |
- |
せき | もりよし |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1559-1623)柴田家臣。盛信の子。主君・勝豊の死後蒲生氏郷に仕え、九州征伐などで活躍した。主家内紛の際に出奔、兄・一政に仕える。兄の改易後は土井利勝を頼った。
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関 |
盛吉 |
52 | 36 | 26 |
M |
53 | 32 |
足軽 | 登用 |
密偵 | - |
- |
あとべ | かつすけ |
名声 | 好戦陰湿 | 甲斐 | 武将 | (1547-1582)武田家臣。跡部家は信濃佐久郡の出身で甲斐守護代をも務めた名家。原昌胤とともに主君・勝頼の近侍を務めた。武田家滅亡時に諏訪で戦死。佞臣と評された。
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跡部 |
勝資 |
34 | 15 | 26 |
M |
29 | 52 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
ながさか | みつかた |
名声 | 好戦陰湿 | 甲斐 | 武将 | (1548-1582)武田家臣。勝頼の寵臣で、長篠合戦では跡部勝資とともに進撃を主張し、武田家の大敗を招いた。主家滅亡時に、織田信長に殺されたという。佞臣と評された。
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長坂 |
光堅 |
42 | 12 | 23 |
M |
23 | 41 |
足軽 | 威圧 |
誘導 | - |
- |
さなだ | のぶゆき |
名声 | 保守鳩派 | 北信濃 | 国人 | (1566-1658)昌幸の長男。徳川家臣・本多忠勝の娘を娶った縁から、関ヶ原合戦では父や弟と別れて東軍に属す。その後も徳川家に忠節を尽くし、真田家の存続に尽力した。
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真田 |
信幸 |
74 | 59 | 68 |
M |
80 | 38 |
長槍 | 農業 |
焙烙 | 迎撃 |
放火 |
やざわ | よりつな |
名声 | 保守鷹派 | 北信濃 | 国人 | (1518-1597)真田家臣。海野棟綱の子で、真田幸隆の弟。甥・昌幸が上野沼田城を攻略後、沼田城代となる。第一次上田合戦の際は、沼田城を守備した。武勇に秀でた。
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矢沢 |
頼綱 |
62 | 64 | 69 |
M |
65 | 24 |
長槍 | 商業 |
鼓舞 | 治療 |
修復 |
やざわ | よりやす |
無し | 好戦直情 | 北信濃 | 国人 | (1553-1625)真田家臣。頼綱の子。父に劣らぬ武勇の持ち主で、徳川家との神川合戦の際には右手に9尺柄の大長刀の石突を握って振り回し、片手討ちに敵を倒したという。
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矢沢 |
頼康 |
45 | 71 | 43 |
M |
66 | 37 |
騎馬 | 改修 |
密偵 | 誘導 |
迎撃 |
らくがんじ | まさかた |
名声 | 保守鷹派 | 北信濃 | 旧仏教 | (1509-1558)村上家臣。楽巌寺城主。もとは楽巌寺の僧であったという。1548年頃、武田信玄に居城を奪われ、戸石城に逃れる。主家の滅亡後は武田信玄に臣従した。
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楽巌寺 |
雅方 |
27 | 38 | 14 |
M |
33 | 53 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
おがさわら | さだたね |
幕府 | 保守鷹派 | 南信濃 | 武将 | (1523-1587)小笠原家臣。長棟の子。諸国を流浪したあと、上杉景勝の後援を得て深志城を回復する。しかし、のちに甥・貞慶が信濃に入国すると、貞慶に深志城を譲った。
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小笠原 |
貞種 |
29 | 20 | 17 |
M |
26 | 70 |
長槍 | 弁舌 |
混乱 | - |
- |
ちむら | よししげ |
名声 | 保守鳩派 | 南信濃 | 武将 | (1566-1630)木曾家臣。主家改易後、関ヶ原合戦の際に徳川家康に招かれ、家臣となる。徳川秀忠軍の先導役を務め、また木曾を守る西軍の石川貞清を討つなど活躍した。
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千村 |
良重 |
63 | 33 | 56 |
M |
83 | 52 |
長槍 | 農業 |
収拾 | 破壊 |
- |
やまむら | よしとき |
無し | 保守鷹派 | 南信濃 | 武将 | (1544-1602)木曾家臣。良利の子。主家の転封後も木曾に残る。関ヶ原合戦では東軍に属し、西軍に捕まるが、のち解放。戦後、徳川家康から木曾福島の関所を預かった。
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山村 |
良候 |
59 | 30 | 62 |
M |
65 | 44 |
長槍 | 改修 |
離反 | 分断 |
- |
やまむら | よしかつ |
名声 | 保守鳩派 | 南信濃 | 武将 | (1563-1634)木曾家臣。良候の子。関ヶ原合戦では東軍に属し、千村良重とともに木曾を平定する。また犬山城を攻略した。のちに尾張徳川家に仕え、大坂の陣に参加した。
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山村 |
良勝 |
68 | 36 | 54 |
M |
78 | 22 |
足軽 | 登用 |
密偵 | 修復 |
- |
うえすぎ | かげとら |
朝廷 | 好戦直情 | 相模伊豆 | 旧仏教 | (1554-1579)北条氏康の七男。越相同盟成立の際に越後に赴き、のちに上杉謙信の養子となった。謙信の死後、御館の乱において義弟の上杉景勝と家督を争うが、敗死した。
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上杉 |
景虎 |
48 | 33 | 22 |
M |
31 | 78 |
足軽 | 弁舌 |
罵声 | - |
- |
ながお | ふさなが |
幕府 | 好戦陰湿 | 南越後 | 武将 | (1488-1552)長尾家臣。魚沼郡上田荘を領した。上条定憲の乱に呼応し主家に敵対する。しかし定憲の戦死、越後守護・上杉定実の死去により劣勢となり、主家と和睦した。
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長尾 |
房長 |
68 | 43 | 65 |
M |
43 | 65 |
騎馬 | 改修 |
密偵 | 誘導 |
迎撃 |