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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
さなだ | ゆきたか |
無し | 好戦人情 | 北信濃 | 国人 | (1513-1574)武田家臣。信州先方衆。主君・信玄が攻略出来なかった信濃戸石城を謀略で落城させ、知略は信玄に勝ると賞された。以後、信玄の参謀の1人として活躍する。
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真田 |
幸隆 |
76 | 77 | 89 |
N |
70 | 59 |
長槍 | 登用 |
混乱 | 虚報 |
分断 |
さなだ | のぶつな |
無し | 好戦直情 | 北信濃 | 国人 | (1537-1575)武田家臣。幸隆の長男。父の隠居後、信州先方衆の1人として各地を転戦、勇名を馳せる。長篠合戦では3尺3寸の大刀を振るって奮戦するが、銃弾に倒れた。
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真田 |
信綱 |
30 | 67 | 45 |
N |
73 | 34 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 収拾 |
迎撃 |
さなだ | まさゆき |
無し | 天下布武 | 北信濃 | 国人 | (1547-1611)幸隆の三男。「表裏比興の者」と豊臣秀吉に評された稀代の謀将。関ヶ原へ行軍途中の徳川秀忠軍3万8千を数千の兵で翻弄し、秀忠軍を信濃に釘付けにした。
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真田 |
昌幸 |
82 | 88 | 86 |
O |
48 | 92 |
長槍 | 弁舌 |
虚報 | 修復 |
挑発 |
さなだ | のぶゆき |
名声 | 保守鳩派 | 北信濃 | 国人 | (1566-1658)昌幸の長男。徳川家臣・本多忠勝の娘を娶った縁から、関ヶ原合戦では父や弟と別れて東軍に属す。その後も徳川家に忠節を尽くし、真田家の存続に尽力した。
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真田 |
信幸 |
74 | 59 | 68 |
M |
80 | 38 |
長槍 | 農業 |
焙烙 | 迎撃 |
放火 |
さなだ | ゆきむら |
無し | 好戦人情 | 北信濃 | 国人 | (1567-1615)昌幸の次男。蟄居先の紀伊九度山から大坂城に入り、大坂の陣で寡兵ながらも徳川の大軍を相手に奮戦した。その戦いぶりは「真田日本一の兵」と称賛された。
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真田 |
幸村 |
37 | 90 | 85 |
O |
99 | 16 |
騎馬 | 改修 |
虚報 | 挑発 |
迎撃 |
さなだ | ゆきまさ |
無し | 好戦人情 | 紀伊 | 国人 | (1600-1615)幸村の子。父の蟄居先・紀伊九度山で生まれた。父とともに大坂城へ入り、真田丸に出張って奮戦した。夏の陣では城内にあり、落城時に豊臣秀頼に殉じた。
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真田 |
幸昌 |
15 | 67 | 26 |
O |
95 | 14 |
騎馬 | 哀願 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
やざわ | よりつな |
名声 | 保守鷹派 | 北信濃 | 国人 | (1518-1597)真田家臣。海野棟綱の子で、真田幸隆の弟。甥・昌幸が上野沼田城を攻略後、沼田城代となる。第一次上田合戦の際は、沼田城を守備した。武勇に秀でた。
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矢沢 |
頼綱 |
62 | 64 | 69 |
M |
65 | 24 |
長槍 | 商業 |
鼓舞 | 治療 |
修復 |
やざわ | よりやす |
無し | 好戦直情 | 北信濃 | 国人 | (1553-1625)真田家臣。頼綱の子。父に劣らぬ武勇の持ち主で、徳川家との神川合戦の際には右手に9尺柄の大長刀の石突を握って振り回し、片手討ちに敵を倒したという。
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矢沢 |
頼康 |
45 | 71 | 43 |
M |
66 | 37 |
騎馬 | 改修 |
密偵 | 誘導 |
迎撃 |
さなだ | よりまさ |
無し | 好戦陰湿 | 北信濃 | 国人 | (1488-1546)信濃の豪族。真田家は海野家の庶流といわれる。真田家の名が文献に現れるのは1400年に行われた大塔合戦の模様を記録した『大塔物語』が初めてという。
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真田 |
頼昌 |
44 | 26 | 39 |
N |
22 | 48 |
騎馬 | 農業 |
治療 | 迎撃 |
- |