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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
とざわ | もりしげ |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 羽後 | 旧仏教 | (1551-1592)戸沢家17代当主。角館城主。道盛の嫡男。病弱のため、早くに家督を弟・盛安に譲って出家する。のちに還俗し戸沢政重(祖父・秀盛の弟)の養子となった。
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戸沢 |
盛重 |
36 | 19 | 61 |
O |
31 | 39 |
足軽 | 哀願 |
密偵 | 迎撃 |
- |
とざわ | まさしげ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 羽後 | 武将 | (1493-1578)戸沢家臣。戸沢家14代当主・征盛の三男。安房守と称す。小館に住んだといわれる。のちに仏門に入っていた戸沢盛重(甥・道盛の嫡男)を養子とした。
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戸沢 |
政重 |
45 | 41 | 64 |
O |
44 | 48 |
足軽 | 威圧 |
鼓舞 | 誘導 |
迎撃 |
だいほうじ | よしかつ |
朝廷・名声 | 好戦直情 | 北越後 | 武将 | (1573-1623)上杉家臣。本庄繁長の次男。上杉景勝の後援を受けて大宝寺家の家督を継ぐ。のちに一揆扇動の疑いにより大和に配流されたが、朝鮮派兵に従軍し許された。
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大宝寺 |
義勝 |
31 | 37 | 32 |
O |
44 | 63 |
騎馬 | 商業 |
混乱 | 迎撃 |
- |
ゆうき | ともかつ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 下野 | 旧仏教 | (1569-1628)宇都宮広綱の次男。結城晴朝の養子となるが、のちに徳川家康の次男・秀康が結城家に入嗣したため、宇都宮家に戻る。以後は反徳川、反結城の姿勢を貫いた。
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結城 |
朝勝 |
42 | 48 | 61 |
O |
60 | 60 |
鉄砲 | 商業 |
混乱 | 鼓舞 |
迎撃 |
うつのみや | おきつな |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 下野 | 旧仏教 | (1475-1536)宇都宮家19代当主。芳賀家を継ぐが、宗家の甥・忠綱を討ち、宗家を継いだ。のちに主家乗っ取りの咎で強引に隠居させられ、家臣に強要されて自害した。
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宇都宮 |
興綱 |
59 | 29 | 72 |
O |
27 | 84 |
騎馬 | 改修 |
威圧 | 誘導 |
迎撃 |
うつのみや | ひさつな |
朝廷 | 好戦直情 | 下野 | 旧仏教 | (1512-1549)宇都宮家20代当主。興綱の嫡男。那須政資・高資父子の抗争の際、政資を支持した。のちに高資の支城・喜連川城を攻めるが、那須軍の奇襲に遭い敗死した。
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宇都宮 |
尚綱 |
40 | 54 | 55 |
O |
41 | 53 |
騎馬 | 農業 |
罵声 | 破壊 |
迎撃 |
うつのみや | ひろつな |
朝廷 | 保守鳩派 | 下野 | 旧仏教 | (1543-1580)宇都宮家21代当主。尚綱の嫡男。佐竹義昭の娘を娶り同盟を結ぶ。また、芳賀高定とともに、北条家と結ぶ領内の反宇都宮勢力と戦った。病弱だったという。
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宇都宮 |
広綱 |
59 | 44 | 27 |
O |
57 | 62 |
足軽 | 登用 |
離反 | 迎撃 |
- |
うつのみや | くにつな |
朝廷 | 保守鳩派 | 下野 | 旧仏教 | (1568-1607)宇都宮家22代当主。広綱の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵される。しかし、のちに豊臣家内部の権力闘争に巻き込まれ改易処分となった。
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宇都宮 |
国綱 |
57 | 45 | 51 |
O |
44 | 45 |
鉄砲 | 哀願 |
収拾 | 分断 |
- |
はが | たかさだ |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1529-1588)宇都宮家臣。益子勝宗の子。芳賀高経の死後、芳賀家を継ぐ。壬生家に乗っ取られた宇都宮城を奪還し、宿老として国政に参画、主家の勢力回復に尽力した。
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芳賀 |
高定 |
74 | 57 | 76 |
O |
84 | 55 |
長槍 | 登用 |
鼓舞 | 焙烙 |
誘導 |
はが | たかたけ |
朝廷 | 保守鷹派 | 下野 | 旧仏教 | (1572-1612)宇都宮家臣。宇都宮広綱の三男。芳賀高継の跡を継ぐ。兄・国綱の片腕として活躍した。主家改易後は、伊勢内宮にたびたび主家再興の願文を奉納している。
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芳賀 |
高武 |
48 | 55 | 45 |
O |
55 | 52 |
足軽 | 商業 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
ほうじょう | つなしげ |
無し | 好戦人情 | 遠江 | 武将 | (1515-1587)北条家臣。福島正成の子。父の死後、北条氏綱を頼り、氏綱の娘を娶って一門となる。河越合戦などで活躍し、その旗印より「地黄八幡」と呼ばれ畏怖された。
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北条 |
綱成 |
45 | 83 | 71 |
O |
89 | 57 |
長槍 | 農業 |
虚報 | 修復 |
突入 |
ほうじょう | うじしげ |
無し | 好戦直情 | 相模伊豆 | 武将 | (1536-1578)北条家臣。綱成の子。家中随一の猛将と恐れられた父に劣らず、武勇に優れていた。玉縄城主を務め、上杉謙信の関東侵攻軍を撃退するなどの戦功を立てた。
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北条 |
氏繁 |
43 | 63 | 59 |
O |
63 | 32 |
騎馬 | 改修 |
収拾 | 破壊 |
分断 |
ほうじょう | うじかつ |
名声 | 保守鳩派 | 相模伊豆 | 武将 | (1559-1611)北条家臣。氏繁の子。父の死後、玉縄城主となる。豊臣秀吉の小田原征伐の際は山中城を守るが落城、その後は居城に籠城するが降伏、戦後は徳川家に仕えた。
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北条 |
氏勝 |
28 | 27 | 23 |
O |
25 | 35 |
鉄砲 | 弁舌 |
誘導 | - |
- |
ながの | たねふじ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1504-1562)長野工藤家14代当主。長野工藤家は、北畠家・関家らとともに勢州四家の一に数えられる。中伊勢をめぐって、北畠家と抗争、あるいは共闘を繰り返した。
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長野 |
稙藤 |
57 | 45 | 54 |
O |
49 | 35 |
長槍 | 改修 |
離反 | 迎撃 |
- |
ながの | ふじさだ |
幕府 | 好戦直情 | 伊勢志摩 | 武将 | (1526-1562)長野工藤家15代当主。南伊勢の支配を巡って北畠家と争う。男子に恵まれず、のちに北畠具教の次男・具藤を養子として和睦した。以後は北畠家に属した。
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長野 |
藤定 |
52 | 48 | 45 |
O |
58 | 63 |
足軽 | 登用 |
混乱 | 迎撃 |
- |
さなだ | まさゆき |
無し | 天下布武 | 北信濃 | 国人 | (1547-1611)幸隆の三男。「表裏比興の者」と豊臣秀吉に評された稀代の謀将。関ヶ原へ行軍途中の徳川秀忠軍3万8千を数千の兵で翻弄し、秀忠軍を信濃に釘付けにした。
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真田 |
昌幸 |
82 | 88 | 86 |
O |
48 | 92 |
長槍 | 弁舌 |
虚報 | 修復 |
挑発 |
さなだ | ゆきむら |
無し | 好戦人情 | 北信濃 | 国人 | (1567-1615)昌幸の次男。蟄居先の紀伊九度山から大坂城に入り、大坂の陣で寡兵ながらも徳川の大軍を相手に奮戦した。その戦いぶりは「真田日本一の兵」と称賛された。
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真田 |
幸村 |
37 | 90 | 85 |
O |
99 | 16 |
騎馬 | 改修 |
虚報 | 挑発 |
迎撃 |
さなだ | ゆきまさ |
無し | 好戦人情 | 紀伊 | 国人 | (1600-1615)幸村の子。父の蟄居先・紀伊九度山で生まれた。父とともに大坂城へ入り、真田丸に出張って奮戦した。夏の陣では城内にあり、落城時に豊臣秀頼に殉じた。
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真田 |
幸昌 |
15 | 67 | 26 |
O |
95 | 14 |
騎馬 | 哀願 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
たかとお | よりつぐ |
名声 | 好戦陰湿 | 南信濃 | 武将 | (1503-1552)信濃の豪族。高遠家は諏訪信員を祖とする諏訪家の庶流。武田信玄と結び諏訪宗家を滅ぼすが、諏訪領に横暴をふるったため信玄と対立、攻撃を受け滅亡した。
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高遠 |
頼継 |
18 | 8 | 51 |
O |
9 | 86 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
きそ | よしあり |
幕府 | 保守鳩派 | 南信濃 | 武将 | (1493-1558)信濃木曾谷の豪族。温和な人柄で、父・義元の頃から対立状態にあった飛騨の三木家との関係修復に尽力、領内の治政安定に努めた。「風流太守」と呼ばれた。
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木曾 |
義在 |
75 | 42 | 70 |
O |
76 | 48 |
騎馬 | 弁舌 |
離反 | 修復 |
誘導 |