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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
ながの | たねふじ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1504-1562)長野工藤家14代当主。長野工藤家は、北畠家・関家らとともに勢州四家の一に数えられる。中伊勢をめぐって、北畠家と抗争、あるいは共闘を繰り返した。
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長野 |
稙藤 |
57 | 45 | 54 |
O |
49 | 35 |
長槍 | 改修 |
離反 | 迎撃 |
- |
ながの | ふじさだ |
幕府 | 好戦直情 | 伊勢志摩 | 武将 | (1526-1562)長野工藤家15代当主。南伊勢の支配を巡って北畠家と争う。男子に恵まれず、のちに北畠具教の次男・具藤を養子として和睦した。以後は北畠家に属した。
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長野 |
藤定 |
52 | 48 | 45 |
O |
58 | 63 |
足軽 | 登用 |
混乱 | 迎撃 |
- |
うじい | すけもと |
幕府 | 保守鳩派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1528-1587)長野家臣。長野稙藤の子。雲林院家は長野祐尊(長野工藤家初代当主・祐政の次男)を祖とする。織田信包に雲林院城を追われるが、その後は織田家に仕えた。
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雲林院 |
祐基 |
43 | 16 | 29 |
N |
37 | 32 |
足軽 | 威圧 |
鼓舞 | - |
- |
ほその | ふじみつ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1511-1560)長野家臣。長野通藤の子。長野工藤家の庶流・細野家の養子となり、安濃に屋敷を構えた。細野家は長野藤信(長野工藤家5代当主・豊藤の次男)を祖とする。
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細野 |
藤光 |
47 | 44 | 45 |
S |
45 | 31 |
足軽 | 農業 |
治療 | 誘導 |
- |
ほその | ふじあつ |
幕府 | 好戦人情 | 伊勢志摩 | 武将 | (1540-1603)長野家臣。藤光の嫡男。織田信長の伊勢侵攻軍に対して徹底抗戦を主張、安濃城に籠城して抗戦を続けたが、のちに和睦した。本能寺の変後は豊臣家に仕えた。
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細野 |
藤敦 |
64 | 37 | 57 |
S |
61 | 50 |
鉄砲 | 商業 |
罵声 | 迎撃 |
- |
わけべ | みつよし |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1552-1601)長野家臣。細野藤光の次男。織田信長の伊勢侵攻軍に対して恭順を主張し、長野家を継いだ織田信包に属した。のちに豊臣秀吉に仕え、伊勢上野城主となった。
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分部 |
光嘉 |
53 | 59 | 35 |
N |
42 | 42 |
騎馬 | 哀願 |
収拾 | 誘導 |
- |
ながの | ふじなお |
幕府 | 保守鳩派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1450-1514)長野工藤家12代当主。伊勢桑名を占領した際、桑名衆が逃散して神宮供物などが途絶えたため、伊勢神宮の外宮に対して桑名衆の還住を要請したという。
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長野 |
藤直 |
37 | 46 | 52 |
O |
20 | 38 |
騎馬 | 商業 |
混乱 | 誘導 |
- |
ながの | みちふじ |
幕府・名声 | 好戦人情 | 伊勢志摩 | 武将 | (1478-1530)長野工藤家13代当主。藤直の嫡男。尾張亮と称した。長野工藤家は、いわゆる「曾我兄弟の仇討ち」において殺された工藤祐経の次男・祐長を祖とする。
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長野 |
通藤 |
31 | 30 | 38 |
O |
68 | 31 |
長槍 | 農業 |
鼓舞 | 誘導 |
- |