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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
ゆうき | ともかつ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 下野 | 旧仏教 | (1569-1628)宇都宮広綱の次男。結城晴朝の養子となるが、のちに徳川家康の次男・秀康が結城家に入嗣したため、宇都宮家に戻る。以後は反徳川、反結城の姿勢を貫いた。
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結城 |
朝勝 |
42 | 48 | 61 |
O |
60 | 60 |
鉄砲 | 商業 |
混乱 | 鼓舞 |
迎撃 |
うつのみや | おきつな |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 下野 | 旧仏教 | (1475-1536)宇都宮家19代当主。芳賀家を継ぐが、宗家の甥・忠綱を討ち、宗家を継いだ。のちに主家乗っ取りの咎で強引に隠居させられ、家臣に強要されて自害した。
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宇都宮 |
興綱 |
59 | 29 | 72 |
O |
27 | 84 |
騎馬 | 改修 |
威圧 | 誘導 |
迎撃 |
うつのみや | ひさつな |
朝廷 | 好戦直情 | 下野 | 旧仏教 | (1512-1549)宇都宮家20代当主。興綱の嫡男。那須政資・高資父子の抗争の際、政資を支持した。のちに高資の支城・喜連川城を攻めるが、那須軍の奇襲に遭い敗死した。
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宇都宮 |
尚綱 |
40 | 54 | 55 |
O |
41 | 53 |
騎馬 | 農業 |
罵声 | 破壊 |
迎撃 |
うつのみや | ひろつな |
朝廷 | 保守鳩派 | 下野 | 旧仏教 | (1543-1580)宇都宮家21代当主。尚綱の嫡男。佐竹義昭の娘を娶り同盟を結ぶ。また、芳賀高定とともに、北条家と結ぶ領内の反宇都宮勢力と戦った。病弱だったという。
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宇都宮 |
広綱 |
59 | 44 | 27 |
O |
57 | 62 |
足軽 | 登用 |
離反 | 迎撃 |
- |
うつのみや | くにつな |
朝廷 | 保守鳩派 | 下野 | 旧仏教 | (1568-1607)宇都宮家22代当主。広綱の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵される。しかし、のちに豊臣家内部の権力闘争に巻き込まれ改易処分となった。
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宇都宮 |
国綱 |
57 | 45 | 51 |
O |
44 | 45 |
鉄砲 | 哀願 |
収拾 | 分断 |
- |
はが | たかたけ |
朝廷 | 保守鷹派 | 下野 | 旧仏教 | (1572-1612)宇都宮家臣。宇都宮広綱の三男。芳賀高継の跡を継ぐ。兄・国綱の片腕として活躍した。主家改易後は、伊勢内宮にたびたび主家再興の願文を奉納している。
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芳賀 |
高武 |
48 | 55 | 45 |
O |
55 | 52 |
足軽 | 商業 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
うつのみや | しげつな |
朝廷 | 好戦直情 | 下野 | 旧仏教 | (1468-1516)宇都宮家17代当主。古河公方家の内紛では、娘婿・高基を支持、政氏に属した家臣・芳賀高勝を謀殺。領内に内乱を招くが、周辺諸国の援助を受け鎮圧した。
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宇都宮 |
成綱 |
58 | 65 | 55 |
N |
71 | 34 |
騎馬 | 改修 |
離反 | 誘導 |
迎撃 |
うつのみや | ただつな |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 下野 | 旧仏教 | (1496-1527)宇都宮家18代当主。成綱の嫡男。姉婿の結城政朝や叔父・芳賀興綱と対立、政朝との合戦中に興綱に居城を奪われた。奪還を目指すが、果たせぬまま死去。
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宇都宮 |
忠綱 |
38 | 28 | 39 |
N |
44 | 13 |
足軽 | 哀願 |
密偵 | 迎撃 |
- |