| |
重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
|
武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
くのへ | のぶなか |
朝廷 | 好戦陰湿 | 陸奥 | 武将 | (1514-1568)南部家臣。信実の長男。九戸城主。右京と称す。九戸家は南部家の庶流で、南部行連(南部家の始祖・光行の六男)を祖とするという。八戸信長の娘を娶った。
|
九戸 |
信仲 |
38 | 53 | 57 |
V |
22 | 73 |
騎馬 | 農業 |
罵声 | 破壊 |
迎撃 |
くのへ | まさざね |
朝廷 | 好戦直情 | 陸奥 | 武将 | (1536-1591)南部家臣。信仲の子。南部晴政の死後、弟・実親を後継者に推すが敗れ、叛乱を起こす。南部信直の要請で出陣した豊臣軍相手に善戦するが敗れ、斬首された。
|
九戸 |
政実 |
32 | 69 | 39 |
V |
5 | 89 |
騎馬 | 改修 |
鼓舞 | 修復 |
迎撃 |
くのへ | さねちか |
朝廷 | 保守鷹派 | 陸奥 | 武将 | (1542-1591)南部家臣。信仲の子。南部晴政の次女と結婚し、後継者候補となる。主家に反旗を翻した兄・政実とともに九戸城に籠城し、豊臣軍と戦うが敗れ、斬首された。
|
九戸 |
実親 |
29 | 67 | 27 |
V |
24 | 79 |
騎馬 | 威圧 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
たかだ | やすざね |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 陸奥 | 武将 | (1553-1594)南部家臣。九戸信仲の子。はじめ高水寺城主・斯波詮真の娘婿となるが、のちに斯波家を出奔、斯波家討伐軍の先鋒を務めた。従兄弟・連尹に斬られ死去した。
|
高田 |
康真 |
30 | 19 | 63 |
V |
16 | 66 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | 誘導 |
- |
ひえぬき | ひろただ |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 陸中 | 国人 | (1540-1594)陸奥の豪族。和賀家の出身。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣せず、改易された。のちに弟・和賀義忠とともに一揆を起こしたが、奥州征伐軍に敗れて逃走した。
|
稗貫 |
広忠 |
47 | 49 | 50 |
V |
60 | 72 |
騎馬 | 哀願 |
威圧 | 迎撃 |
- |
わが | よしかつ |
朝廷 | 保守鳩派 | 陸中 | 国人 | (1507-1575)陸奥の豪族。和賀家は源頼朝の庶子・忠頼を祖とするという。外からは南部家の圧迫を受け、国内では一族をはじめとした諸氏の統制に苦しんだという。
|
和賀 |
義勝 |
27 | 18 | 29 |
V |
40 | 33 |
長槍 | 商業 |
罵声 | - |
- |
わが | よしただ |
朝廷 | 保守鷹派 | 陸中 | 国人 | (1541-1591)陸奥の豪族。義勝の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣せず改易される。一揆を起こして居城・二子城を奪回するが、豊臣軍に敗れ、逃走中に領民に殺された。
|
和賀 |
義忠 |
41 | 46 | 35 |
V |
65 | 63 |
騎馬 | 改修 |
挑発 | 迎撃 |
- |
わが | ただちか |
朝廷 | 好戦人情 | 陸中 | 国人 | (1576-1601)陸奥の豪族。義忠の子。関ヶ原合戦では伊達政宗の後援で南部家を攻める(和賀兵乱)が敗北。真相の発覚を恐れた政宗の命により従者7名とともに自害した。
|
和賀 |
忠親 |
12 | 60 | 7 |
V |
81 | 39 |
騎馬 | 威圧 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
たむら | あきもり |
朝廷 | 保守鷹派 | 磐城 | 武将 | (1501-1592)田村家臣。義顕の子。小野城主。主君・清顕の死後、相馬家と結び、伊達家と結んだ田村月斎らと対立。敗れて居城に籠もったが、伊達軍に攻められ降伏した。
|
田村 |
顕盛 |
14 | 46 | 39 |
V |
49 | 34 |
長槍 | 弁舌 |
混乱 | 迎撃 |
- |
ぐんじ | としよし |
無し | 好戦人情 | 磐城 | 国人 | (1545-1589)田村家臣。娘は主君・清顕の娘で伊達政宗に嫁いだ愛の侍女となった。清顕死後の御家騒動では田村顕盛らとともに相馬家方に属し、下枝城の戦いで戦死した。
|
郡司 |
敏良 |
27 | 24 | 32 |
V |
53 | 29 |
足軽 | 農業 |
鼓舞 | - |
- |
にほんまつ | よしつな |
幕府 | 保守鷹派 | 岩代 | 武将 | (1574-1589)二本松畠山家15代当主。義継の子。伊達政宗の猛攻を受けて居城・二本松城を開城し、蘆名家を頼る。蘆名盛重の常陸退去に従うが、のちに盛重に殺された。
|
二本松 |
義綱 |
25 | 27 | 23 |
V |
55 | 26 |
足軽 | 哀願 |
誘導 | - |
- |
たかたま | つねより |
幕府 | 保守鷹派 | 岩代 | 武将 | (1555-1589)蘆名家臣。二本松義国の次男。高玉家を継ぎ、高玉城主を務めた。摺上原合戦の直前、伊達家臣・片倉景綱の降伏勧告を拒否して戦うが、衆寡敵せず戦死した。
|
高玉 |
常頼 |
46 | 57 | 41 |
V |
78 | 18 |
長槍 | 改修 |
鼓舞 | 放火 |
- |
きつれがわ | よりずみ |
幕府・名声 | 天下布武 | 下総 | 高家 | (1533-1601)下野喜連川城主。小弓御所・義明の子。父が第一次国府台合戦で戦死したため、各地を流浪。のちに豊臣秀吉に仕えた。娘・島子は豊臣秀吉の側室となった。
|
喜連川 |
頼純 |
45 | 18 | 29 |
V |
66 | 34 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
きつれがわ | よりうじ |
幕府・名声 | 天下布武 | 上総安房 | 高家 | (1580-1630)下野喜連川城主。頼純の子。兄・国朝は豊臣秀吉の朝鮮派兵の際、肥前名護屋城へ赴く途中に死去。そのため、兄の正室(足利義氏の娘)を娶り遺領を継いだ。
|
喜連川 |
頼氏 |
45 | 4 | 23 |
V |
52 | 5 |
足軽 | 茶湯 |
治療 | - |
- |
みぶ | つなたけ |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1515-1576)宇都宮家臣。壬生・鹿沼城主。綱房の嫡男。北条家に接近し、主家からの自立をはかったため、宇都宮家に通じていた叔父・周良に鹿沼城に招かれて殺された。
|
壬生 |
綱雄 |
32 | 36 | 43 |
V |
33 | 66 |
騎馬 | 威圧 |
混乱 | 迎撃 |
- |
なす | すけたね |
幕府 | 好戦直情 | 下野 | 武将 | (1527-1583)下野の戦国大名。政資の次男。兄・高資の横死後、大関高増らの後見で家督を継ぐ。のちに高増ら上那須衆と対立して攻撃を受け敗北、隠居を条件に和睦した。
|
那須 |
資胤 |
18 | 50 | 42 |
V |
31 | 74 |
足軽 | 威圧 |
罵声 | 迎撃 |
- |
さの | とよつな |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1504-1559)佐野家14代当主。唐沢山城主。泰綱の嫡男。隼人佐を称した。祖先にならって古河公方・足利家に属し、有力豪族として山内・扇谷両上杉家と戦い続けた。
|
佐野 |
豊綱 |
52 | 54 | 56 |
V |
76 | 56 |
長槍 | 哀願 |
治療 | 修復 |
迎撃 |
さの | まさつな |
幕府 | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1529-1574)佐野家15代当主。唐沢山城主。豊綱の嫡男。古河公方・足利家に従って河越合戦に参陣するが敗北。以後は北条家に従い、上杉謙信の攻撃をたびたび受けた。
|
佐野 |
昌綱 |
54 | 48 | 43 |
V |
47 | 54 |
長槍 | 農業 |
鼓舞 | 分断 |
- |
さの | ふさつな |
幕府 | 保守鷹派 | 下野 | 旧仏教 | (1558-1601)佐野家臣。昌綱の子。豊綱の子とも。佐野宗綱の死後、北条氏忠が家督を継いだため、豊臣秀吉に仕えた。天徳寺了伯と呼ばれ、剣術の達人であったという。
|
佐野 |
房綱 |
15 | 73 | 27 |
V |
72 | 48 |
長槍 | 剣豪 |
離反 | 修復 |
迎撃 |
じんば | ただはる |
無し | 好戦直情 | 下野 | 武将 | (1507-1546)佐野家臣。浅利城主。遠江守を称した。神馬家は佐野家の一族という。1546年、主家に従って河越合戦に参陣するが北条軍の攻撃を受けて戦死した。
|
神馬 |
忠春 |
41 | 34 | 32 |
V |
55 | 17 |
騎馬 | 登用 |
威圧 | - |
- |