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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
おおた | さんらくさい |
幕府 | 好戦直情 | 武蔵 | 旧仏教 | (1522-1591)扇谷上杉家臣。岩付城主。資頼の次男。主家滅亡後は上杉家や佐竹家に属し、生涯を通じて北条家と戦った。豊臣秀吉の小田原征伐では、秀吉の本陣を訪れた。
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太田 |
三楽斎 |
45 | 73 | 57 |
V |
86 | 89 |
長槍 | 威圧 |
鼓舞 | 破壊 |
挑発 |
かじわら | まさかげ |
幕府 | 好戦直情 | 武蔵 | 武将 | (1548-1623)佐竹家臣。太田資正の次男。手這坂の合戦で小田氏治を破り、小田城主となる。主家の秋田転封に従ったが、のちに越前福井藩主・結城秀康のもとに転仕した。
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梶原 |
政景 |
44 | 54 | 46 |
V |
37 | 54 |
騎馬 | 改修 |
収拾 | 誘導 |
- |
こづくり | とししげ |
幕府 | 保守鳩派 | 伊勢志摩 | 旧仏教 | (1495-1548)北畠家臣。木造城主。1526年、正四位下・参議となる。のち従三位に昇るが1533年に出家した。1528年から3年がかりで居城を整備したという。
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木造 |
俊茂 |
66 | 31 | 67 |
V |
33 | 13 |
騎馬 | 改修 |
離反 | 修復 |
- |
こづくり | ともやす |
幕府 | 保守鷹派 | 伊勢志摩 | 高家 | (1520-1569)北畠家臣。木造城主。俊宗の子。木造家は北畠顕俊(伊勢国司初代・顕能の子)を祖とする北畠家庶流。他の一門と異なり、宗家と同等の官位に任官していた。
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木造 |
具康 |
40 | 39 | 25 |
V |
53 | 45 |
足軽 | 商業 |
威圧 | - |
- |
とやのお | みつひで |
無し | 保守鳩派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1508-1577)北畠家臣。石見守と称す。「文武を得、知略深し」と評された。織田信雄が北畠家一族を謀殺したあと、北畠具親とともに旧臣を糾合して兵を挙げるが、戦死。
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鳥屋尾 |
満栄 |
61 | 48 | 69 |
V |
78 | 17 |
騎馬 | 登用 |
虚報 | 破壊 |
分断 |
みつぎ | あきつな |
朝廷 | 好戦陰湿 | 飛騨 | 高家 | (1544-1583)姉小路家臣。姉小路良頼の次男。養父・鍋山安室を毒殺して養母を追放し、鍋山城を乗っ取る。のちに兄・頼綱への謀叛を企てたため、妻とともに暗殺された。
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三木 |
顕綱 |
37 | 45 | 62 |
V |
32 | 56 |
騎馬 | 農業 |
密偵 | 破壊 |
誘導 |
うえすぎ | さだざね |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 南越後 | 高家 | (1453-1550)越後守護。越後守護代・長尾為景に擁立され、養父・房能を自害させて越後守護となる。のちに為景と対立、宇佐美房忠とともに為景排除を企むが、失敗した。
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上杉 |
定実 |
51 | 21 | 28 |
V |
23 | 53 |
足軽 | 哀願 |
収拾 | - |
- |
じょうじょう | さだのり |
幕府 | 天下布武 | 南越後 | 高家 | (1507-1536)越後守護・上杉定実の甥。旧上杉家勢力を糾合し挙兵。三分一原合戦において長尾軍と戦うが、数千人の兵が討ち捕らえられるという大敗北を喫し、戦死した。
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上条 |
定憲 |
30 | 24 | 64 |
V |
48 | 82 |
足軽 | 弁舌 |
罵声 | 迎撃 |
- |
つちはし | のぶあきら |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 越前若狭 | 武将 | (1525-1574)朝倉家臣。景高の子。織田信長追撃の総大将を務めた。主君・義景が刀禰坂合戦に敗れたあとは信長に内応し、義景を自害させた。のち一向一揆勢に討たれた。
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土橋 |
信鏡 |
37 | 42 | 65 |
V |
7 | 64 |
騎馬 | 哀願 |
威圧 | 迎撃 |
放火 |
あぐい | かげたけ |
幕府・名声 | 好戦直情 | 越前若狭 | 武将 | (1536-1575)朝倉家臣。景隆の子。姉川合戦では朝倉軍の総大将として奮戦。主家滅亡後は織田信長に属すが、一向一揆に降伏したため、信長の怒りを買い自害させられた。
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安居 |
景健 |
22 | 51 | 29 |
V |
18 | 59 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 誘導 |
- |
ほりえ | かげただ |
名声 | 保守鷹派 | 越前若狭 | 国人 | (1527-1576)朝倉家臣。各地で功を立てるが、謀叛疑惑により能登に退去させられる。織田家に通じて本領を回復するが、一向一揆討伐の恩賞に不満を表したため殺された。
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堀江 |
景忠 |
46 | 39 | 47 |
V |
48 | 54 |
騎馬 | 登用 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
あざい | ながまさ |
朝廷 | 好戦人情 | 近江 | 武将 | (1545-1573)近江の戦国大名。小谷城主。久政の子。織田信長の妹・市を娶るが、朝倉家との友誼を重んじ信長と敵対。居城を攻められ、市と娘たちを信長に託し自害した。
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浅井 |
長政 |
59 | 80 | 27 |
V |
93 | 72 |
長槍 | 登用 |
焙烙 | 修復 |
迎撃 |
おおだて | よしざね |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 伊賀 | 武将 | (1537-1601)足利家臣。関岡城主。義輝・義昭の2代に仕えた。幕府滅亡後は所領を失い、堺に住む。のちに朝鮮派兵に従い、伊賀に所領を得た。甲冑の研究家として著名。
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大館 |
義実 |
63 | 9 | 24 |
V |
68 | 13 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | - |
- |
たかだ | よしつぐ |
無し | 好戦直情 | 伊賀 | 武将 | (1589-1671)高田流槍術の祖。宝蔵院胤栄に槍術を学んだ。大坂の陣で豊臣方に加わったため浪人となり、江戸で道場を開いた。のちに豊前小倉藩主・小笠原忠政に仕えた。
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高田 |
吉次 |
6 | 78 | 1 |
V |
8 | 36 |
長槍 | 威圧 |
威圧 | 迎撃 |
- |
たきの | よしまさ |
無し | 好戦人情 | 伊賀 | 忍者 | (1553-1602)伊賀の豪族。柏原城主。貞清の子。織田信長の伊賀侵攻軍に対して、国内の豪族連合軍を率いて頑強に抵抗したが敗れ、戦後、筒井順慶に居城を明け渡した。
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滝野 |
吉政 |
28 | 54 | 63 |
V |
56 | 62 |
鉄砲 | 商業 |
密偵 | 修復 |
迎撃 |
はたの | ひではる |
朝廷 | 好戦人情 | 丹波 | 武将 | (1549-1579)丹波の豪族。八上城主。晴通の子。居城を三好家から奪還し、勢力を拡大した。明智光秀の攻撃を受け、籠城して戦うが降伏、安土に送られ磔刑に処せられた。
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波多野 |
秀治 |
26 | 60 | 48 |
V |
58 | 65 |
長槍 | 登用 |
威圧 | 修復 |
迎撃 |
はたの | ひでなお |
朝廷 | 保守鳩派 | 丹波 | 武将 | (1555-1579)波多野家臣。晴通の子。兄・秀治とともに八上城に籠城して明智光秀軍と戦うが1年半に及ぶ攻防の末、降伏。秀治とともに安土に送られ、磔刑に処せられた。
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波多野 |
秀尚 |
32 | 48 | 27 |
V |
54 | 56 |
騎馬 | 農業 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
はたの | むねたか |
朝廷 | 好戦人情 | 丹波 | 武将 | (1509-1573)波多野家臣。氷上城主。「丹波鬼」の異名をとった勇将。正親町天皇即位の際は主君・秀治とともに金銀を献上した。朝倉家の援軍として越前に赴き戦死した。
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波多野 |
宗高 |
64 | 53 | 54 |
V |
74 | 71 |
騎馬 | 商業 |
罵声 | 破壊 |
迎撃 |
あかい | なおまさ |
幕府 | 好戦人情 | 丹波 | 武将 | (1530-1578)丹波の豪族。時家の次男。兄・家清の戦死後、若年の甥・忠家を後見した。明智光秀の丹波平定軍を撃退するなど武勇に優れ「丹波の赤鬼」の異名をとった。
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赤井 |
直正 |
27 | 75 | 71 |
V |
51 | 69 |
騎馬 | 農業 |
虚報 | 修復 |
放火 |
あらき | うじつな |
朝廷 | 好戦人情 | 丹波 | 武将 | (1535-1584)丹波の豪族。細工所城主。豪勇をもって知られた。波多野家滅亡後、明智光秀の仕官要請を拒否、代わりに子・氏清を出仕させた。氏清は山崎合戦で戦死した。
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荒木 |
氏綱 |
10 | 70 | 56 |
V |
88 | 17 |
長槍 | 登用 |
修復 | 挑発 |
迎撃 |