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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
たむら | よしあき |
朝廷 | 好戦人情 | 磐城 | 武将 | (1472-1561)陸奥の豪族。盛顕の子。岩城常隆の娘を娶る。1504年に三春城を築き居城とした。田村家は坂上田村麻呂の玄孫・古哲が田村姓を称したのに始まるという。
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田村 |
義顕 |
36 | 54 | 63 |
V |
48 | 56 |
騎馬 | 改修 |
治療 | 誘導 |
分断 |
あしかが | しげうじ |
無し | 天下布武 | 武蔵 | 高家 | (1438-1497)鎌倉公方。結城合戦の際に助命され、鎌倉府を再興。のちに対立した関東管領・上杉憲忠を殺して享徳の大乱を引き起こし、幕府や上杉家と戦いを繰り広げた。
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足利 |
成氏 |
78 | 64 | 87 |
V |
63 | 100 |
足軽 | 威圧 |
離反 | 誘導 |
挑発 |
なす | すけちか |
無し | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1461-1516)上那須家当主。白河結城政朝の子・資永を娘婿に迎えるが、直後に実子・資久が誕生。臨終の際、資久に家督を継がせるよう指示、那須家内紛の原因を作った。
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那須 |
資親 |
36 | 46 | 51 |
V |
38 | 33 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 分断 |
- |
おおぜき | むねます |
名声 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1462-1544)那須家臣。福原資安とともに大田原資清を主君・資房に讒言、資清を追う。のちに復帰した資清に子・増次を討たれ、資清の子・高増に大関家を乗っ取られた。
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大関 |
宗増 |
64 | 28 | 76 |
V |
16 | 73 |
騎馬 | 威圧 |
治療 | 迎撃 |
放火 |
さの | やすつな |
無し | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1488-1560)佐野家13代当主。秀綱の嫡男。修理亮と称す。1559年、家臣・赤見伊賀守が主家に背いたため、伊賀守の居城・赤見城を攻撃し、伊賀守を常陸に追った。
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佐野 |
泰綱 |
31 | 38 | 58 |
V |
51 | 44 |
騎馬 | 改修 |
密偵 | 修復 |
- |
おおこうち | さだつな |
名声 | 好戦直情 | 三河 | 武将 | (1463-1517)吉良家臣。備中守と称す。引馬城に拠り遠江国浜松荘の代官を務めた。尾張守護の斯波義達らと結んで今川氏親の遠江侵攻軍と戦うが敗北し、子とともに自害。
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大河内 |
貞綱 |
30 | 46 | 48 |
V |
90 | 61 |
騎馬 | 登用 |
混乱 | 迎撃 |
- |
あねがこうじ | もとつな |
朝廷・名声 | 天下布武 | 飛騨 | 高家 | (1441-1504)飛騨国司。古河姉小路家。参議、権中納言を歴任した。和歌にすぐれ、和歌所寄人を務める。また、宮中での歌会に多数出席し、三条西実隆らと交流を持った。
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姉小路 |
基綱 |
75 | 22 | 22 |
V |
53 | 34 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
ほんがんじ | じつじょ |
朝廷 | 天下布武 | 摂津 | 一向宗 | (1458-1525)本願寺9世法主。蓮如の第五子。本願寺法主で初めて法印権大僧都に任ぜられ、また、一門一家の制を定めて門徒を統制するなど、本願寺派の発展に尽力した。
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本願寺 |
実如 |
83 | 35 | 27 |
V |
57 | 72 |
長槍 | 登用 |
密偵 | - |
- |
べっしょ | のりさだ |
幕府 | 保守鷹派 | 播磨 | 武将 | (1468-1530)播磨の豪族。則治の子。父は赤松家に仕え、主君・政則が家臣団によって追放された際は、前将軍・足利義政に取りなしを依頼し、政則の播磨復帰に尽力した。
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別所 |
則定 |
55 | 44 | 25 |
V |
62 | 53 |
長槍 | 哀願 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
うらがみ | のりむね |
幕府 | 天下布武 | 備前 | 武将 | (1429-1502)赤松家臣。主君・政則を奉じて各地で活躍し、嘉吉の乱後、衰微していた赤松家を再興に導いた。政則の死後は政則の娘婿・義村の名代として国政を遂行した。
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浦上 |
則宗 |
81 | 81 | 67 |
V |
85 | 81 |
長槍 | 商業 |
離反 | 誘導 |
突入 |
きっかわ | くにつね |
幕府 | 好戦直情 | 安芸 | 武将 | (1443-1531)安芸の豪族。経基の子。57歳で家督を継ぐ。大内家に属し、船岡山合戦や有田城外合戦で活躍したが、のちに尼子家に属した。娘・妙玖は毛利元就に嫁いだ。
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吉川 |
国経 |
45 | 78 | 24 |
V |
46 | 60 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | 誘導 |
- |
さがら | ながまさ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 肥後 | 武将 | (1501-1525)肥後の戦国大名。長毎の三男。父の隠居後、家督を継ぐが、相良長定の謀叛により自害。以後、義滋(長毎の長男)の家督相続まで、相良家は内乱状態となる。
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相良 |
長祇 |
21 | 25 | 58 |
V |
60 | 42 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 誘導 |
- |
あしかが | もちうじ |
無し | 好戦直情 | 相模伊豆 | 高家 | (1567-1608)室町後期の鎌倉公方。幕府に対して不遜な態度が多く、将軍・足利義教らと対立し永享の乱を引き起こす。幕府の大軍に敗れ、鎌倉の永安寺で自害した。
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足利 |
持氏 |
87 | 62 | 83 |
V |
10 | 67 |
長槍 | 威圧 |
混乱 | 挑発 |
分断 |
あいす | ひさただ |
無し | 好戦陰湿 | 伊勢志摩 | 国人 | (1561-1647)室町中期の剣豪。移香斎と称す。日向鵜戸権現に参籠した際、満願の日に神から奥秘を授かり、「陰流」を創始。子の元香斎は上泉信綱の師といわれる。
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愛洲 |
久忠 |
13 | 95 | 45 |
V |
31 | 49 |
長槍 | 剣豪 |
威圧 | 収拾 |
誘導 |