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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
ほんがんじ | しょうにょ |
朝廷 | 天下布武 | 山城 | 一向宗 | (1516-1554)本願寺10世法主。日蓮宗徒と六角定頼に山科本願寺を焼き討ちされ、石山本願寺に本山を移した。蓮如の書状を集めて出版し、諸方の末寺や門徒に配った。
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本願寺 |
証如 |
81 | 72 | 70 |
U |
70 | 34 |
足軽 | 農業 |
鼓舞 | 収拾 |
誘導 |
ほんがんじ | けんにょ |
朝廷 | 天下布武 | 摂津 | 一向宗 | (1543-1592)本願寺11世法主。証如の子。武家勢力に抵抗し、日本各地で一向宗門徒を蜂起させる。特に織田信長を「仏敵」と罵り10年の長きに渡って抗争を続けた。
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本願寺 |
顕如 |
85 | 81 | 79 |
U |
48 | 79 |
長槍 | 登用 |
威圧 | 焙烙 |
修復 |
ほんがんじ | きょうにょ |
朝廷 | 天下布武 | 摂津 | 一向宗 | (1558-1614)本願寺12世法主。顕如の長男。気性が激しく、織田信長との和睦後も徹底抗戦を主張した。父の死後、法主の座を巡り弟・准如と対立、東本願寺を建立した。
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本願寺 |
教如 |
59 | 67 | 73 |
U |
76 | 89 |
長槍 | 威圧 |
混乱 | 鼓舞 |
誘導 |
がんしょうじ | れんじゅん |
朝廷 | 天下布武 | 近江 | 一向宗 | (1464-1550)本願寺8世法主・蓮如の十三男。大津顕証寺を経て、門徒の要望により河内顕証寺の住職となる。伊勢長島に願証寺を建立するなど、本願寺の発展に貢献した。
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願証寺 |
蓮淳 |
76 | 53 | 67 |
U |
74 | 70 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | 収拾 |
迎撃 |
がんしょうじ | しょうけい |
朝廷 | 天下布武 | 伊勢志摩 | 一向宗 | (1494-1574)蓮淳の孫。伊勢長島願証寺の住職を務めた。一向宗門徒を率いて織田信長の討伐軍に激しく抵抗するが、信長の焦土化作戦の前に敗北し、木曽川に身を投げた。
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願証寺 |
証恵 |
63 | 57 | 52 |
U |
65 | 47 |
足軽 | 商業 |
治療 | 迎撃 |
放火 |
しょうこうじ | れんこう |
朝廷 | 好戦人情 | 摂津 | 一向宗 | (1450-1531)本願寺8世法主・蓮如の第五子。おもに北陸地方で布教活動を展開し、加賀国で松岡寺や鮎滝坊などを開基した。1517年、後柏原天皇より上人号を賜った。
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松岡寺 |
蓮綱 |
72 | 44 | 29 |
U |
90 | 42 |
足軽 | 農業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
ほんせんじ | れんご |
朝廷 | 好戦陰湿 | 摂津 | 一向宗 | (1468-1543)本願寺8世法主・蓮如の七男。1506年、北陸一向一揆の総指揮を命じられ、北陸地方の諸氏と戦った。のちに弟・蓮淳と対立して戦うが敗れ、破門された。
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本泉寺 |
蓮悟 |
70 | 61 | 22 |
W |
42 | 87 |
長槍 | 威圧 |
混乱 | 焙烙 |
- |
ほんがんじ | れんにょ |
朝廷 | 好戦人情 | 摂津 | 一向宗 | (1415-1499)本願寺8世法主。おもに近江・北陸で布教活動を展開。そのカリスマ性と、平座で門徒と接する庶民的な教化により、衰微していた本願寺派の発展に尽力した。
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本願寺 |
蓮如 |
86 | 54 | 53 |
U |
75 | 92 |
長槍 | 弁舌 |
収拾 | 誘導 |
分断 |
ほんがんじ | じつじょ |
朝廷 | 天下布武 | 摂津 | 一向宗 | (1458-1525)本願寺9世法主。蓮如の第五子。本願寺法主で初めて法印権大僧都に任ぜられ、また、一門一家の制を定めて門徒を統制するなど、本願寺派の発展に尽力した。
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本願寺 |
実如 |
83 | 35 | 27 |
V |
57 | 72 |
長槍 | 登用 |
密偵 | - |
- |
ほんがんじ | えんにょ |
朝廷 | 保守鳩派 | 摂津 | 一向宗 | (1491-1521)本願寺9世法主・実如の次男。各地に散在する祖父・蓮如の手紙を集め、80通を選んで五帖にまとめた(五帖の御文)が、編集を終えた日の正午に急死した。
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本願寺 |
円如 |
66 | 27 | 40 |
U |
43 | 56 |
足軽 | 登用 |
焙烙 | 迎撃 |
- |