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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
にほんまつ | むらくに |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 岩代 | 武将 | (1479-1542)二本松畠山家10代当主。政国の嫡男。二本松家は畠山義忠の未亡人を娶った畠山義純を始祖とし、奥州探題となった4代当主・高国以後、二本松と号した。
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二本松 |
村国 |
54 | 43 | 63 |
U |
41 | 59 |
足軽 | 農業 |
治療 | 誘導 |
迎撃 |
にほんまつ | いえやす |
幕府 | 保守鳩派 | 岩代 | 武将 | (1512-1546)二本松畠山家11代当主。村国の嫡男。居城・二本松城は、7代当主・満泰によって応永年間(1394〜1427)に築かれた。別名を霧ヶ城という。
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二本松 |
家泰 |
35 | 20 | 36 |
U |
39 | 37 |
足軽 | 商業 |
混乱 | - |
- |
にほんまつ | よしくに |
幕府 | 保守鷹派 | 岩代 | 武将 | (1521-1580)二本松畠山家13代当主。新城村尚の子であるが、二本松義氏の早世により、宗家の家督を継いだ。蘆名家と田村家が争った際には、講和の斡旋を行っている。
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二本松 |
義国 |
61 | 45 | 43 |
U |
63 | 60 |
長槍 | 登用 |
収拾 | 誘導 |
- |
にほんまつ | よしつぐ |
幕府 | 好戦陰湿 | 岩代 | 武将 | (1552-1585)二本松畠山家14代当主。義国の子。伊達政宗に攻められて降伏。その会見の席で政宗の父・輝宗を拉致し逃亡するが、政宗軍に追われ、輝宗と刺し違えた。
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二本松 |
義継 |
48 | 54 | 62 |
U |
24 | 71 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 破壊 |
迎撃 |
おぐに | よしもち |
無し | 好戦人情 | 岩代 | 武将 | (1547-1606)二本松畠山家臣。伊達政宗が二本松城を攻めた際、政宗の本陣に何度か襲撃をかけるが、失敗したという。主家滅亡後は政宗の度重なる招きを断り、帰農した。
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小国 |
義操 |
9 | 64 | 25 |
U |
89 | 27 |
長槍 | 農業 |
混乱 | 突入 |
- |
あさり | のりすけ |
幕府 | 保守鷹派 | 羽後 | 国人 | (1523-1562)出羽の豪族。十狐(独鈷)城主。則頼の嫡男。安東家への従属を画策する弟・勝頼と対立する。のちに勝頼の手引きを受けた安東軍の攻撃を受け、自害した。
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浅利 |
則祐 |
31 | 36 | 42 |
U |
75 | 41 |
長槍 | 農業 |
挑発 | 迎撃 |
- |
あさり | よりひら |
幕府 | 保守鳩派 | 羽後 | 国人 | (1554-1598)出羽の豪族。勝頼の子。父が謀殺された後、津軽に身を隠す。のちに安東家の代官として比内を治めるが、軍役金未納の問題が起き、訴訟中に大坂で急死した。
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浅利 |
頼平 |
46 | 27 | 14 |
U |
27 | 42 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
おだ | まさはる |
幕府 | 天下布武 | 相模伊豆 | 高家 | (1492-1548)小田家14代当主。堀越公方・足利政知の子。小田成治の養子となる。江戸家らと戦い、河越合戦で古河公方・足利家を支持するなど多彩な軍事行動を取った。
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小田 |
政治 |
49 | 61 | 43 |
U |
33 | 82 |
騎馬 | 弁舌 |
誘導 | 挑発 |
- |
しだ | のりむね |
名声 | 好戦陰湿 | 常陸 | 国人 | (1515-1554)小田家臣。木田余城主。伊勢守と称す。主君・氏治と不和になったため、菅谷政貞に土浦城で謀殺されたという。謀殺したのは政貞の父・勝貞という説もある。
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信太 |
範宗 |
28 | 16 | 41 |
U |
18 | 65 |
長槍 | 弁舌 |
罵声 | - |
- |
あしかが | よしあき |
幕府 | 天下布武 | 下総 | 旧仏教 | (1487-1538)小弓御所。古河公方・政氏の子。父らと対立し、流浪の末、真里谷武田家の後援で小弓城に入った。のちに里見家と結んで北条家と国府台で戦うが、敗死した。
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足利 |
義明 |
17 | 57 | 33 |
U |
7 | 93 |
足軽 | 威圧 |
罵声 | 誘導 |
- |
おだ | ひろのぶ |
名声 | 好戦陰湿 | 尾張 | 武将 | (1506-1555)尾張斯波家臣。尾張下4郡の守護代。名は信友とも。清洲城主を務めた。主君・義統を殺したため、織田信長の命を受けた織田信光に攻められ、自害した。
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織田 |
広信 |
41 | 14 | 67 |
U |
24 | 82 |
足軽 | 威圧 |
混乱 | 迎撃 |
- |
たけだ | のぶとら |
幕府 | 好戦直情 | 甲斐 | 武将 | (1494-1574)甲斐守護。甲斐を平定するが、その苛烈な政策方針に反発した嫡男・信玄によって駿河に追放された。以後は各地を放浪し、甲斐に再び戻ることはなかった。
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武田 |
信虎 |
45 | 85 | 48 |
U |
22 | 95 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 威圧 |
突入 |
あさくら | たかかげ |
幕府 | 天下布武 | 越前若狭 | 武将 | (1493-1546)朝倉家4代当主。卓抜した政治手腕で越前国内を安定させ、朝倉家の最盛期を現出した。隣国・加賀に積極的に侵攻し、一向一揆軍と戦った。歌道に優れた。
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朝倉 |
孝景 |
78 | 79 | 73 |
U |
45 | 80 |
騎馬 | 農業 |
離反 | 破壊 |
誘導 |
あさくら | よしかげ |
幕府 | 保守鳩派 | 越前若狭 | 高家 | (1533-1573)朝倉家5代当主。孝景の嫡男。将軍・足利義昭と結び織田信長包囲網の一角を担うが、次第に勢威を失う。刀禰坂合戦で敗北を喫し、一族に背かれて自害した。
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朝倉 |
義景 |
32 | 22 | 27 |
U |
3 | 74 |
足軽 | 茶湯 |
誘導 | - |
- |
あさくら | そうてき |
幕府 | 好戦人情 | 越前若狭 | 旧仏教 | (1477-1555)朝倉家臣。朝倉家初代当主・敏景の子。軍奉行を務め、周辺諸国へ出兵し朝倉家の武威を内外に知らしめた。加賀一向一揆討伐の際に発病、帰国後に死去した。
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朝倉 |
宗滴 |
66 | 82 | 79 |
U |
88 | 69 |
騎馬 | 登用 |
虚報 | 鼓舞 |
突入 |
あさくら | かげのり |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 越前若狭 | 武将 | (1503-1572)朝倉家臣。朝倉家3代当主・貞景の子。朝倉宗滴の養子となる。敦賀城主を務め養父とともに加賀や若狭、近畿などを転戦し活躍した。のち敦賀郡司となった。
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朝倉 |
景紀 |
36 | 23 | 38 |
U |
50 | 46 |
足軽 | 改修 |
治療 | - |
- |
あさくら | かげたか |
幕府 | 保守鷹派 | 越前若狭 | 武将 | (1494-1571)朝倉家臣。朝倉敏景の弟・経景の孫。朝倉宗滴が病で帰国したあと、一向一揆討伐の大将として加賀に出陣した。のち3人の子を相次いで失い、間もなく死去。
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朝倉 |
景隆 |
43 | 44 | 32 |
U |
56 | 36 |
長槍 | 商業 |
収拾 | 誘導 |
- |
かわい | よしむね |
無し | 保守鷹派 | 越前若狭 | 武将 | (1521-1573)朝倉家臣。一乗谷四奉行の1人として国政に参画したほか、浅井家救援のために近江に出陣するなど活躍した。刀禰坂合戦において、織田軍に討たれたという。
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河合 |
吉統 |
64 | 26 | 51 |
U |
78 | 11 |
騎馬 | 商業 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
まがら | なおたか |
無し | 好戦人情 | 越前若狭 | 武将 | (1536-1570)朝倉家臣。弟・直澄とともに家中随一の剛勇の士として名を馳せる。姉川合戦で味方兵が敗走する中、徳川軍を相手に奮戦するが、子・隆基とともに戦死した。
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真柄 |
直隆 |
4 | 74 | 13 |
U |
93 | 4 |
長槍 | 威圧 |
威圧 | 突入 |
- |
あざい | すけまさ |
朝廷 | 天下布武 | 近江 | 武将 | (1491-1542)近江の戦国大名。小谷城主。はじめ京極家に仕えたが、主家の内紛に乗じて勢力を拡大する。朝倉家の援助を受けて六角定頼の軍を撃退し、江北に覇を唱えた。
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浅井 |
亮政 |
73 | 77 | 72 |
U |
67 | 84 |
騎馬 | 改修 |
離反 | 虚報 |
迎撃 |