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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
おだ | しげはる |
朝廷 | 好戦人情 | 常陸 | 武将 | (1449-1514)小田家13代当主。古河公方・足利家に従う。長男・治孝と次男・顕家が内紛を起こし、ともに殺されたため、足利政知(堀越公方)の子・政治を養子とした。
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小田 |
成治 |
52 | 44 | 60 |
U |
78 | 28 |
騎馬 | 改修 |
混乱 | 破壊 |
誘導 |
おだ | たつかつ |
朝廷 | 保守鳩派 | 尾張 | 武将 | (1486-1537)斯波家臣。大和守と称す。内乱を起こして自害した織田達定の跡を継ぎ、尾張下四郡の守護代となる。織田信長の父・信秀は達勝の家臣「清洲三奉行」の一人。
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織田 |
達勝 |
43 | 47 | 27 |
U |
55 | 27 |
足軽 | 弁舌 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
たけだ | のぶつな |
幕府 | 保守鳩派 | 甲斐 | 武将 | (1470-1507)甲斐守護。父・信昌が弟・油川信恵に家督を譲ろうとしたため、父や弟と戦う。のちに和睦し家督を継ぐが、家中の対立に乗じた外敵の侵入に悩まされ続けた。
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武田 |
信縄 |
45 | 70 | 66 |
U |
60 | 66 |
足軽 | 登用 |
離反 | 修復 |
誘導 |
あねがこうじ | なるつぐ |
朝廷 | 天下布武 | 飛騨 | 高家 | (1470-1518)飛騨国司。古河姉小路家。基綱の嫡男。参議に叙任された。父と同じく和歌にすぐれた。1504年、家臣・三木重綱を木曾谷に侵攻させ、木曾義元を討った。
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姉小路 |
済継 |
60 | 23 | 28 |
U |
38 | 58 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
しょうこうじ | れんこう |
朝廷 | 好戦人情 | 摂津 | 一向宗 | (1450-1531)本願寺8世法主・蓮如の第五子。おもに北陸地方で布教活動を展開し、加賀国で松岡寺や鮎滝坊などを開基した。1517年、後柏原天皇より上人号を賜った。
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松岡寺 |
蓮綱 |
72 | 44 | 29 |
U |
90 | 42 |
足軽 | 農業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
あさくら | さだかげ |
幕府 | 天下布武 | 越前若狭 | 武将 | (1473-1512)朝倉家3代当主。氏景の嫡男。越前国宗主権を巡る斯波家との訴訟に勝ち、名実ともに越前国主となる。生涯、加賀からの一向一揆勢の侵攻に悩まされ続けた。
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朝倉 |
貞景 |
79 | 80 | 72 |
U |
64 | 71 |
長槍 | 登用 |
虚報 | 修復 |
迎撃 |
あさくら | かげもと |
幕府 | 保守鷹派 | 越前若狭 | 武将 | (1466-1522)朝倉家臣。経景(朝倉家初代当主・孝景の弟)の子。1506年、加賀一向一揆との九頭竜川合戦においては、従兄弟・朝倉宗滴に従って出陣し、奮戦した。
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朝倉 |
景職 |
42 | 42 | 60 |
U |
81 | 37 |
騎馬 | 登用 |
治療 | 修復 |
- |
あざい | なおたね |
朝廷 | 保守鷹派 | 近江 | 武将 | (1472-1521)京極家臣。蔵人と称した。1496年、船田合戦において美濃守護代・斎藤妙純が京極家に援軍を求めた際、三田村氏らとともに軍勢を率いて美濃に赴いた。
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浅井 |
直種 |
36 | 47 | 45 |
U |
55 | 45 |
長槍 | 改修 |
罵声 | 迎撃 |
- |
ほんがんじ | れんにょ |
朝廷 | 好戦人情 | 摂津 | 一向宗 | (1415-1499)本願寺8世法主。おもに近江・北陸で布教活動を展開。そのカリスマ性と、平座で門徒と接する庶民的な教化により、衰微していた本願寺派の発展に尽力した。
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本願寺 |
蓮如 |
86 | 54 | 53 |
U |
75 | 92 |
長槍 | 弁舌 |
収拾 | 誘導 |
分断 |
ほんがんじ | えんにょ |
朝廷 | 保守鳩派 | 摂津 | 一向宗 | (1491-1521)本願寺9世法主・実如の次男。各地に散在する祖父・蓮如の手紙を集め、80通を選んで五帖にまとめた(五帖の御文)が、編集を終えた日の正午に急死した。
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本願寺 |
円如 |
66 | 27 | 40 |
U |
43 | 56 |
足軽 | 登用 |
焙烙 | 迎撃 |
- |
しょう | もとすけ |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 備中 | 国人 | (1459-1513)備中の豪族。備中守護・細川勝久に仕えるが、のちに対立し、合戦に及んだ。管領・細川政元が丹波に下向した際、安富元家とともに連れ戻しに行ったという。
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庄 |
元資 |
58 | 63 | 64 |
U |
49 | 53 |
長槍 | 弁舌 |
威圧 | 誘導 |
挑発 |
しょうに | まさすけ |
幕府 | 好戦陰湿 | 肥前 | 高家 | (1441-1497)少弐家15代当主。肥前守護を務めた。大内家を破って博多を掌握し、朝鮮貿易を行うなど勢力を拡げるが、のちに大内軍に敗れ、子・高経とともに自害した。
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少弐 |
政資 |
70 | 65 | 59 |
U |
17 | 84 |
騎馬 | 商業 |
罵声 | 焙烙 |
誘導 |
あさくら | としかげ |
幕府 | 保守鷹派 | 越前若狭 | 武将 | (1564-1617)室町後期の武将。応仁の乱では越前守護と引き換えに西軍から東軍に寝返り、主家を追って越前を平定した。『朝倉英林壁書』の制定など、領国経営にも尽力。
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朝倉 |
敏景 |
95 | 74 | 85 |
U |
23 | 69 |
騎馬 | 登用 |
虚報 | 修復 |
突入 |
しょうに | よりひさ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 筑前 | 高家 | (1565-1643)南北朝期の武将。九州に西下した足利尊氏に属し、多々良浜合戦で菊池家を破るなど活躍した。尊氏の死後は勢力を失い筑後川合戦で菊池武光に敗れ没落した。
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少弐 |
頼尚 |
85 | 40 | 68 |
U |
33 | 47 |
騎馬 | 商業 |
離反 | 突入 |
- |
おだ | はるひさ |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 常陸 | 武将 | (1566-1635)南北朝期の常陸の豪族。はじめ建武新政府に属すも、足利尊氏の挙兵後は南朝方となり、常陸に入った北畠親房とともに東国における南朝勢力の回復に努めた。
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小田 |
治久 |
61 | 61 | 50 |
U |
63 | 28 |
足軽 | 弁舌 |
罵声 | 虚報 |
- |
たけだ | のぶよし |
幕府 | 保守鳩派 | 甲斐 | 武将 | (1567-1625)源平期の甲斐の豪族。源頼朝の挙兵に際し、甲斐源氏の一党を率いて参陣。富士川合戦など活躍したが、晩年は子・忠頼が誅されるなど敬遠された。
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武田 |
信義 |
43 | 73 | 70 |
U |
67 | 30 |
長槍 | 弁舌 |
鼓舞 | 収拾 |
迎撃 |
くずは | さいにん |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 山城 | 商人 | (1563-1654)室町時代の貿易商人。天竺人を父に持ち幼名をムスルといった。大和に住み、興福寺大乗院で得度して西忍と号す。遣明船の客商となり、たびたび明を訪れた。
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楠葉 |
西忍 |
69 | 29 | 80 |
U |
77 | 11 |
足軽 | 商業 |
離反 | 迎撃 |
- |