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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
あしかが | はるうじ |
幕府 | 天下布武 | 下総 | 高家 | (1508-1560)古河公方。高基の子。足利家の一門として関東武士の間に根強い支持があり、北条家も懐柔に注意を払った。のち北条家に反抗したため、小田原に幽閉された。
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足利 |
晴氏 |
45 | 28 | 27 |
X |
38 | 53 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
あしかが | よしうじ |
幕府・名声 | 天下布武 | 下総 | 高家 | (1541-1582)古河公方。晴氏の子。北条家の庇護のもとで成人し古河城に復帰するが、実権を持たなかった。死後、古河足利家が断絶したため、娘・氏が喜連川家を立てた。
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足利 |
義氏 |
36 | 10 | 18 |
X |
31 | 33 |
足軽 | 茶湯 |
収拾 | - |
- |
あしかが | よしあき |
幕府 | 天下布武 | 下総 | 旧仏教 | (1487-1538)小弓御所。古河公方・政氏の子。父らと対立し、流浪の末、真里谷武田家の後援で小弓城に入った。のちに里見家と結んで北条家と国府台で戦うが、敗死した。
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足利 |
義明 |
17 | 57 | 33 |
U |
7 | 93 |
足軽 | 威圧 |
罵声 | 誘導 |
- |
きつれがわ | よりずみ |
幕府・名声 | 天下布武 | 下総 | 高家 | (1533-1601)下野喜連川城主。小弓御所・義明の子。父が第一次国府台合戦で戦死したため、各地を流浪。のちに豊臣秀吉に仕えた。娘・島子は豊臣秀吉の側室となった。
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喜連川 |
頼純 |
45 | 18 | 29 |
V |
66 | 34 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
きつれがわ | よりうじ |
幕府・名声 | 天下布武 | 上総安房 | 高家 | (1580-1630)下野喜連川城主。頼純の子。兄・国朝は豊臣秀吉の朝鮮派兵の際、肥前名護屋城へ赴く途中に死去。そのため、兄の正室(足利義氏の娘)を娶り遺領を継いだ。
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喜連川 |
頼氏 |
45 | 4 | 23 |
V |
52 | 5 |
足軽 | 茶湯 |
治療 | - |
- |
あしかが | しげうじ |
無し | 天下布武 | 武蔵 | 高家 | (1438-1497)鎌倉公方。結城合戦の際に助命され、鎌倉府を再興。のちに対立した関東管領・上杉憲忠を殺して享徳の大乱を引き起こし、幕府や上杉家と戦いを繰り広げた。
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足利 |
成氏 |
78 | 64 | 87 |
V |
63 | 100 |
足軽 | 威圧 |
離反 | 誘導 |
挑発 |
あしかが | まさうじ |
名声 | 保守鳩派 | 下総 | 高家 | (1466-1531)古河公方。成氏の子。父が幕府と和睦したあと、家督を継いだ。子・高基と対立し、一時は高基を関宿城に追うが、のちに周辺諸国から圧迫を受け、隠居した。
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足利 |
政氏 |
56 | 21 | 29 |
W |
41 | 39 |
長槍 | 哀願 |
威圧 | - |
- |
あしかが | たかもと |
無し | 天下布武 | 下総 | 高家 | (1483-1535)古河公方。上杉家と友好関係を保つ父・政氏と対立し、宇都宮家を頼るが、のちに帰国。北条早雲の策謀で再び対立し、父を小山家のもとに追い家督を継いだ。
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足利 |
高基 |
55 | 18 | 33 |
X |
14 | 17 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | - |
- |
あしかが | もちうじ |
無し | 好戦直情 | 相模伊豆 | 高家 | (1567-1608)室町後期の鎌倉公方。幕府に対して不遜な態度が多く、将軍・足利義教らと対立し永享の乱を引き起こす。幕府の大軍に敗れ、鎌倉の永安寺で自害した。
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足利 |
持氏 |
87 | 62 | 83 |
V |
10 | 67 |
長槍 | 威圧 |
混乱 | 挑発 |
分断 |