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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
かわはら | とものぶ |
朝廷 | 保守鷹派 | 陸奥 | 高家 | (1503-1562)浪岡北畠家臣。具永の子。断絶していた川原御所を継ぐ。「津軽郡中名字」を編纂した。のちに甥・具運と対立して具運を討つが、具運の弟・顕範に討たれた。
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川原 |
具信 |
63 | 23 | 32 |
W |
17 | 78 |
騎馬 | 農業 |
威圧 | - |
- |
しば | つねあき |
幕府 | 好戦直情 | 陸中 | 高家 | (1495-1559)奥州斯波家当主。詮高の嫡男。奥州斯波家は、足利尊氏の家臣・斯波家長が奥州管領として斯波郡に派遣され、高水寺城を築いて本拠としたことに始まる。
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斯波 |
経詮 |
55 | 42 | 59 |
W |
33 | 69 |
騎馬 | 商業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
しば | あきざね |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 陸中 | 高家 | (1524-1578)奥州斯波家当主。経詮の子。隣国の南部家とたびたび争ったが、劣勢に追い込まれたため和睦。のちに九戸信仲の四男・高田康真を娘婿として迎えた。
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斯波 |
詮真 |
49 | 31 | 51 |
W |
63 | 54 |
騎馬 | 登用 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
しば | あきなお |
幕府 | 保守鳩派 | 陸中 | 高家 | (1550-1619)奥州斯波家当主。詮真の子。南部信直の軍に敗れて逃走、各地に潜伏した。のちに南部家に仕えたが、大坂冬の陣の際、浪人となって京都に住んだという。
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斯波 |
詮直 |
26 | 8 | 2 |
W |
14 | 5 |
騎馬 | 茶湯 |
混乱 | - |
- |
しずくいし | あきさだ |
幕府 | 好戦直情 | 陸中 | 高家 | (1498-1557)奥州斯波家臣。詮高の次男。父が雫石地方を攻略した際に、雫石城主となり、雫石御所を称した。雫石城は、斯波家滅亡の際に南部信直によって攻略された。
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雫石 |
詮貞 |
44 | 43 | 23 |
W |
39 | 45 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
いさり | あきよし |
幕府 | 保守鷹派 | 陸中 | 高家 | (1500-1564)奥州斯波家臣。詮高の三男。父が雫石地方を攻略した際に、猪去館主となり、猪去御所を称した。猪去館は、斯波家滅亡の際に南部信直によって攻略された。
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猪去 |
詮義 |
28 | 36 | 40 |
W |
49 | 33 |
足軽 | 改修 |
密偵 | 誘導 |
- |
いわしみず | よしなが |
無し | 好戦人情 | 陸中 | 武将 | (1544-1588)斯波家臣。肥後と称す。政務を省みず遊興に耽る主君・詮直をたびたび諫めるが聞き入れられなかったという。南部家が斯波家を滅ぼした際に、主家に殉じた。
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岩清水 |
義長 |
30 | 36 | 42 |
W |
84 | 38 |
長槍 | 哀願 |
収拾 | 誘導 |
- |
おいかわ | よりいえ |
名声 | 好戦陰湿 | 陸中 | 武将 | (1515-1564)葛西家臣。柏木城主。沖田及川党の頭領であった。1559年、千葉三郎信近と争い、これがきっかけで柏木城事件が発生。大原氏により及川党は討伐された。
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及川 |
頼家 |
62 | 23 | 52 |
W |
27 | 72 |
騎馬 | 弁舌 |
混乱 | 迎撃 |
- |
おやま | あきなが |
朝廷 | 好戦直情 | 陸中 | 武将 | (1557-1586)葛西家臣。柏山明吉の三男。小山城主。弟・折居明久とともに領内屈指の荒武者といわれる。1581年の柏山家内乱の際には家老・三田将監を殺害した。
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小山 |
明長 |
8 | 54 | 48 |
W |
29 | 58 |
騎馬 | 威圧 |
挑発 | 迎撃 |
- |
おりい | あきひさ |
朝廷 | 好戦直情 | 陸中 | 武将 | (1561-1595)葛西家臣。柏山明吉の四男。折居館主。領内屈指の荒武者といわれ、柏山家内乱の際には家老・三田将監を殺害。葛西・大崎一揆では叛乱軍の総帥となった。
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折居 |
明久 |
6 | 57 | 27 |
W |
23 | 81 |
騎馬 | 農業 |
罵声 | 誘導 |
- |
たむら | たかあき |
朝廷 | 天下布武 | 磐城 | 武将 | (1489-1574)陸奥の豪族。三春城主。伊達稙宗の娘を娶る。伊達家の内紛(天文の大乱)の際は舅・稙宗に与力した。佐竹義重・石川昭光の連合軍を破ったのちに急逝した。
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田村 |
隆顕 |
39 | 68 | 51 |
W |
24 | 65 |
騎馬 | 登用 |
修復 | 挑発 |
突入 |
たむら | きよあき |
朝廷 | 保守鷹派 | 磐城 | 武将 | (1526-1586)陸奥の豪族。三春城主。隆顕の子。近隣の高倉城を攻略し、また佐竹家と結んで蘆名家の長沼城を攻めるなど、盛んに活動した。娘・愛は伊達政宗に嫁いだ。
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田村 |
清顕 |
46 | 60 | 54 |
W |
73 | 61 |
騎馬 | 威圧 |
離反 | 破壊 |
迎撃 |
たむら | ともあき |
朝廷 | 好戦直情 | 磐城 | 武将 | (1528-1584)田村家臣。隆顕の子。1584年8月、兄・清顕に従って出陣し、大内定綱と戦うが敗れ、戦死した。子・宗顕はのちに田村家の家督を継いだ。
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田村 |
友顕 |
19 | 57 | 9 |
W |
65 | 47 |
長槍 | 改修 |
威圧 | 誘導 |
- |
たむら | むねあき |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 磐城 | 武将 | (1569-1620)陸奥の豪族。友顕の子。伯父・清顕に子がなかったため、伊達政宗の後援で田村家を継いだ。豊臣秀吉の奥州征伐で所領を没収され、その後は伊達家に仕えた。
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田村 |
宗顕 |
23 | 16 | 22 |
W |
21 | 19 |
足軽 | 哀願 |
治療 | - |
- |
まりやつ | のぶたか |
幕府 | 保守鷹派 | 上総安房 | 高家 | (1496-1551)真里谷武田家一族。信保の庶長子。異母弟・信応と家督を争う。一時は居城・峯上城を落とされて逃亡したが、北条家の後援で真里谷城に復帰、家督を継いだ。
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真里谷 |
信隆 |
31 | 19 | 35 |
W |
33 | 68 |
足軽 | 改修 |
威圧 | - |
- |
みぶ | つなふさ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1479-1555)宇都宮家臣。壬生城主。筆頭家老を務めた。権謀術数を駆使して主君の忠綱・興綱を死に追いやり、興綱の子・尚綱が戦死したのち、宇都宮城を乗っ取った。
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壬生 |
綱房 |
70 | 45 | 78 |
W |
8 | 90 |
長槍 | 弁舌 |
虚報 | 治療 |
破壊 |
みぶ | よしたけ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1552-1590)宇都宮家臣。壬生城主。綱雄の嫡男。叔父・周良を討ち父の敵を取る。のち北条家に属す。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城に籠城、戦後間もなく没した。
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壬生 |
義雄 |
37 | 46 | 49 |
W |
21 | 59 |
足軽 | 改修 |
治療 | 誘導 |
- |
さの | むねつな |
幕府 | 好戦直情 | 下野 | 武将 | (1556-1586)佐野家16代当主。昌綱の嫡男。佐竹家と結んで北条家に対抗。また軍事・経済両面の改革を進めるが、家臣の反発を招いた。のちに須花坂の戦いで戦死した。
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佐野 |
宗綱 |
37 | 54 | 28 |
W |
67 | 77 |
騎馬 | 登用 |
罵声 | 修復 |
- |
たかせ | ただゆき |
無し | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1533-1581)佐野家臣。家中随一の智将という。館林城主・赤井家が奪っていた免鳥城を主家が奪回したあと、免鳥城主となる。のちに長尾顕長に居城を攻められ戦死した。
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高瀬 |
忠行 |
25 | 58 | 60 |
W |
57 | 33 |
長槍 | 弁舌 |
収拾 | 焙烙 |
分断 |
みつぎ | なおより |
朝廷 | 天下布武 | 飛騨 | 武将 | (1497-1554)飛騨の豪族。桜洞城を築いて居城とし、版図を拡大する。飛騨国司・姉小路家や美濃の土岐家、本願寺などと友好関係を結び、飛騨国内に一大勢力を築いた。
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三木 |
直頼 |
72 | 66 | 78 |
W |
28 | 92 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 虚報 |
破壊 |