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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
しば | つねあき |
幕府 | 好戦直情 | 陸中 | 高家 | (1495-1559)奥州斯波家当主。詮高の嫡男。奥州斯波家は、足利尊氏の家臣・斯波家長が奥州管領として斯波郡に派遣され、高水寺城を築いて本拠としたことに始まる。
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斯波 |
経詮 |
55 | 42 | 59 |
W |
33 | 69 |
騎馬 | 商業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
しば | あきざね |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 陸中 | 高家 | (1524-1578)奥州斯波家当主。経詮の子。隣国の南部家とたびたび争ったが、劣勢に追い込まれたため和睦。のちに九戸信仲の四男・高田康真を娘婿として迎えた。
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斯波 |
詮真 |
49 | 31 | 51 |
W |
63 | 54 |
騎馬 | 登用 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
しば | あきなお |
幕府 | 保守鳩派 | 陸中 | 高家 | (1550-1619)奥州斯波家当主。詮真の子。南部信直の軍に敗れて逃走、各地に潜伏した。のちに南部家に仕えたが、大坂冬の陣の際、浪人となって京都に住んだという。
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斯波 |
詮直 |
26 | 8 | 2 |
W |
14 | 5 |
騎馬 | 茶湯 |
混乱 | - |
- |
しずくいし | あきさだ |
幕府 | 好戦直情 | 陸中 | 高家 | (1498-1557)奥州斯波家臣。詮高の次男。父が雫石地方を攻略した際に、雫石城主となり、雫石御所を称した。雫石城は、斯波家滅亡の際に南部信直によって攻略された。
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雫石 |
詮貞 |
44 | 43 | 23 |
W |
39 | 45 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
いさり | あきよし |
幕府 | 保守鷹派 | 陸中 | 高家 | (1500-1564)奥州斯波家臣。詮高の三男。父が雫石地方を攻略した際に、猪去館主となり、猪去御所を称した。猪去館は、斯波家滅亡の際に南部信直によって攻略された。
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猪去 |
詮義 |
28 | 36 | 40 |
W |
49 | 33 |
足軽 | 改修 |
密偵 | 誘導 |
- |
ひえぬき | てるとき |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 陸中 | 高家 | (1521-1575)陸奥の豪族。奥州斯波家の出身という。1555年に上洛して将軍・足利義輝に黄金10両を献上した。この際、義輝の偏諱を賜って輝時と名乗ったという。
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稗貫 |
輝時 |
61 | 9 | 25 |
X |
52 | 44 |
足軽 | 茶湯 |
収拾 | - |
- |
しば | あきたか |
幕府 | 保守鷹派 | 陸前 | 高家 | (1468-1527)奥州斯波家当主。大崎教兼の子という。1495年、志和郡に入り高水寺城を居城とした。次男・詮貞を雫石城、三男・詮義を猪去館に置いて、領内を治めた。
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斯波 |
詮高 |
65 | 57 | 73 |
W |
76 | 76 |
騎馬 | 改修 |
混乱 | 誘導 |
突入 |