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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
ひえぬき | てるとき |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 陸中 | 高家 | (1521-1575)陸奥の豪族。奥州斯波家の出身という。1555年に上洛して将軍・足利義輝に黄金10両を献上した。この際、義輝の偏諱を賜って輝時と名乗ったという。
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稗貫 |
輝時 |
61 | 9 | 25 |
X |
52 | 44 |
足軽 | 茶湯 |
収拾 | - |
- |
あそぬま | ひろさと |
朝廷 | 保守鷹派 | 陸中 | 国人 | (1534-1595)陸奥の豪族。鍋倉城主。源頼朝の奥州征伐に従軍した阿曾沼広綱を始祖とする。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため改易され、南部家に預けられた。
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阿曾沼 |
広郷 |
47 | 31 | 45 |
X |
31 | 41 |
騎馬 | 農業 |
密偵 | 迎撃 |
- |
あそぬま | ひろなが |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 陸中 | 国人 | (1563-1605)陸奥の豪族。広郷の子。鍋倉城主。関ヶ原合戦の際、南部家に従って出陣したが留守中に居城を家臣に奪われる。奪還をはかるが成功せず、伊達家臣となった。
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阿曾沼 |
広長 |
35 | 14 | 41 |
X |
47 | 70 |
騎馬 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
まいや | つねひで |
無し | 保守鷹派 | 陸前 | 武将 | (1535-1591)葛西家臣。米谷城主。常時の嫡男。米谷家は亀掛川千葉家の流れ。桃生郡深谷において弟(五男)・常忠、弟(七男)・信忠とともに伊達政宗に謀殺された。
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米谷 |
常秀 |
33 | 36 | 33 |
X |
52 | 46 |
足軽 | 哀願 |
治療 | 迎撃 |
- |
むやり | しげのぶ |
無し | 保守鷹派 | 陸前 | 武将 | (1526-1591)葛西家臣。武鑓城主。富沢家の叛乱鎮定や、浜田家と熊谷家の兵乱鎮圧などに従軍し、活躍した。桃生郡深谷において弟の儀信とともに伊達政宗に謀殺された。
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武鑓 |
重信 |
21 | 47 | 45 |
X |
63 | 54 |
長槍 | 商業 |
収拾 | 迎撃 |
- |
やはぎ | しげつね |
名声 | 保守鷹派 | 陸前 | 武将 | (1555-1591)葛西家臣。外館城主。浜田兵乱鎮定に功を立て、浜田家に代わって気仙郡の旗頭となった。この際、金の采配を許されたという。のちに伊達政宗に謀殺された。
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矢作 |
重常 |
27 | 42 | 38 |
X |
41 | 35 |
騎馬 | 登用 |
威圧 | 誘導 |
- |
たいじょう | のりもと |
朝廷 | 保守鳩派 | 常陸 | 国人 | (1515-1564)常陸の豪族。府中城主。大掾家の始祖は常陸の大掾を務めた平国香で、その子孫4人が地名をとって多気・吉田・石毛・小栗に分かれ、大掾姓を称したという。
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大掾 |
慶幹 |
46 | 38 | 47 |
X |
30 | 58 |
足軽 | 改修 |
治療 | 誘導 |
- |
たいじょう | さだくに |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 常陸 | 国人 | (1548-1577)常陸の豪族。府中城主。大掾慶幹の死後佐竹義昭の弟が家督を継ぎ、昌幹と名乗ったが、大掾家中の反対にあったため実家に戻り、貞国が家督を継いだという。
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大掾 |
貞国 |
38 | 37 | 31 |
X |
40 | 49 |
足軽 | 茶湯 |
収拾 | 誘導 |
- |
たいじょう | きよもと |
朝廷 | 保守鷹派 | 常陸 | 国人 | (1573-1590)常陸の豪族。府中城主。貞国の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため佐竹義宣の攻撃を受けて自害した。一族諸氏も太田城に招かれて謀殺された。
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大掾 |
清幹 |
24 | 34 | 14 |
X |
47 | 38 |
長槍 | 弁舌 |
迎撃 | - |
- |
あしかが | はるうじ |
幕府 | 天下布武 | 下総 | 高家 | (1508-1560)古河公方。高基の子。足利家の一門として関東武士の間に根強い支持があり、北条家も懐柔に注意を払った。のち北条家に反抗したため、小田原に幽閉された。
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足利 |
晴氏 |
45 | 28 | 27 |
X |
38 | 53 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
あしかが | よしうじ |
幕府・名声 | 天下布武 | 下総 | 高家 | (1541-1582)古河公方。晴氏の子。北条家の庇護のもとで成人し古河城に復帰するが、実権を持たなかった。死後、古河足利家が断絶したため、娘・氏が喜連川家を立てた。
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足利 |
義氏 |
36 | 10 | 18 |
X |
31 | 33 |
足軽 | 茶湯 |
収拾 | - |
- |
やなだ | はるすけ |
幕府 | 天下布武 | 下総 | 武将 | (1524-1594)古河足利家臣。関宿城主。高助の子。北条氏康打倒を企んだ主君・晴氏が逆に幽閉されると、晴氏の子・藤氏を擁立。上杉家や武田家と結んで北条家と争った。
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簗田 |
晴助 |
64 | 49 | 65 |
X |
84 | 78 |
騎馬 | 弁舌 |
鼓舞 | 密偵 |
誘導 |
うちがしま | うじまさ |
朝廷 | 保守鷹派 | 飛騨 | 国人 | (1541-1585)飛騨の豪族。帰雲城主。豊臣家臣・金森長近の飛騨侵攻軍に降るが、大地震により居城が埋没、山崩れによる洪水が起こり滅亡した。現代に埋蔵金伝説が残る。
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内ヶ島 |
氏理 |
60 | 43 | 32 |
X |
35 | 54 |
騎馬 | 商業 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
しおや | あきさだ |
無し | 保守鳩派 | 飛騨 | 商人 | (1521-1583)飛騨の豪族。尾崎城主。上杉謙信に属して越中や飛騨で活躍、謙信から目代に任ぜられた。謙信の死後は織田信長に属したが、越中の豪族との戦いで戦死した。
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塩屋 |
秋貞 |
65 | 32 | 39 |
X |
58 | 39 |
長槍 | 農業 |
密偵 | 迎撃 |
- |
ろっかく | さだより |
幕府 | 天下布武 | 近江 | 旧仏教 | (1495-1552)近江の戦国大名。近江に逃れた将軍・足利義晴を支援し、管領に準ずる待遇を与えられた。一国一城令の先駆をなす「城割り」を初めて行った人物として著名。
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六角 |
定頼 |
78 | 72 | 57 |
X |
39 | 88 |
長槍 | 改修 |
離反 | 破壊 |
誘導 |
ろっかく | じょうてい |
幕府 | 天下布武 | 近江 | 切支丹 | (1521-1598)近江の戦国大名。定頼の子。江南に勢力を伸ばす。三好家に京を追われた足利将軍家を保護し、仲裁に奔走した。のち織田信長の上洛軍に敗れ、所領を失った。
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六角 |
承禎 |
34 | 49 | 36 |
X |
30 | 77 |
騎馬 | 威圧 |
混乱 | 迎撃 |
- |
ろっかく | よしはる |
幕府 | 保守鷹派 | 近江 | 武将 | (1544-1612)近江の戦国大名。義賢の子。筆頭家老・後藤賢豊を謀殺し、家臣の信頼を失う。織田信長の上洛軍に敗れ、諸国を流浪した。晩年は豊臣秀頼の弓師範を務めた。
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六角 |
義治 |
31 | 29 | 9 |
X |
15 | 70 |
足軽 | 哀願 |
迎撃 | - |
- |
ごとう | かたとよ |
無し | 保守鷹派 | 近江 | 武将 | (1519-1563)六角家臣。進藤家とともに「六角家の両藤」と称された。主君・義賢親子が上洛した際は警護役を務めた。いわゆる観音寺騒動において主君・義治に殺された。
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後藤 |
賢豊 |
67 | 44 | 54 |
X |
69 | 58 |
長槍 | 商業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
しんどう | さだはる |
無し | 保守鳩派 | 近江 | 武将 | (1492-1551)六角家臣。木浜城主。後藤賢豊とともに「両藤」と称された。幕府や細川家、本願寺との折衝や、延暦寺と法華宗の紛争の調停など、おもに外交面で活躍した。
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進藤 |
貞治 |
70 | 33 | 61 |
X |
64 | 63 |
足軽 | 弁舌 |
密偵 | 誘導 |
- |
みくも | しげもち |
無し | 好戦人情 | 近江 | 武将 | (1540-1603)六角家臣。兄・賢持の死後、家督を継いだ。「六角氏式目」には父・定持とともに署名している。主家滅亡後は浪人生活を経て、織田信雄・蒲生氏郷に仕えた。
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三雲 |
成持 |
42 | 45 | 43 |
X |
61 | 52 |
騎馬 | 威圧 |
治療 | 修復 |
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