| |
重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
|
武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
くつき | たねつな |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 近江 | 国人 | (1498-1551)近江の豪族。三好元長に京を追われた将軍・足利義晴を居館にかくまう。その功により申次七人衆の1人に加えられた。以後も何度か足利将軍家をかくまった。
|
朽木 |
稙綱 |
52 | 45 | 63 |
X |
56 | 47 |
足軽 | 弁舌 |
鼓舞 | 誘導 |
迎撃 |
くつき | はるつな |
幕府 | 保守鷹派 | 近江 | 国人 | (1518-1550)近江の豪族。稙綱の嫡男。宮内少輔と称した。はじめ貞綱といったが、将軍・足利義晴の偏諱を受けて晴綱と改名した。高島郡で高島越中守と戦い、戦死した。
|
朽木 |
晴綱 |
49 | 37 | 42 |
X |
50 | 54 |
長槍 | 威圧 |
密偵 | 誘導 |
- |
くつき | もとつな |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 近江 | 国人 | (1549-1632)近江の豪族。晴綱の子。織田信長の越前撤退の際に道案内を務め、以後は織田家に属した。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕える。関ヶ原合戦では東軍に寝返った。
|
朽木 |
元綱 |
58 | 37 | 62 |
X |
19 | 57 |
長槍 | 哀願 |
混乱 | 誘導 |
- |
こうざい | もとなり |
幕府 | 好戦人情 | 讃岐 | 武将 | (1508-1560)細川家臣。三好長慶が主君・晴元を追放したあと、政権回復を目指し戦う。波多野晴通を援護して松永久秀を破るなど活躍したが、三好家との戦いで戦死した。
|
香西 |
元成 |
37 | 59 | 45 |
X |
79 | 6 |
騎馬 | 登用 |
離反 | 誘導 |
- |
こうざい | よしきよ |
幕府・名声 | 好戦人情 | 讃岐 | 武将 | (1553-1588)讃岐の豪族。勝賀城主。居城に籠城して長宗我部元親の讃岐侵攻軍と戦うが天霧城主・香川元景の仲裁で和睦した。病のため失明し「盲目の大将」と呼ばれた。
|
香西 |
佳清 |
32 | 47 | 39 |
X |
71 | 52 |
長槍 | 改修 |
鼓舞 | 放火 |
- |
やすみ | なおまさ |
名声 | 好戦陰湿 | 河内和泉 | 武将 | (1534-1571)畠山家臣。河内交野城主。河内守護代を務めた。主君・高政を紀伊に追放し、高政の弟・昭高を擁立する。のち織田信長の畿内平定軍に降り、本願寺と戦った。
|
安見 |
直政 |
56 | 35 | 68 |
X |
28 | 88 |
長槍 | 登用 |
威圧 | 誘導 |
分断 |
やすみ | のぶくに |
無し | 保守鷹派 | 河内和泉 | 武将 | (1544-1573)畠山家臣。右近丞と称す。1569年、岩清水八幡宮の料所である河内国星田荘の年貢を抑留したため、幕府に訴えられた。のちに松永久秀に殺されたという。
|
安見 |
信国 |
27 | 34 | 6 |
X |
45 | 39 |
足軽 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
やすみ | かつゆき |
無し | 保守鷹派 | 河内和泉 | 武将 | (1566-1605)畠山家臣。信国の子。鉄砲の名手であったという。主家滅亡後は豊臣秀吉に仕え伊予国で1万石を領した。関ヶ原合戦では西軍に属して没落、前田家に仕えた。
|
安見 |
勝之 |
12 | 50 | 20 |
X |
50 | 27 |
騎鉄 | 改修 |
焙烙 | 誘導 |
- |
おおたがき | てるのぶ |
無し | 保守鷹派 | 但馬 | 武将 | (1536-1585)山名家臣。竹田城主。太田垣家は山名四天王の一。織田家から毛利家に寝返ったため、羽柴秀吉に攻められる。一時は居城を奪還するがのちに敗れ、逃亡した。
|
太田垣 |
輝延 |
33 | 38 | 39 |
X |
56 | 41 |
足軽 | 商業 |
威圧 | 誘導 |
- |
たいのしょう | これよし |
無し | 好戦陰湿 | 但馬 | 武将 | (1518-1575)山名家臣。鶴城主。田結庄家は山名四天王の一。織田家への従属を唱え、毛利家への接近をはかる垣屋続成と対立。続成を討つが、続成の子・光成に討たれた。
|
田結庄 |
是義 |
35 | 38 | 57 |
X |
38 | 77 |
長槍 | 威圧 |
混乱 | 誘導 |
- |
なかむら | はるつぐ |
無し | 保守鷹派 | 因幡伯耆 | 武将 | (1529-1581)山名家臣。羽柴秀吉に降伏した主君・豊国を鳥取城から追い、毛利家より吉川経家を城主に招いた。しかし、秀吉の「渇え殺し」戦法によって敗れ、自害した。
|
中村 |
春続 |
39 | 43 | 64 |
X |
37 | 66 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | 修復 |
迎撃 |
もりした | みちよ |
名声 | 保守鷹派 | 因幡伯耆 | 武将 | (1537-1581)山名家臣。中村春続とともに主君・豊国を追放し、吉川経家に属して鳥取城を守る。しかし羽柴秀吉の「渇え殺し」戦法に敗れ、経家や春続とともに自害した。
|
森下 |
通与 |
31 | 47 | 54 |
X |
42 | 57 |
騎馬 | 哀願 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
よしおか | さだかつ |
無し | 好戦直情 | 因幡伯耆 | 国人 | (1532-1606)山名家臣。防己尾城主。羽柴秀吉の因幡侵攻軍に対抗し、千成瓢箪の馬標を奪うなど勇名を馳せる。しかし鳥取城落城により逃亡し、娘夫婦を頼って帰農した。
|
吉岡 |
定勝 |
18 | 61 | 48 |
X |
48 | 61 |
長槍 | 農業 |
罵声 | 修復 |
迎撃 |
べっしょ | しげむね |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 播磨 | 武将 | (1539-1591)別所家臣。就治の子。甥・長治を補佐する。長治が織田信長に背いた際は、これに従った。長治の死後、浪人生活を経て豊臣秀吉に仕え、九州征伐に従軍した。
|
別所 |
重棟 |
46 | 45 | 35 |
X |
43 | 50 |
足軽 | 登用 |
密偵 | 誘導 |
- |
べっしょ | よしはる |
幕府 | 保守鳩派 | 播磨 | 武将 | (1579-1654)豊臣家臣。重棟の子。丹波園部1万5千石を領した。関ヶ原合戦では西軍に属すが、所領を安堵された。大坂夏の陣も参加。のちに職務怠慢の罪で改易された。
|
別所 |
吉治 |
19 | 11 | 9 |
X |
18 | 36 |
鉄砲 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
たさか | ぜんけい |
無し | 好戦人情 | 備後 | 旧仏教 | (1502-1551)小早川家臣。田坂家は土倉夏平(小早川家8代当主・貞平の次男)を祖とする小早川家の庶流。小早川隆景の宗家相続に強く反対したため、のちに謀殺された。
|
田坂 |
全慶 |
64 | 27 | 15 |
X |
83 | 10 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
むくなし | もりひら |
無し | 保守鷹派 | 備後 | 武将 | (1509-1548)小早川家臣。大内家が出雲遠征に失敗したあと、尼子家に寝返った杉原理興に攻められるが、毛利元就や乃美隆興らとともに迎え撃ち、理興の軍勢を撃退した。
|
椋梨 |
盛平 |
14 | 52 | 36 |
X |
56 | 27 |
長槍 | 改修 |
罵声 | 迎撃 |
- |
たかのやま | みちつぐ |
朝廷 | 保守鳩派 | 備後 | 国人 | (1506-1570)備後の豪族。山内豊通の娘を娶る。尼子家からの独立をはかったため居城・蔀山城を攻められるが、大風雨のため落城を免れたという。のちに毛利家に仕えた。
|
多賀山 |
通続 |
37 | 30 | 36 |
X |
20 | 36 |
足軽 | 哀願 |
威圧 | - |
- |
やまのうち | たかみち |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 備後 | 国人 | (1530-1586)備後の豪族。多賀山通続の子。宗家の山内直通が尼子家から大内・毛利家に寝返ろうとし、尼子家に廃されたため、宗家の家督を継いだ。のち毛利家に属した。
|
山内 |
隆通 |
27 | 11 | 29 |
X |
46 | 20 |
足軽 | 弁舌 |
治療 | - |
- |
かねこ | もといえ |
無し | 好戦直情 | 伊予 | 武将 | (1551-1585)伊予の豪族。金子城主。長宗我部元親の四国統一に貢献する。人格・識見ともに優れた勇将と評された。豊臣秀吉の四国征伐軍に抵抗するが敗れ、自害した。
|
金子 |
元宅 |
17 | 52 | 56 |
X |
77 | 18 |
騎馬 | 登用 |
威圧 | 修復 |
迎撃 |