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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
なんじょう | ひろつぐ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 蝦夷 | 国人 | (1528-1562)蠣崎家臣。勝山館主。蠣崎季広の長女を娶った。のちに妻が弟の舜広、元広(季広の長男、次男)を毒殺した罪に連座して自害。「逆さ水松」の伝説を残した。
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南条 |
広継 |
34 | 50 | 58 |
K |
20 | 62 |
騎馬 | 改修 |
混乱 | 破壊 |
誘導 |
いなわしろ | もりくに |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 岩代 | 武将 | (1536-1594)蘆名家臣。後妻の讒言により子・盛胤の廃嫡を企むが発覚し、盛胤と争った。のちに主家に背いて伊達家に属し、摺上原合戦では先鋒を務めて蘆名軍と戦った。
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猪苗代 |
盛国 |
42 | 32 | 57 |
K |
9 | 84 |
長槍 | 哀願 |
混乱 | 誘導 |
- |
えど | みちやす |
朝廷 | 好戦直情 | 常陸 | 武将 | (1484-1535)常陸の豪族。水戸城主。佐竹家の内乱の際は佐竹義舜を支持した。古河公方の足利政氏・高基親子の抗争に際しては、高基を支持し、佐竹家と対立した。
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江戸 |
通泰 |
45 | 41 | 47 |
K |
46 | 61 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 迎撃 |
- |
えど | ただみち |
朝廷 | 好戦陰湿 | 常陸 | 武将 | (1507-1564)常陸の豪族。水戸城主。通泰の子。はじめ佐竹義篤に従うが、義篤の死後、義昭が家督を継ぐと敵対し抗争を繰り返す。のちに和睦し、再び佐竹家に従属した。
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江戸 |
忠通 |
54 | 59 | 51 |
K |
34 | 70 |
長槍 | 弁舌 |
収拾 | 誘導 |
迎撃 |
えど | みちまさ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 常陸 | 武将 | (1537-1567)常陸の豪族。水戸城主。忠通の子。生来病弱のため、家督を間もなく子・重通に譲り、水戸城外の武熊城に籠居したまま病没した。家臣への官途状写しが残る。
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江戸 |
通政 |
38 | 17 | 42 |
K |
44 | 47 |
足軽 | 農業 |
密偵 | - |
- |
えど | しげみち |
朝廷 | 保守鷹派 | 常陸 | 武将 | (1555-1598)常陸の豪族。水戸城主。通政の子。上杉家と結んで北条家に対抗した。小田原征伐後、水戸城の明け渡しを拒否し、佐竹義宣に居城を追われ、結城領へ逃れた。
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江戸 |
重通 |
44 | 47 | 39 |
K |
52 | 63 |
騎馬 | 商業 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
はら | たねきよ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 下総 | 武将 | (1488-1562)千葉家臣。筆頭家老を務めた。一貫して親北条家の立場にあり、第一次国府台合戦の際には北条軍に属した。反北条だった主君・親胤の暗殺に関わったという。
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原 |
胤清 |
53 | 40 | 57 |
K |
29 | 57 |
長槍 | 改修 |
治療 | 迎撃 |
- |
はら | たねさだ |
朝廷・名声 | 好戦人情 | 下総 | 武将 | (1512-1571)千葉家臣。胤清の子。生実城主。臼井家が原家に降伏した際には、臼井城に入り臼井家の家政を執行した。一時里見家に居城を奪われるが、のちに奪還した。
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原 |
胤貞 |
49 | 58 | 50 |
K |
55 | 41 |
騎馬 | 農業 |
収拾 | 誘導 |
迎撃 |
はら | たねひで |
朝廷 | 保守鳩派 | 下総 | 武将 | (1537-1590)千葉家臣。胤貞の子。利胤・親胤2代に執権として仕えた。主家と同等の勢力を有していたという。のちに主家とともに北条家に従属、臼井衆の筆頭となった。
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原 |
胤栄 |
51 | 45 | 47 |
K |
36 | 48 |
足軽 | 弁舌 |
威圧 | 迎撃 |
- |
たかぎ | たねよし |
無し | 好戦陰湿 | 下総 | 武将 | (1484-1565)原家臣。高城家は千葉一族で、原家の軍事部門を担った重臣。小金城を築いて居城とした。第一次国府台合戦の際は北条家に属して奮戦、父と兄の敵を討った。
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高城 |
胤吉 |
55 | 50 | 41 |
K |
57 | 36 |
騎馬 | 威圧 |
混乱 | 迎撃 |
- |
たかぎ | たねとき |
無し | 保守鷹派 | 下総 | 武将 | (1542-1586)原家臣。胤吉の子。下野守と称した。上杉謙信の関東遠征の際、一時上杉家に従うが、以後は一貫して北条方の姿勢を貫いた。のちに栗原6ヶ郷を与えられた。
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高城 |
胤辰 |
44 | 43 | 48 |
K |
47 | 26 |
足軽 | 改修 |
密偵 | 誘導 |
- |
たかぎ | たねのり |
名声 | 保守鳩派 | 下総 | 武将 | (1572-1604)原家臣。胤辰の子。豊臣秀吉の小田原征伐では小田原城に籠城、敗戦後は信濃国に蟄居。のちに豊臣家への仕官を許されるが、秀吉の死により果たせなかった。
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高城 |
胤則 |
39 | 37 | 35 |
K |
53 | 51 |
鉄砲 | 商業 |
威圧 | 誘導 |
- |
おおたわら | すけきよ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1486-1560)那須七党の一。大田原城主。黒羽城主・大関増次を討って子・高増に大関家を継がせたり、娘を主君・政資の側室とするなど、那須家中で最大の勢力を築いた。
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大田原 |
資清 |
73 | 57 | 74 |
K |
30 | 79 |
長槍 | 改修 |
威圧 | 誘導 |
挑発 |
おおぜき | たかます |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1527-1598)那須七党の一。大田原資清の子。大関・大田原・福原家を率い、伊王野・蘆野家と結び、大伯父として主君・資晴を後見するなど家中最大の勢力を築き上げた。
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大関 |
高増 |
72 | 61 | 81 |
K |
40 | 81 |
長槍 | 農業 |
混乱 | 虚報 |
破壊 |
おおたわら | つなきよ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1540-1589)那須七党の一。資清の三男。兄の高増・資孝が別家を立てたため、大田原家を継ぐ。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては、子・晴清を秀吉の出迎えに遣わした。
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大田原 |
綱清 |
49 | 41 | 67 |
K |
60 | 31 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | 誘導 |
分断 |
おおたわら | はるきよ |
朝廷 | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1567-1631)那須七党の一。綱清の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。関ヶ原合戦では東軍に属し、上杉家の様子を探るなど活躍し、戦後加増された。
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大田原 |
晴清 |
60 | 37 | 61 |
K |
45 | 13 |
騎馬 | 農業 |
密偵 | 誘導 |
- |
とみた | のぶよし |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 近江 | 武将 | (1566-1622)豊臣家臣。富田一白の子。佐野房綱の隠居により下野唐沢山城主となる。関ヶ原合戦では東軍に属して本領安堵されるがのち兄・富田信高に連座し改易された。
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富田 |
信吉 |
41 | 46 | 43 |
K |
26 | 49 |
鉄砲 | 改修 |
密偵 | 修復 |
- |
やまがみ | どうきゅう |
無し | 好戦人情 | 下野 | 旧仏教 | (1542-1605)佐野家臣。佐野四天王の1人。道及と称す。首供養を3度行ったという家中随一の猛将。のち武者修業のため致仕した。関ヶ原合戦では上杉家に属して戦った。
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山上 |
道及 |
12 | 80 | 24 |
K |
94 | 27 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 挑発 |
突入 |
いまがわ | うじてる |
幕府 | 天下布武 | 駿河 | 高家 | (1513-1536)今川家8代当主。幼くして家督を継いだため、実母・寿桂尼の後見を受ける。自ら政務を執り始めた矢先に急死。子が無かったため、死後に家督争いが生じた。
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今川 |
氏輝 |
73 | 67 | 72 |
K |
52 | 76 |
長槍 | 商業 |
混乱 | 離反 |
迎撃 |
いまがわ | よしもと |
幕府 | 天下布武 | 駿河 | 高家 | (1519-1560)今川家9代当主。異母兄・玄広恵探を倒して家督を継ぐ。甲相駿三国同盟を結んで後顧の憂いを断ち、上洛の途につくが桶狭間で織田信長の奇襲を受け、絶命。
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今川 |
義元 |
80 | 72 | 64 |
K |
44 | 95 |
足軽 | 茶湯 |
混乱 | 威圧 |
迎撃 |