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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
しらかわ | よしつな |
朝廷 | 保守鷹派 | 磐城 | 高家 | (1499-1556)白河結城家当主。顕頼の子。白河結城家は祐広を祖とし、南北朝期は南朝方に属して戦った。永享の大乱の際には直朝が南陸奥の中心人物として活躍している。
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白河 |
義綱 |
44 | 47 | 45 |
T |
41 | 44 |
騎馬 | 改修 |
威圧 | 迎撃 |
- |
しらかわ | はるつな |
朝廷 | 好戦直情 | 磐城 | 高家 | (1519-1573)白河結城家当主。義綱の子。内乱を鎮定して北上を続ける佐竹家と抗争し、次第に所領を奪われる。蘆名家と結んで対抗したが、間もなく失明、病死した。
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白河 |
晴綱 |
61 | 32 | 60 |
T |
52 | 51 |
足軽 | 商業 |
治療 | 修復 |
- |
しらかわ | よしあき |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 磐城 | 高家 | (1567-1613)白河結城家当主。晴綱の嫡男。父の死後に家督を継ぐが、後見役の小峰義親をはじめとする家臣たちによって居城を追われた。子孫は秋田藩に仕えたという。
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白河 |
義顕 |
31 | 14 | 10 |
Y |
60 | 41 |
鉄砲 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
こみね | よしちか |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 磐城 | 高家 | (1541-1626)白河結城家臣。結城顕頼の子。結城義綱の子ともいう。宗家の義顕を追放して宗家を乗っ取る。のちに佐竹義重に敗れ、義重の子・義広を養子に迎え隠居した。
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小峰 |
義親 |
43 | 50 | 59 |
T |
16 | 83 |
騎馬 | 登用 |
収拾 | 破壊 |
迎撃 |
しらかわ | まさとも |
朝廷 | 好戦直情 | 磐城 | 高家 | (1453-1521)白河結城家当主。子・資永は那須資親の養子となる。蘆名家らとともに佐竹家と戦うが敗れた。庶流の小峰家とも対立して敗れ、資永を頼って那須領に逃れた。
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白河 |
政朝 |
53 | 18 | 27 |
T |
36 | 53 |
騎馬 | 茶湯 |
鼓舞 | - |
- |
しらかわ | あきより |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 磐城 | 高家 | (1475-1536)白河結城家当主。政朝の子。1520年には岩城家と結んで那須家を攻めるが敗れた。1531年、白河結城家の祖・宗広が開基した長雲山智徳院を再興した。
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白河 |
顕頼 |
45 | 21 | 20 |
S |
55 | 46 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
ゆうき | むねひろ |
朝廷 | 好戦人情 | 磐城 | 高家 | (1554-1603)南北朝期の武将。新田義貞らとともに鎌倉を攻略し、倒幕に貢献。のちに北畠顕家に属す。顕家とともに足利尊氏と戦うが顕家没後、陸奥に戻る途中に没した。
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結城 |
宗広 |
72 | 50 | 74 |
T |
85 | 11 |
長槍 | 農業 |
治療 | 収拾 |
修復 |