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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
だて | たねむね |
幕府・名声 | 天下布武 | 陸前 | 武将 | (1488-1565)伊達家14代当主。奥州探題を獲得し、婚姻外交を駆使して版図を拡大。三男・実元の越後上杉家入嗣問題で嫡男・晴宗と対立し、天文の大乱を引き起こした。
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伊達 |
稙宗 |
82 | 41 | 80 |
Q |
46 | 93 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | 威圧 |
誘導 |
かけだ | としむね |
名声 | 好戦陰湿 | 陸前 | 武将 | (1514-1553)伊達家臣。天文の大乱に際しては舅・稙宗に属して活躍。乱の終息後、居城・懸田城を廃城とする講和条件に不満を持ち謀叛を起こすが、捕らえられ斬られた。
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懸田 |
俊宗 |
45 | 29 | 39 |
Q |
36 | 66 |
足軽 | 威圧 |
罵声 | 迎撃 |
- |
こやながわ | むねとも |
幕府 | 保守鷹派 | 陸前 | 武将 | (1469-1565)伊達家臣。天文の大乱に際しては稙宗側に属し、西山城に幽閉されていた稙宗を救出するなど活躍した。乱の終息後も稙宗に近侍し、稙宗の死後、殉死した。
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小梁川 |
宗朝 |
53 | 45 | 63 |
Q |
89 | 62 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | 破壊 |
誘導 |
こやながわ | むねひで |
幕府 | 保守鷹派 | 陸前 | 武将 | (1510-1570)伊達家臣。宗朝の子。天文の大乱の際は父とともに稙宗側に属した。中野宗時の謀叛の際は追討軍の先鋒を務め、小松城攻めで戦死した。文武に秀でるという。
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小梁川 |
宗秀 |
46 | 42 | 45 |
Q |
41 | 55 |
足軽 | 威圧 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
まりやつ | のぶやす |
幕府 | 天下布武 | 上総安房 | 高家 | (1478-1534)真里谷武田家5代当主。足利義明(古河公方・政氏の子)を小弓城に迎えて上総に勢力を拡大するが、のちに義明と対立して怒りを買い、間もなく憤死した。
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真里谷 |
信保 |
67 | 54 | 69 |
Q |
41 | 85 |
騎馬 | 農業 |
威圧 | 虚報 |
迎撃 |
なす | まさすけ |
幕府 | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1497-1546)下野の戦国大名。那須家は藤原道長の曾孫・資家が始祖。資隆の時、はじめて那須姓を称した。資隆の子が、屋島の合戦で扇の的を射抜いた与一宗隆である。
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那須 |
政資 |
46 | 54 | 50 |
Q |
57 | 61 |
長槍 | 改修 |
威圧 | 迎撃 |
- |
なす | たかすけ |
幕府 | 好戦人情 | 下野 | 武将 | (1520-1551)下野の戦国大名。政資の嫡男。父と対立し、父と結ぶ宇都宮尚綱に攻められるが尚綱を討って撃退した。のち尚綱の子・広綱と芳賀高定の謀略に遭い横死した。
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那須 |
高資 |
32 | 69 | 13 |
Q |
41 | 64 |
長槍 | 登用 |
離反 | 迎撃 |
- |
おおた | すけあき |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 武蔵 | 武将 | (1508-1547)扇谷上杉家臣。岩付城主。資頼の嫡男。1535年、父の隠居により家督を継いだ。河越合戦において主君・朝定が北条軍に敗死したあとは北条家に属した。
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太田 |
資顕 |
33 | 30 | 43 |
Q |
34 | 43 |
長槍 | 改修 |
密偵 | 迎撃 |
- |
おおた | うじすけ |
幕府 | 保守鷹派 | 武蔵 | 武将 | (1542-1567)北条家臣。岩付城主。資正の嫡男。父に疎まれたため、父と弟を追って岩付城主となった。三船山合戦の際、北条軍の殿軍を務めて里見軍と戦い、戦死した。
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太田 |
氏資 |
42 | 54 | 48 |
Q |
72 | 60 |
騎馬 | 農業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
せな | うじとし |
幕府 | 天下布武 | 遠江 | 高家 | (1497-1538)今川家臣。瀬名家は南北朝時代に九州探題を務めた名将・今川貞世(了俊)の末裔。玄広恵探と梅岳承芳(今川義元)が争った花倉の乱では承芳方に属した。
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瀬名 |
氏俊 |
66 | 23 | 37 |
Q |
53 | 19 |
足軽 | 登用 |
密偵 | - |
- |
せきぐち | うじひろ |
幕府・名声 | 天下布武 | 遠江 | 高家 | (1523-1562)今川家臣。瀬名氏俊の子。用宗城主を務めた。今川義元の妹を娶った。娘・瀬名(築山殿)は徳川家康に嫁ぐ。のちに主君・氏真の命により自害させられた。
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関口 |
氏広 |
54 | 9 | 51 |
Q |
65 | 6 |
足軽 | 哀願 |
治療 | - |
- |
あさひな | のぶおき |
無し | 保守鷹派 | 駿河 | 武将 | (1528-1582)今川家臣。小豆坂合戦などで戦功を立てる。主家滅亡後は武田信玄に仕え、駿河先方衆となった。武田家滅亡の際に、居城・庵原館を攻められ敗北、自害した。
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朝比奈 |
信置 |
20 | 51 | 43 |
Q |
41 | 63 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | 迎撃 |
- |
しば | よしかね |
幕府 | 保守鷹派 | 尾張 | 高家 | (1540-1600)尾張斯波家15代当主。義統の嫡男。織田広信によって父が殺害されると、織田信長を頼って広信と戦う。のちに信長と敵対して追放され、各地を流浪した。
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斯波 |
義銀 |
24 | 10 | 18 |
Q |
36 | 50 |
足軽 | 茶湯 |
混乱 | - |
- |
きたばたけ | はるとも |
朝廷・名声 | 天下布武 | 伊勢志摩 | 高家 | (1503-1563)伊勢国司・北畠家7代当主。伊勢神宮の門前町・宇治山田の町衆(山田三方)らと対立し、長期に渡って抗争を続けた。弓馬の達人で、和歌や書をよくした。
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北畠 |
晴具 |
68 | 54 | 58 |
Q |
58 | 79 |
騎馬 | 茶湯 |
治療 | 修復 |
誘導 |
きたばたけ | とものり |
朝廷 | 天下布武 | 伊勢志摩 | 高家 | (1528-1576)伊勢国司・北畠家8代当主。晴具の子。織田信長に敗れ、信長の次男・信雄を養子とするが、のちに殺された。塚原卜伝より秘伝「一の太刀」を授けられた。
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北畠 |
具教 |
46 | 72 | 18 |
Q |
63 | 64 |
長槍 | 剣豪 |
威圧 | 迎撃 |
- |
きたばたけ | ともふさ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 伊勢志摩 | 高家 | (1547-1580)伊勢国司・北畠家9代当主。具教の子。父が織田信雄に殺されたあと、滝川一益に預けられ安濃郡河内に3年間幽閉された。のち解放されるが、間もなく病死。
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北畠 |
具房 |
21 | 7 | 9 |
Q |
51 | 18 |
足軽 | 茶湯 |
迎撃 | - |
- |
きたばたけ | まさのり |
朝廷 | 保守鷹派 | 伊勢志摩 | 高家 | (1577-1619)具房の嫡男。織田信雄が北畠家一族を謀殺した際、難を逃れた母が逃亡先で産んだ。各地を放浪後、津軽家の客分となり北畠家再興を目指すが果たせなかった。
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北畠 |
昌教 |
37 | 27 | 32 |
Q |
46 | 30 |
騎馬 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
たはら | しげつな |
無し | 保守鳩派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1545-1584)北畠家臣。浜田城主。滝川一益軍の攻撃で父・元綱が戦死し、美濃に逃れる。のち織田信雄に属すが、小牧長久手合戦の際、美濃加賀野井城の戦いで戦死した。
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田原 |
重綱 |
47 | 34 | 36 |
Q |
48 | 39 |
足軽 | 弁舌 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
たまる | なおまさ |
幕府 | 好戦人情 | 伊勢志摩 | 武将 | (1551-1607)蒲生家臣。田丸城主。主君・氏郷の妹を娶った。のちに美濃岩村4万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属して改易され、越後へ追放されるが、のちに許された。
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田丸 |
直昌 |
31 | 28 | 7 |
Q |
58 | 21 |
鉄砲 | 哀願 |
収拾 | - |
- |
もりもと | ともとし |
無し | 保守鷹派 | 伊勢志摩 | 武将 | (1540-1584)北畠家臣。台城(森本城)の城主。俊信の子。木造家の一族という。士15人、兵50人を率いた。木造家に従って伊勢松ヶ島城攻撃戦に参陣し、戦死した。
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森本 |
具俊 |
44 | 19 | 41 |
Q |
51 | 41 |
足軽 | 改修 |
鼓舞 | - |
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