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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
いわき | よしたか |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 磐城 | 武将 | (1477-1542)陸奥の豪族。常隆の子。古河公方の足利政氏・高基親子の争いでは、佐竹家とともに政氏方に属し、高基方に属した宇都宮家や下総結城家と戦いを繰り広げた。
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岩城 |
由隆 |
62 | 30 | 28 |
Q |
66 | 45 |
長槍 | 弁舌 |
威圧 | - |
- |
なす | すけふさ |
無し | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1476-1552)下那須家当主。内紛で上那須家が断絶した後、家督を継ぎ上下那須家を統一。箒川の合戦で行った、白河結城家との縄引きが「大捻縄引」の起源とされる。
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那須 |
資房 |
29 | 28 | 21 |
Q |
65 | 27 |
長槍 | 農業 |
収拾 | - |
- |
いわまつ | まさずみ |
幕府 | 保守鳩派 | 上野 | 高家 | (1485-1529)上野金山城主。尚純の子。父の隠居後、幼少の身で家督を継ぐ。専横を振るう家臣・横瀬泰繁と対立し、泰繁の打倒を図るが失敗し、泰繁の軍勢に討たれた。
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岩松 |
昌純 |
22 | 39 | 23 |
Q |
53 | 16 |
足軽 | 改修 |
鼓舞 | - |
- |
おおた | すけより |
幕府 | 好戦陰湿 | 武蔵 | 武将 | (1484-1536)扇谷上杉家臣。資家の子。北条氏綱に通じて岩付城の太田永厳(道灌の弟・資忠の孫)・源六親子を討ち、岩付城主となるが、間もなく扇谷上杉家に帰参した。
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太田 |
資頼 |
47 | 48 | 18 |
Q |
45 | 19 |
騎馬 | 商業 |
罵声 | 誘導 |
- |
せな | かずひで |
幕府 | 保守鷹派 | 遠江 | 旧仏教 | (1432-1511)今川家臣。はじめ喝食であったが、父・堀越貞延の死により還俗。主君・義忠の死後はその子・氏親を補佐し活躍。瀬名郷を与えられ、以後は瀬名姓を称した。
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瀬名 |
一秀 |
31 | 21 | 34 |
Q |
27 | 13 |
足軽 | 弁舌 |
鼓舞 | - |
- |
きたばたけ | きちか |
朝廷 | 天下布武 | 伊勢志摩 | 高家 | (1468-1517)伊勢国司・北畠家6代当主。政郷の子。強い勢力を持つ自治都市・山田にたびたび出兵し、勢力を抑えようとした。熊野や伊勢に詣でるなど、信仰が厚かった。
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北畠 |
材親 |
65 | 68 | 33 |
Q |
35 | 69 |
長槍 | 弁舌 |
密偵 | 焙烙 |
- |
たけだ | のぶまさ |
幕府・名声 | 好戦直情 | 甲斐 | 武将 | (1447-1505)甲斐守護。専横を振るう跡部駿河を討ちまた外敵の排除に努めるなど、領内の安定に努めた。次男・油川信恵に家督を譲ろうとしたため、長男・信縄と争った。
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武田 |
信昌 |
61 | 60 | 46 |
Q |
14 | 71 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 誘導 |
迎撃 |
きょうごく | たかきよ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 近江 | 高家 | (1460-1538)北近江半国の守護。勝秀の庶長子。嫡出の弟・孫童子丸の死後、叔父・政経との家督争いに敗れ、流浪する。のちに勢力を回復し、政経を追って家督を継いだ。
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京極 |
高清 |
34 | 33 | 19 |
Q |
62 | 55 |
足軽 | 威圧 |
鼓舞 | - |
- |
こうさか | いえのぶ |
無し | 好戦人情 | 近江 | 武将 | (1462-1521)京極家臣。主君・高清の執権として権勢を振るった。高清が京極政経(高清の叔父)との家督争いに敗れて越前に落ち延びた際は、高清の近江復帰に尽力した。
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上坂 |
家信 |
64 | 55 | 71 |
Q |
85 | 9 |
騎馬 | 登用 |
離反 | 迎撃 |
分断 |
いば | さだたか |
無し | 好戦直情 | 近江 | 武将 | (1449-1520)六角家臣。出羽守と称す。守護代や郡奉行を務め、六角家中で大きな勢力を持った。1502年、反乱を起こして主君・高頼を日野城に追うが、のち和睦した。
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伊庭 |
貞隆 |
71 | 59 | 45 |
Q |
11 | 70 |
騎馬 | 弁舌 |
収拾 | 焙烙 |
迎撃 |
たかはし | おきみつ |
朝廷・名声 | 好戦直情 | 石見 | 国人 | (1500-1529)石見の豪族。弘厚の子。伯父・元光の死後、祖父・久光の指名によって高橋家を継いだ。のちに尼子家に寝返ったため、毛利元就に攻められて敗れ、戦死した。
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高橋 |
興光 |
24 | 39 | 18 |
Q |
41 | 43 |
足軽 | 商業 |
鼓舞 | - |
- |
こでら | まさたか |
幕府 | 保守鷹派 | 播磨 | 武将 | (1472-1530)赤松家臣。御着城を築き居城とした。主君・義村が浦上村宗に殺された際は義村の子・晴政や浦上村国らとともに淡路に逃れた。のちに村宗に殺されたという。
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小寺 |
政隆 |
43 | 35 | 45 |
Q |
46 | 26 |
長槍 | 改修 |
混乱 | 迎撃 |
- |
きたばたけ | あきよし |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 伊勢志摩 | 高家 | (1567-1624)南北朝期の武将。父・親房と兄・顕家が南朝軍を率いて諸国を転戦している間、国司として伊勢を統治。父の死後は兄とともに南朝軍を率いて室町幕府と戦う。
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北畠 |
顕能 |
84 | 43 | 78 |
Q |
81 | 31 |
騎馬 | 弁舌 |
離反 | 挑発 |
放火 |
おやま | よしまさ |
幕府 | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1565-1611)室町前期の下野の豪族。宇都宮家と対立し、宇都宮基綱を討ち取ったが、この事件が鎌倉公方・足利氏満から「私闘」とされて討伐を受け、敗北して自害した。
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小山 |
義政 |
23 | 59 | 40 |
Q |
51 | 46 |
足軽 | 改修 |
治療 | 迎撃 |
- |
なす | よいち |
無し | 好戦直情 | 下野 | 武将 | (1567-1610)源平期の下野の豪族。余一とも。屋島合戦で、海上の平氏の船上に掲げられた扇の的を射落とす功を立てた。平氏滅亡後石清水八幡宮に詣でた帰りに急死。
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那須 |
与一 |
19 | 70 | 24 |
Q |
68 | 18 |
足軽 | 農業 |
罵声 | 修復 |
- |