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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
としま | しげむら |
名声 | 好戦陰湿 | 羽後 | 国人 | (1521-1575)安東家臣。畠山重忠の末裔という。1570年、湊安東家臣の下刈右京らと結んで謀叛を起こすが、安東愛季の軍勢に敗れ、妻の実家・仁賀保家を頼った。
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豊島 |
重村 |
28 | 15 | 31 |
P |
12 | 66 |
騎馬 | 改修 |
誘導 | - |
- |
あさり | のりより |
幕府 | 好戦直情 | 甲斐 | 国人 | (1499-1550)出羽の豪族。朝頼の子。甲斐国浅利郷より出羽比内地方へ移住し、十狐(独鈷)城を築く。また、弟たちを周辺の城に配置し、比内における支配権を確立した。
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浅利 |
則頼 |
43 | 63 | 54 |
P |
36 | 80 |
騎馬 | 改修 |
威圧 | 修復 |
誘導 |
あさり | かつより |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 羽後 | 国人 | (1529-1583)出羽の豪族。則頼の次男。安東家と結んで兄・則祐を自害させ、当主となる。のちに津軽家と結び謀叛を企んだため、安東愛季に酒宴へ誘い出され、殺された。
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浅利 |
勝頼 |
43 | 29 | 50 |
P |
52 | 61 |
騎馬 | 商業 |
罵声 | 迎撃 |
- |
おのざき | つぐみち |
無し | 好戦直情 | 常陸 | 国人 | (1562-1630)常陸の豪族。額田城主。佐竹家に属したが自立性が強く何度も主家に反抗した。のちに謀叛を起こすが敗れ、松平忠輝などに仕えた。画に巧みであったという。
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小野崎 |
従通 |
29 | 16 | 30 |
P |
25 | 66 |
長槍 | 威圧 |
混乱 | - |
- |
おだ | うじはる |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 常陸 | 高家 | (1531-1601)小田家15代当主。政治の子。北条家と結んで佐竹家の南進阻止を試みるが連戦連敗、居城を奪われて降伏した。以後も失地を回復できず、結城秀康に仕えた。
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小田 |
氏治 |
37 | 36 | 34 |
P |
57 | 49 |
騎馬 | 登用 |
治療 | 誘導 |
- |
おだ | ともはる |
幕府 | 保守鳩派 | 常陸 | 高家 | (1548-1604)氏治の庶長子。八田左近と称した。小田家と結んだ北条家に仕えた。主家滅亡後は豊臣家に仕え、朝鮮派兵の際には舟奉行を務め、伊勢で所領を与えられた。
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小田 |
友治 |
41 | 10 | 45 |
P |
41 | 46 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
おだ | もりはる |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 常陸 | 高家 | (1557-1610)小田家16代当主。氏治の子。同盟を結んでいた北条家の滅亡後は結城秀康に仕える。妹が秀康の側室となったため、秀康の越前移封に従って越前へ移住した。
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小田 |
守治 |
35 | 26 | 25 |
P |
55 | 51 |
足軽 | 農業 |
収拾 | - |
- |
おかみ | よりただ |
無し | 保守鳩派 | 常陸 | 武将 | (1547-1586)小田家臣。多賀谷政経らに居城・谷田部城を奪われるが、10年後に北条氏照の後援を得て奪回した。しかしのちに多賀谷重経(政経の子)に敗れ、戦死した。
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岡見 |
頼忠 |
31 | 27 | 12 |
P |
68 | 12 |
騎馬 | 改修 |
誘導 | - |
- |
すげのや | かつさだ |
無し | 好戦人情 | 常陸 | 武将 | (1497-1558)小田家臣。土浦城主。1516年、土浦城を築いた豪族・若泉五郎左衛門を討って土浦城を奪い、居城とした。近隣の豪族や上杉・佐竹家などと各地で戦った。
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菅谷 |
勝貞 |
45 | 67 | 71 |
P |
93 | 34 |
騎馬 | 登用 |
離反 | 鼓舞 |
破壊 |
すげのや | まささだ |
無し | 好戦人情 | 常陸 | 武将 | (1528-1588)小田家臣。土浦城主。勝貞の子。佐竹家に奪われた小田城を奪還し、大掾家・宇都宮家などと戦うなど活躍したが、のちに主君・氏治とともに佐竹家に属した。
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菅谷 |
政貞 |
38 | 60 | 63 |
P |
86 | 22 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 誘導 |
放火 |
すげのや | のりまさ |
無し | 好戦人情 | 常陸 | 武将 | (1559-1608)小田家臣。政頼(政貞の養子)の子。主君・氏治が居城・小田城を奪われるたびに居城に迎え、小田城の奪還に努めた。のちに旗本として徳川家に仕えた。
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菅谷 |
範政 |
27 | 53 | 63 |
P |
81 | 17 |
長槍 | 商業 |
治療 | 迎撃 |
分断 |
まりやつ | のぶまさ |
幕府・名声 | 好戦直情 | 上総安房 | 高家 | (1505-1569)真里谷武田家一族。信保の次男。異母兄の信隆と家督を争う。一時は小弓公方・足利義明の後援で家督を継ぐが、義明死後は力を失い、里見家を頼ったという。
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真里谷 |
信応 |
36 | 11 | 18 |
P |
45 | 70 |
足軽 | 弁舌 |
密偵 | - |
- |
まりやつ | のぶたか |
幕府 | 保守鳩派 | 上総安房 | 高家 | (1542-1595)真里谷武田家一族。信応の子。豊臣秀吉の小田原征伐において徳川軍に敗れ、那須に逃れた。この際、財宝をどこかに隠して逃れたという伝説が残っている。
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真里谷 |
信高 |
23 | 24 | 28 |
P |
24 | 17 |
騎馬 | 商業 |
収拾 | - |
- |
まりやつ | のぶすけ |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 上総安房 | 高家 | (1480-1549)真里谷武田家一族。信勝の次男。兄・信保の死後、庶長子・信隆と次子・信応の間で家督を巡る争いが起こったが、この争いにおいて信応の後見人を務めた。
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真里谷 |
信助 |
48 | 45 | 63 |
P |
27 | 69 |
騎馬 | 登用 |
収拾 | 誘導 |
迎撃 |
おおぬき | たけしげ |
名声 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1547-1586)佐野家臣。佐野四天王の1人。財務の才に優れたという。足尾銅山の採掘を行うなど、主家の財政基盤確立に尽力した。主君・宗綱の死後、自害させられた。
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大貫 |
武重 |
63 | 28 | 41 |
P |
35 | 41 |
鉄砲 | 商業 |
治療 | 迎撃 |
- |
もろ | ひさしげ |
名声 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1538-1590)佐野家臣。藤岡城主。主君・佐野昌綱の妹を娶る。のちに北条家に属した。豊臣秀吉の小田原征伐の際に居城を攻められ上野国世良田に逃亡、同地で自害した。
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茂呂 |
久重 |
42 | 24 | 29 |
P |
17 | 75 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
しば | よしむね |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 尾張 | 高家 | (1513-1554)尾張斯波家14代当主。守護代・織田広信の傀儡として清洲城に住む。広信が織田信長の暗殺を企んだ際、密かにこれを信長に知らせたため、広信に殺された。
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斯波 |
義統 |
26 | 18 | 21 |
P |
44 | 58 |
足軽 | 茶湯 |
鼓舞 | - |
- |
とき | よりあき |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 美濃 | 高家 | (1502-1582)美濃守護。家臣・斎藤道三と結んで兄・政頼を追放し、家督を継ぐ。しかし、のちに道三に美濃を追われた。一時和睦して帰国するが再び追放され、流浪した。
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土岐 |
頼芸 |
31 | 20 | 5 |
P |
17 | 5 |
足軽 | 茶湯 |
誘導 | - |
- |
とき | よりつぐ |
幕府 | 好戦陰湿 | 尾張 | 高家 | (1545-1614)松永家臣。頼芸の次男。兄・頼栄が父の勘気を蒙ったため嫡子となる。父とともに国を追われ、松永久秀に仕えた。久秀の死後は豊臣家を経て徳川家に仕えた。
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土岐 |
頼次 |
45 | 26 | 35 |
P |
31 | 51 |
足軽 | 弁舌 |
密偵 | - |
- |
とき | よりもと |
幕府 | 保守鳩派 | 尾張 | 高家 | (1549-1608)徳川家臣。頼芸の四男。父の追放後は斎藤道三の扶助を受ける。斎藤家の滅亡後は武田・豊臣家に仕え、関ヶ原合戦の後に徳川家康に属し、所領を安堵された。
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土岐 |
頼元 |
39 | 9 | 34 |
P |
39 | 28 |
足軽 | 茶湯 |
鼓舞 | - |
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