武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
あんどう | もりなり |
武士 | 神仏 | 60 |
(1523-1582)斎藤家臣。美濃三人衆の1人。主家滅亡後は織田信長に属すが、のちに追放された。本能寺の変に乗じて旧領回復の兵を挙げるが、稲葉一鉄と戦って敗死した。
|
安藤 |
守就 |
52 | 40 | 66 |
55 | 13 |
25 |
通常版 | 1538 |
混乱 |
|
|
しば | あきなお |
高家 | 神仏 | 70 |
(1550-1619)奥州斯波家当主。詮真の子。南部信直の軍に敗れて逃走、各地に潜伏した。のちに南部家に仕えたが、大坂冬の陣の際、浪人となって京都に住んだという。
|
斯波 |
詮直 |
27 | 8 | 4 |
54 | 14 |
95 |
通常版 | 1565 |
|
|
|
こくぶん | もりしげ |
守護 | 神仏 | 63 |
(1553-1615)伊達家臣。伊達晴宗の十男。国分家を継ぐ。1599年、病と称して岩出山城に出仕せず、叛意を疑われたため出奔。姉の嫁ぎ先である佐竹家に身を寄せた。
|
国分 |
盛重 |
28 | 17 | 12 |
28 | 14 |
68 |
通常版 | 1568 |
|
|
|
あんとう | みちすえ |
武士 | 神仏 | 31 |
(1564-1594)湊安東家10代当主。茂季の嫡男。父の死後、伯父・愛季に湊城を追われ、豊島城に移される。愛季の死後、戸沢家と結んで謀叛を起こすが、失敗に終わった。
|
安東 |
通季 |
30 | 28 | 22 |
31 | 14 |
40 |
通常版 | 1579 |
|
|
|
みこがみ | よしあき |
剣豪 | 神仏 | 64 |
(1565-1628)剣術家。はじめ里見家に仕えたが、剣術修業のため諸国を遍歴する。のちに一刀流の開祖・伊藤一刀斎に師事し、名を小野忠明と改め、小野一刀流を創始した。
|
御子神 |
吉明 |
1 | 73 | 2 |
28 | 14 |
44 |
通常版 | 1580 |
槍衾・1 |
|
|
ふるた | しげなり |
武士 | 神仏 | 72 |
(1544-1615)豊臣家臣。織部正に任官される。利休七哲の1人。織部焼を創始し、諸大名の茶の師匠を務めた。大坂の陣の際、豊臣方への内通疑惑により、自害させられた。
|
古田 |
重然 |
54 | 5 | 1 |
76 | 14 |
01 |
通常版 | 1559 |
|
|
|
やまざき | ながのり |
武士 | 神仏 | 69 |
(1552-1620)朝倉家臣。主家滅亡後は明智光秀に属し本能寺の変に従軍。光秀の死後は柴田勝家に属し、賤ヶ岳合戦に従軍した。勝家の死後は前田家を経て徳川家に仕えた。
|
山崎 |
長徳 |
21 | 36 | 27 |
31 | 14 |
69 |
通常版 | 1567 |
|
|
|
もがみ | よしもり |
武士 | 神仏 | 70 |
(1521-1590)最上家10代当主。2歳で家督を相続する。次男・義時を偏愛して家督を譲ろうとするが、伊達家の騒動に乗じた長男・義光が決起、強制的に隠居させられた。
|
最上 |
義守 |
36 | 21 | 18 |
58 | 15 |
97 |
通常版 | 1522 |
|
|
|
あなやま | ばいせつ |
武士 | 神仏 | 42 |
(1541-1582)武田家臣。一門衆の筆頭格。合戦ではおもに本陣を守った。武田家滅亡後は、徳川家康に降る。本能寺の変を知り、堺から本国へ帰る途中で何者かに討たれた。
|
穴山 |
梅雪 |
66 | 17 | 46 |
67 | 15 |
58 |
通常版 | 1556 |
|
|
|
みよし | ながよし |
守護代 | 神仏 | 42 |
(1523-1564)細川家臣。主家の実権を奪って勢力を拡げ、主君・晴元を追放して畿内の掌握に成功した。しかし嫡男・義興や弟たちの死後は心身に支障をきたし、病死した。
|
三好 |
長慶 |
84 | 65 | 82 |
77 | 15 |
56 |
通常版 | 1538 |
槍衾・2 |
鼓舞 |
|
あんこくじ | えけい |
僧侶 | 神仏 | 63 |
(1538-1600)毛利家臣。武田信重の子。武田家滅亡時に逃れ出家。外交僧を務めた。織田信長と豊臣秀吉の将来を予言した事で著名。関ヶ原合戦で西軍に属し、斬首された。
|
安国寺 |
恵瓊 |
81 | 12 | 76 |
80 | 15 |
31 |
通常版 | 1553 |
混乱 |
|
|
いなづ | しげまさ |
武士 | 神仏 | 47 |
(1574-1620)伊東家臣。清武城主。関ヶ原合戦では西軍方の宮崎城を落とす。戦後、幕命による宮崎城返還も拒否。主君・祐慶の自害命令も拒否して居城に籠城、敗死した。
|
稲津 |
重政 |
10 | 55 | 7 |
14 | 15 |
70 |
PK追加 | 1589 |
槍衾・1 |
|
|
たかだ | やすざね |
国人 | 神仏 | 42 |
(1553-1594)南部家臣。九戸信仲の子。はじめ高水寺城主・斯波詮真の娘婿となるが、のちに斯波家を出奔、斯波家討伐軍の先鋒を務めた。従兄弟・連尹に斬られ死去した。
|
高田 |
康真 |
30 | 19 | 63 |
53 | 16 |
60 |
通常版 | 1568 |
鼓舞 |
|
|
しらかわ | よしちか |
高家 | 神仏 | 86 |
(1541-1626)白河結城家臣。結城顕頼の子。結城義綱の子ともいう。宗家の義顕を追放して宗家を乗っ取る。のちに佐竹義重に敗れ、義重の子・義広を養子に迎え隠居した。
|
白河 |
義親 |
43 | 50 | 60 |
47 | 16 |
19 |
通常版 | 1556 |
挑発 |
|
|
ゆうき | はるとも |
武士 | 神仏 | 82 |
(1533-1614)結城家17代当主。小山高朝の次男。伯父・政勝の養子となる。北条・上杉両家の間で離合集散を繰り返した。のちに徳川家康の次男・秀康を養子とした。
|
結城 |
晴朝 |
80 | 41 | 78 |
56 | 16 |
41 |
通常版 | 1548 |
斉射・1 |
混乱 |
|
ふじかた | ともなり |
武士 | 神仏 | 68 |
(1530-1597)北畠家臣。織田信長の伊勢侵攻軍に降り北畠家を継いだ織田信雄に仕える。のちに信長の命により、旧主・具教を謀殺した。本能寺の変後は豊臣秀吉に属した。
|
藤方 |
朝成 |
46 | 41 | 57 |
36 | 16 |
72 |
通常版 | 1545 |
|
|
|
こじま | もとしげ |
国人 | 神仏 | 65 |
(1523-1587)神保家臣。日宮城主。主君・長職とともに上杉家に属した。長職の死後は主家の実権を握る。のち越中に帰還した神保長住を幽閉し、主家滅亡の原因を作った。
|
小島 |
職鎮 |
57 | 46 | 63 |
63 | 16 |
86 |
通常版 | 1538 |
破壊 |
|
|
あつじ | さだゆき |
国人 | 神仏 | 55 |
(1528-1582)浅井家臣。山本山城主。主家滅亡後は織田信長に属す。信長の越前攻めに従軍した。本能寺の変後は明智光秀に属し、光秀の死後、子・貞大とともに殺された。
|
阿閉 |
貞征 |
20 | 9 | 36 |
30 | 16 |
55 |
通常版 | 1543 |
|
|
|
ろっかく | よしはる |
守護 | 神仏 | 69 |
(1544-1612)近江の戦国大名。義賢の子。筆頭家老・後藤賢豊を謀殺し、家臣の信頼を失う。織田信長の上洛軍に敗れ、諸国を流浪した。晩年は豊臣秀頼の弓師範を務めた。
|
六角 |
義治 |
25 | 32 | 15 |
59 | 16 |
33 |
通常版 | 1559 |
斉射・1 |
|
|
きもつき | かねすけ |
武士 | 神仏 | 77 |
(1558-1634)大隅の戦国大名。高山城主。兼続の子。兄・良兼の死後家督を継ぐ。伊東家などと結んで島津家に対抗したため、母(島津忠良の娘)と家臣たちに追放された。
|
肝付 |
兼亮 |
18 | 7 | 3 |
12 | 16 |
97 |
通常版 | 1573 |
|
|
|